ハシュは嫌味を言われる
――きっと……。
どれほど気分よく恵まれた場所にいても、どれほど素晴らしいと賛辞を受ける人柄であっても。誰だってそうなってしまえば、目の前の相手に対していい顔などできなくなるだろう。
――とくに、自分からは用件がないとき。
――本日の務めも終わり、あとは帰るだけの時刻が来るのをただ待つとき。
その業務終業時間まであとわずかだというのに、まさかのタイミングで自分の足を止めるように誰かが用向きで訪ねてくれば、誰だって歓迎などできやしない。
ハシュだってそうだ。
これでやっと終わる、これだけで済むのだ、と思っていた矢先に上官から「ついで」を持ちかけられでもしたら腹も立つし、文句だって散々に言わなければ気もすまない。
だから、彼らの気持ちはよくわかる。
わかるけど……。
――なぜ! この時間ぎりぎりに来るのだろうか?
――いまでなくたっていいだろう? 明日ではだめなのか?
それは五月騎士団の内務府にある、とある庁舎。
その一室でのことだった。
□ □
「遅くに申し訳ありません! 十月騎士団の伝達係です。上官から受け渡しの書類を預かり、届けに参りました」
そう言って入室してくる十月騎士団の伝達係――伝書鳩のハシュを見て、ほとんど帰宅に向けての用意をすませていた、内務府で主に外部の各騎士団に対しての書類を受け渡しする専用窓口のような部署に所属する文官たちはお愛想でもいい、その笑顔を向けることさえ忘れて凍りついてしまった。
室内に存在する複数の文官がハシュを容赦なく睨みつけ、口端の歪みも隠せないようすで小さく口を動かして、何事かの文句をぶつぶつと言ってくる。
それはどう見ても、まだ十七歳の新人文官に向ける態度ではなかった。
――ですよねぇ……。
と、ハシュは内心理解を示す。
本来であればもうすこし早くに訪ねることもできていただけに、終業間際になって、
『さあさあ、天下の決断の長であらせられる十月騎士団団長の裁可押印の書類をお持ちしましたよ! 引き換えに、つぎに裁可押印の必要な書類を差し出してください!』
などと実際には言わないものの、それだけの威力がある伝書鳩が顔を出せばどうなるのか。
責められても文句も言えない自覚があるだけに、ハシュは同情し、落ち着いて理解もできるから彼らの機嫌の悪さも、それを一斉に向けられても怯まずにいられた。
けれども……。
ハシュが申し訳なさそうに差し出すいくつかの封筒を受け取る文官の声は冷ややか。
声も目つきも、あからさまに嫌気が滲み出ている。
「これは、これは。伝書鳩くん」
「遅くまで職務お疲れさま。――十月騎士団にお渡しする書類はきみの騎馬につける。それでいいかな?」
定時上がりを阻害され、その苛立ちをぶつけつつも最低限の礼儀で対応してくる文官が指示してくる。
彼らはすでにハシュが十月騎士団に所属している伝書鳩であることを知っているし、ハシュも職務上、何度も訪ねているので彼らの顔を覚えたが、彼らのほうが世の中愛想だけではやってはいけないと早くに達観しているらしく、いまに至ってもあまり友好的な顔馴染みにはなれそうもない、その気配をありありとさせている。
彼らの態度を見ていると、今日、はじめて接した皇宮の四月騎士団に所属している文官たちのほうが凛として機能的に見えても個人としての接し方を心得ていて、どこか好ましかった。
まあ……。
初対面であるというのに、四月騎士団団長執務室に入ることに怯んだハシュを蹴り込んで入室させた、あれは少々恨めしいが。――それはさておき。
――けれども、さすがにこちらも文官。
用向きに対してはすでに熟知しているため、時間繋ぎの世間話をするわけでもなく、余計なことも聞かず、手際だけはさすがに文官という無駄のない動きで十月騎士団宛に集められた封筒の束を棚から取り出してくる。
棚――といっても、それは簡単な備え付けのようなものではない。
