監督生の奮闘! なのに、ハシュとバティアときたら……
十二月騎士団に所属する少年兵のための馬慣らしは歴とした騎馬隊列でもあるが、そのじつ、通称にふさわしいお散歩だ。
しかも監督生の前を歩き、監督生が安全を留意して見守る相手はそのなかでも乗馬そのものが初心者に近い少年兵の新入生ばかり。監督生も騎馬は得意ではあるが、自身も上級生に進級してまだ三ヵ月。一年かけて自分を磨き、成長させる側でもあった。
なので、お散歩の騎馬隊列の監督生として選ばれたのは誉だが、この時間はじつは目の行き届きに緊張が抜けない。
けれども、自分も前には……最先頭で隊列を率いているのは十二月騎士団団長本人!
性格は明るくて温厚で柔和。とても思慮深いで、監督生もこの上ない信頼を寄せている。
彼がいてくれれば安心できる。自分も何だかできそうだ、そんなふうに思えるからこそ、緊張の役割のなかでもどこか楽しむようにお散歩の隊列を最後方から見守ることもできていたというのに――。
――その彼……バティアが突然、隊列に「止まれ」の合図を出してきた。
理由はわからないが、最先頭が直截指示を出したのだ。よほどのことがあったのだろう。
監督生は即座にそれに従ったものの、重要な手順をすっ飛ばしてしまい、騎馬そのものに混乱はなく歩行は次第に止まっていったが、肝心の騎手である新入生たちがあまりにも突然すぎたことに対して驚愕し、動揺でいっぱいのようすを見せてしまう。
――ああッ、彼らを落ち着かせなければ!
監督生は新入生たちの動揺に自身も動揺し、青ざめたが、すぐに自分の成すべきことを熟すぞと意識を切り替える。
自分を立派になったと褒めてくださった、敬意する先輩――ハシュが前にいるのだ。合図のタイミングに失敗して、お散歩途中の新入生に動揺を与えてしまった。それを記憶に残されたまま帰すわけにはいかない!
監督生はなぜか咄嗟にそこにやる気を見出して、自身の騎馬だけを前へ歩かせて、脚を止めていく騎馬一騎ずつ、騎手である新入生たちに冷静な声をかけていく。
「――大丈夫! 手綱をしっかり握っていて」
そう。
騎乗する以上、それが何よりも重要だ。
「いまの口笛は騎馬たちを優先に止めるための合図なんだ。馬のほうが理解しているから、きみたちからも声を出して止まれの合図を出して」
「は、はい!」
「と、止まれッ」
「そう。あわてなくていいから」
止まれ、は新入生たちが声を出さずとも、すでに口笛の意味――軍馬一切号令を充分に理解している老兵軍馬たちが合図に従っているので、その脚もほとんどが止まっている。
だが、これはただのお散歩ではない。
乗馬することに慣れ、騎馬をコントロールすることに慣れ、騎乗そのものの理解することに慣れるための馬慣らしなので、自身の騎馬がすでに止まっていても新入生たちは自身から声を出して、騎手として命令することも学ばなければならない。
無論、すぐにできなくてもいい。
自分だってそうだったし、いまだって厳密にいえば号令を失敗してしまったのだ。
その穴埋めではないが、自分が彼らを守らなければ……と監督生は新入生たちの動揺を収めようとひとりひとりに声をかけ、指示と激励をする。
「ちゃんとできている。――うまいじゃないか」
どの顔も動揺が浮かび、青ざめてもいたが、それでも監督生の言うとおりに動いて指示を出せている。
「みんな、すごい上達だ!」
背筋は不安に丸まっているが、どの姿勢も落馬につながるような不安定はない。新入生たちが背の上でバランスを崩さないよう、老兵騎馬たちもきちんと配慮している。孫を守ろうという老爺たちは相変わらずのほほんとしている。
監督生はひとりひとりを丹念に見て、心底ほっとする。
そして――。
先ほどハシュがもっとも気にかけていた新入生のひとりに近づき、
「よくやった。ちゃんと手綱を握れているじゃないか!」
監督生はほとんど泣きそうな顔をしながらも、どうにかして周囲とおなじように騎馬に声をかけ、しっかり手綱を握って、その背の上で震えている新入生に声をかける。
新入生は叱られるのではないかと勘ちがいして、びくりと身体を揺らしたが、そうではないよ、と監督生は明るく笑う。
「ハシュ先輩から教わったことをもうきちんとこなせる。きみは覚えが速いな。やればできるじゃないか」
「こ……これで、いいのでしょうか……」
「もちろん」
「あ、ありがとうござい……」