どちらかというと高尚な趣味の図書館を彷彿させるような手狭ではない室内の、天井高まであるような高さと横幅が特徴で、その棚を二面も有している。
トゥブアン皇国の主な建物は低層建築様式であるが、その一階部分はそれなりの高さがあるので、ハシュの立つ室内は見ごたえも見栄えもある。
丁寧に並べられているのが装丁の美しい書籍の数々でないのが残念だが、それでもゆったりとした室内の壁紙や装飾にはどこか風合いがあり、ハシュと文官たちを隔てている受付の横長の台……カウンターも年代物のような色味と重厚的な造りが特徴で、すでに蠟燭の炎が揺れる室内灯も、手もと灯り用のランプも細部までこだわった装飾が美しい。
――こんなにも素敵な部屋を、各騎士団宛の書類を受け渡すためだけに使うなんて。
何てもったいないんだろうと、ハシュは訪ねるたびにつくづく思う。
――さすがは国府。
使うべきところの金の使い道が十月騎士団とはちがう。
日々、書類を手に右往左往する伝書鳩だけが出入りをするわけではないので、他騎士団からの用向きに足を運ぶ騎士たちを最低限もてなすソファやローテーブルもあって、その家具も落ち着いた感じが趣味のよさを表していて、
――こういうところで本を読んだりしたら、きっと頭もよくなりそう!
などと、日ごろから本など読みもしないハシュでさえ雰囲気負けしてしまう素敵な空間なのだが……。
「ほんとうは総務府のようにも書類が束のようにあって、十月騎士団の伝書鳩が来たら立ち寄ってほしいと言われていたんだけれど、……きみひとりじゃ無理だよねぇ?」
「……」
これは気遣いではなく、完全にハシュを侮った言い方だった。
さすがのハシュも察して内心でムッとしたが、帰りが戻りの十月騎士団一択であれば「大丈夫です、運べます!」とむきになって書類だろうが封筒だろうが束ごと捥ぎ取ってみせたが、生憎、このあとは十二月騎士団へと向かわなければならない。
しかも夜を好めないハシュにとっては不安定な道中となるため、書類の量はできるかぎり最低限であるのがいまは望ましかった。
幸い、彼らから追加の書類渡しを押しつけるようすはなかったので、ハシュはホッとした。
とはいえ、内務府で受け取る書類の量も相当なものだ。
ハシュが先に手渡した封筒の束とは比較にもならない。
ハシュ個人が背負うとしたら数も嵩も重みもあって大変だが、騎乗してきた栗毛色はそもそも鎧甲冑を纏う武官騎士を騎乗させて戦場を駆ることもできる軍馬なので、栗毛色に専用の鞄を装着させて書類を運ばせるのは苦労のうちにも入らない。
とはいえ……。
本来がその量なのか、それとも嫌味が加算されてその量なのか。
どちらにせよ、ハシュが辟易するには充分な束が棚から取り出されていく。
「すいません、このような時刻にお願いするかたちになってしまいまして……」
「何、かまわないよ。伝書鳩くんは十月騎士団のなかでは早馬のほうだろ? がんばってこの時間なのだから、仕方がない」
「……申し訳ありません。以後は早く訪ねることができるよう、精進しますので」
――何でそんなことを言うのかな、もうッ。
今日の彼らはよほど機嫌が悪いのか。
それとも、その機嫌の悪さの原因が完全にハシュなのか。
きっと後者なのだろうと見当もつくが、今日はやけにあたりが強い。
――伝書鳩になりたてのころ。
ハシュはこの手の空気を向けられるのが怖くて、ひたすら半泣き状態で謝罪に頭を下げていたものだが、――それも三ヵ月もすればハシュだっていろいろと学ぶ。
擦れる、とまではいかないが、何に対してきちんと頭を下げればいいのか。何となく相手を見るようになってきた。
おなじ文官でも「決断の長」が座する十月騎士団は、ほんとうにハシュたち新人文官の伝書鳩に対してこきの使いも容赦はないが、何というか親戚というか、近所のおじさんやお兄さんといった人情味や距離感は近いし、ときどき菓子も差し入れてくれる。
書類は魑魅魍魎が跋扈するそれを体現しているし、多忙激務に庁舎内を右往左往としているが、どこかそれを楽しんでいる雰囲気があって、全体的に陽気で気さくだ。
それに反面するように、唯一皇帝の御座所である皇宮の皇宮諸事の一切を取り仕切る四月騎士団は粛々と凛としたものが似合う、ハシュの文官に対する理想のスマートさを体現している。無論、団長は規格外だが。
あれが団長では一見して下につく文官も人間味も欠いているように思われるが、意外とそうではない。
一方の五月騎士団というと……。
おなじ文官でも先に述べたようにトゥブアン皇国の国事、国政を預かり支え、行政を執り行う騎士団でもあるので、それらを支える庁舎や部署、文官の数はほんとうに膨大。
その誰もがこうだとは思わないし、国政であれば多様な人格も集って当然だとも思うが、ハシュの同期だって多くが入団しているのだ。変に、朱に交われば赤くなる、その末に至らないでほしいとハシュは切に願う。
――無論、ここまではすべてハシュの感想に過ぎないのだが……。
すくなくともハシュはこの高尚な図書館のような雰囲気の室内は好きだが、そこで他騎士団との書類の受け渡しを行う彼らとは相性がよくない。
何度か訪れるうちにその印象が決定してしまい、ハシュも言われて怯える一方でもなくなった。無難に返すていどの表情を作り、作法の一環として申し訳なさそうに頭を下げることも覚えた。
ただし、ハシュも内心では荒れ狂っている。
この侮りはハシュ個人に向けての言いようであれば我慢もできるが、他の同期の伝書鳩にもおなじ口を向けているのかもしれないと思うと、これは非常におもしろくない。
しかもハシュがもっとも頼りにしている軍馬の栗毛色に対しても、その脚力を言外から侮った。これを栗毛色が聞いたらきっと、問答無用で蹴りというかたちでご自慢の脚力を披露するだろう。
しまいには、
「きみがよく騎乗してくるあの栗毛色。耐久はありそうだから書類運びもぴったりだろうけど、気性が荒くて、書類を入れた鞄を装着させるのが嫌なんだよねぇ」
「……」
――あ~あ、言っちゃったよ、この人……。
確かにそれは事実で返す言葉もないが、栗毛色は気配が聡いので、いまの心情のまま近づいたら何をしでかすかわからない。彼らに何かがあってもハシュはもう見ぬふり、知らぬふりをしようと決め込む。
――でも、何というか……。
不思議なことに、彼らの口叩きがそよ風のように感じる。
すでに散々に言われているというのに、腹は立つが心にはさほどひびかない。
そう思える心当たりがハシュにはある。
きっと……。
ハシュは四月騎士団団長という、高慢、高圧的、唯我を当たり前のように纏う計り知れない大物と対面したことによって、すでに人に対して侮る物言いはすべてあの七三黒縁眼鏡鬼畜を基準にしているのかもしれない。
だとしたら他の誰に何を言われようと、ハシュはもう、このていどでは怯むこともできないだろう。
――おお、これは由々しき!
すっかり彼の口癖までうつった自分が悲しい……。
それはともかく。
彼ら文官が用意する書類を受け取ってしまえば、ハシュに課せられた本来の業務もこれで終わりだ。上官には明日に提出すると伝えているし――ええ……と、上官、ちゃんと了承してくれたよね?――、理論上、十月騎士団の伝書鳩としての役目も今日はこれで終い。
あとはハシュ個人が請け負ってしまった事柄……「クレイドル」を探し出し、自分の不出来? を詫びに十二月騎士団を訪ね、学長に謝罪して明日の出頭を願えばそれでいい。
何だかんだといって順調に進んでいるような気もする。
――終わりよければ、すべてよし。
世の中にはそのような言葉もある。言葉とはうまくできているものだと、ハシュは呑気に思ってしまう。