新入生はよほど緊張していたのだろう。監督生に褒めてもらったことで気が緩んだのか、そのまま大粒の涙をこぼしてしまう。
頬を伝う涙が温かな嬉し泣きであれば……と思いながら、
「大丈夫、泣く必要なんかない。ちゃんとできたと、自分を褒めてやれ」
「う……うう……」
できることなら、先ほどハシュが見せたように彼を労うように肩を撫でてやったり、頭を撫でて安心させたかったが、監督生の技量では触れられる位置まで騎馬を寄せることは適わない。
乗馬している状態でそれを難なく、優しさを当たり前のようにできるハシュはやっぱりすごいなと思い、監督生は胸を温かくさせる。
そうして前後にいる彼の同期たちも声をかけ合って励まし、褒めてくる。
新入生は泣きながら、その言葉にうなずいていく。
――きっといい同期になるな、彼らは。
そう思い、監督生は改めて周囲をぐるりと見やる。
新入生だけで八騎。
自分と最先頭のバティアを含めて十騎の騎馬隊列は、さすがに直線状に歩いていたとおりに隊の足並みを止めることはできず、左右に、前後に、と騎馬の位置は乱れてしまったが、道を塞ぐほどものでもなかった。
これはひとえに老熟した老兵軍馬のおかげだろう。
隊列は無理に直す必要はない。
出発をはじめるときにきちんと指示して歩かせれば、それで隊列はまた直線状となるのだから。
――それよりも……。
結果として大きな混乱や怪我につながることがなかったので監督生はほっとしたが、急な「止まれ」の合図はこのようなことに容易につながってしまう。
それを知らぬバティアではないというのに、どうして、こんな……。
監督生は神妙な顔つきになる。
――ひょっとすると……。
この近辺に自分たちに危険を及ぼす可能性がある「何か」がいるのだろうか?
トゥブアン皇国は人々が暮らせる地域よりも、それが困難、あるいは手つかずのさまざまな条件の自然地域のほうが勝るので、多くの野生動物もじつは悠々と暮らしている。
そのなかで出会えば人に害を及ぼす、いわゆる獰猛な獣もすくなくないが、それらは人々が集中して暮らす皇都地域で目にすることはほとんどない。
無論、人家のない山野や草原ともなれば出くわすこともあるし、このお散歩の隊列が歩く道なりも周辺は森や林野だが、枝道の先には人の往来や小さな町もある五月騎士団の敷地があるので、危険な動物と出くわす可能性はかなり低い。
この地域での遭遇率は低いが、可能性があるのは――狼。
狼は群れで向かってくるので、追い払うのは厄介だ。
騎馬を全力疾走させれば逃げ切ることもできるが、いま、このお散歩の隊列の騎手はいずれも乗馬が初心者。老兵軍馬にしがみついて逃げろ、という号令を出してもできるかどうかも困難。むしろ、狼に襲われるよりも危険な行為だろう。
――でも……。
そういった獣の気配に聡いはずの老兵軍馬に、身の危険を悟る緊張はない。
では、獣の接近ではないとすると……?
トゥブアン皇国の国民性は根本的に気風がよく、陽気だ。
団結力や結束力もあって、誰も彼もが家族や友人のような感覚だ。
けれども――、その枠組みのなかにはどうしても当てはまらなく、あるいは自ら背を向けた者もいる。そういった者は相手に対し刃を向け、不当や暴力を向けてくることもあるのだ。
――もしかすると、夜盗や強盗の類……ッ?
これに考えがたどり着いてしまうと、さすがの監督生も緊張を覚える。
自分たちはまだ少年兵で、剣技や武芸の修練でなければ帯剣等の許可は下りない。
唯一、平素から武器の所持を可能としているのが十二月騎士団団長であるバティアだが、彼もいまはお散歩の最中なので無用なものは持たず、ちらりと見やる彼の腰もとには帯剣はない。
――つまり、いまの自分たちには身を守る術がない!
もし強盗の類に狙われはじめているのだとしても、金品など持ち合わせてもいない。だいたい、こんな雛鳥の集団を襲ったところで利点も何もないはずだ。
それどころか、十二月騎士団に所属する少年兵に万が一危害を加えようものなら、生涯先輩後輩の間柄となる残る十一の騎士団の大人たちが黙っていない。
報復は恐ろしいぞ、と以前、雑学か何かで教師陣が話していたことを思い出す。
でも――。
そういった手合いが近辺に潜んでいるのかどうかは判然つかないが、バティアが全身で警戒を露わにしているようすがない。
では、いったい。バティアは何を察してお散歩の隊列を止めたのだろう?
その理由さえわかれば……――。
監督生は自分では推論がまとまらず、バティアのほうを見やる。
とにかくつぎの動きにつながる指示が欲しい。与えてくれれば、可能なかぎり自分でもようやく落ち着いた新入生たちに指示も出せる。
だというのに――。
「――へ?」
それが目に入った瞬間……。
監督生は唖然、呆然としてしまい、目に映る状況に判断力がまったく追いつかず、どう正しく理解したらいいのかわからなくて動揺してしまった。
えっと、えっと……?
とりあえず自分を冷静に戻し、落ち着かせようとするがうまくいかず、目を大きく開いてまばたきを何度もくり返してしまう。
「バ……バティア先輩……いえ、団長……?」
監督生の目についたのは、自らお散歩の隊列に「止まれ」の指示を与えたというのに、それをまったく目に入れていない状態のバティアだった。
バティアがいま目に入れているのは、自らの両手でしっかりと握り、あるいは優しく包みこんでいる手の持ち主であるハシュだけ。互いに騎乗したまま大接近をして手を取り合い、見つめ合っている。
まったくもって周囲を気にするようすなどなく、突如ふたりだけの甘やかな世界に突入している光景に「どうしてそうなったッ」と監督生は驚愕してしまう。
「バ、バティア団長……ッ、え? 何で……ッ」
――握っている? いや、包みこんでいる?
――あれって、どう見ても別れを惜しんで握手をしている手付きじゃないよな?
――先輩たち、仲良かったもの。久しぶり再会して、すぐに別れが来るんじゃ離れがたいよな……って、そういう雰囲気じゃないよな、あれって!
――えッ? ハシュ先輩もバティア先輩もそういう仲だっけッ?
――いやいや、そういう関係だって聞いたこともないけど……。
――でもッ。
刹那、監督生の脳裏を駆けたのは、目の前で起こっている状況に対する理解しがたい解釈の数々だった。
――ハシュとバティア。
――二人の間柄は少年兵時代に出会ってからの、親友。
仲のよさは折り紙付きで、それを思えば脳裏を駆る目まぐるしい精査はどれも正しい。
だからふたりを非難する事柄などはまったくなかったのだが――、ハシュとバティアが……どちらかというとバティアのほうが一方的に離したくないようすで恋人の手を取る、それに近いしぐさで彼にとっての唯一無二の親友であるハシュの手を取っているものだから、どうしてそのような状況になってしまったのか。監督生は結論が絞り込めない。
何せ、
――手を取っているバティアも、手を取られているハシュも。
どちらも余りにも自然体なのだ。
少年期から青年期へと転じている危うい年ごろのバティアは、金髪碧眼の見目麗しい容姿に拍車をかけて見栄えがあるし、十二月騎士団の団長職を表す黒衣の軍装も高潔さを引き立ている。
何よりいまは白馬に騎乗しているものだから、これほど絵になる若き「騎士」はそうはお目にかかれないだろう。
一方のハシュは同期であり、快活な少年でありながら、明るく元気で優しげなところにどこかあどけなさが残っていて、どうして自分が親友に突然手を取られているのか状況がまったくわかっておらず、きょとんとした顔をしながらバティアを見つめているので、その純真さが奇妙な危うさを醸し出しているから困りものだ。
左目もとのほくろさえもきょとんと惚けたように見えてしまうので、絶妙な演出を放っている。
いま、皇都地域中の女性を騒がしているバティアが、ただひとりの親友だけに熱心な眼差しを向けている。彼女たちが彼らを目撃したら、まさに黄色い声を上げて卒倒するだろう。
その視線を見つめながら、きょとんとするしかないハシュのようすがまた堪らない。
監督生は何か恋物語を見ているような気分になって鼓動が奇妙に高鳴り、顔を真っ赤にしてしまう。
ただの親友――そう、ふたりの仲を知っている自分がこうなのだ。
それを知らず、ましてやふたりが並んでいるところをはじめて目にする新入生たちにとっては勘ちがいの要素しかなく、手を取り見つめ合う自然な姿がかえって刺激的だったようで、一同顔を真っ赤にさせている。
新入生たちだってもう十五歳だ。
いずれは必要な事柄になるだろうが、いまはまだ情操教育には早いかもしれないと監督生は思い、「顔を逸らせ!」と奇妙な気遣いの号令を出すべきか本気で悩みはじめてしまう。
――でも、バティア団長……。
まさかハシュの手を取るためだけに、後続の混乱も考えずにお散歩の隊列を止めたなんて……――。




