別れは辛いけど…… ハシュのお泊り打診
ほんとうは――。
このあと五月騎士団の内務府に向かうことを話したとき、ハシュにはもうひとつ伝えなければ……という事柄があって、いつそれを口にしようかと心のどこかで迷いを生じさせていた。
ほんの先ほどまで日々の愚痴を熱弁していた手前、頼みづらさがあるというか、互いに異なる目的地の岐路も近づいていたので、バティアとの別れを惜しみ、寂しいとさえ感じているのに……。
まさか、自分の不始末? のせいで、
――このあと、十二月騎士団まで行くことになっているんだ。
そこでまた会おうね、などと情緒台無しを告げるのもどうかと思えて、なかなか口も開きづらかった。
けれども、ハシュは課せられた悲劇からは逃れられない――。
ハシュは途端に緊張するように心臓をどきどきとさせながら、
「あと……別れ際にごめん。ひとつだけバティアにお願いがあるんだ」
「お願い? 俺でよければ何でも言って」
「……」
ハシュからの突然のお願いに、バティアが嬉しそうに微笑んでくる。
それを正面から受けるのはどうも心が痛むが、――ハシュも覚悟を決める。
「じつをいうと、このあと十二月騎士団に向かわなければならない用事があるんだ」
「――え?」
「そのあとに十月騎士団の自分の官舎に戻るのはさすがにできないから、用が終わったあと、どこでもいいから十二月騎士団に泊めてもらいたいんだ」
「え……?」
ハシュのいう官舎とは現在の自分の生活基盤の場所で、所属騎士団内にある独身寮……その官舎の一室にあって、広くはないがそこで日々の寝起きをし、敷地内にある食堂を利用したり、非番の日は爆睡をしたりして、同所属の文官たちや同期の伝書鳩たちとともに暮らしている。
ハシュの帰る場所はいま、ここしかない。
けれども、ハシュに夜の世界を渡ることはできない。
そのうえ二時間近くもかけて帰るのは到底困難。あまりにも不可能だった。
ハシュとしてはそこも踏まえてできるかぎり簡潔に話したのだが、バティアにしてみたらあまりにも想定外で突拍子もないことを言われてしまい、さすがに情報処理が追いつけないようすを見せてくる。
それまで笑んでいた表情が固まり、碧眼に怪訝が浮かぶ。
何度かゆっくりとまばたきをして、ハシュにもう一度言ってほしいと言外に伝えてくる。
――ですよねぇ……。
もう夕暮れがはじまっている時間帯に急な来訪を言われても困るよね、とハシュはバティアのおどろきを見て解釈するが、バティアのほうも誤解をさせてはいけないと思い、頭を振りながら、
「いや、泊まるのはかまわないんだけど。ハシュ、――きみがこれから行くのは五月騎士団だよね?」
「う、うん」
「その五月騎士団から、十二月騎士団まで足を伸ばすの?」
「うん。まぁ……いろいろあって」
「いろいろって……」
詳細に語ろうとはしないハシュに、バティアはいよいよ絶句する。
いろいろ、で五月騎士団と十二月騎士団は気軽に移動できる距離ではない。
バティアにしてみたら、この時点でハシュには五月騎士団の内務府に向かうどころか、大急ぎで身を翻して十月騎士団に戻ってもらいたいと真剣に思っている。
いま、お散歩の隊列を預かってさえいなければ、バティアは何が何でもハシュに同行しただろう。それほど心配する思いは強い。
先ほど予定を教えてもらった時点で、五月騎士団で用件を終えたころには空も日没している。世界は夜の色に染まってしまうというのに……。
それがどれだけハシュにとっては危険なのか――。
本人がいちばん理解しているはずなのに、なぜ、十月騎士団の伝達係である伝書鳩が夜間になる道のりを押してまで少年兵ばかりが集う十二月騎士団に赴こうとするのか。
バティアは脳裏にたくさんの推測を高速で泳がせて、いちばん近い理由を掴まえる。途端に表情を険しくさせて、
「――まさか、国事に変事でも?」
「へ?」
まさかの問いに、今度はハシュが目を大きく見開いてしまう。
こんなふうにハシュとバティアが過ごしていると、トゥブアン皇国は一見して平和でのどかに受け取れるが、その時間はかぎりなく短く、皇国に国事、国政、軍事を受け持つ十二の騎士団を要するほど平和ではない時間のときのほうが遥かに多い。
ここ直近でいうと、七年前の話になるが――。
当時、西の大陸でもっとも権力を有する「シャトラリス聖皇国」が同盟国の軍船団を引き連れて大規模な海戦を仕掛けてきたとき、トゥブアン皇国の最初で最後の砦となる海軍騎士の七月騎士団が緒戦時からまさかの大苦戦を強いられ、中盤に差しかかるころには学徒出陣の用意を「決断の長」である十月騎士団団長が下して、当時の十二月騎士団団長はまだ少年兵である後輩たちの出兵要請に酷く苦悩したと聞かされている。
本来であれば、全寮制の学校のようなところである十二月騎士団に十月騎士団の伝書鳩が何かを伝えに来るということはない。
それが来るというのは――。
何か一大事が発動した、そうと捉えておけと団長就任後、バティアは教官や教師陣たちから教えられている。
バティアはそう解釈して聞き返してきたのだが、ハシュにしてみればそれこそとんでもない誤解だった。戦争だなんてとんでもない! ハシュが抱える現実とはまったく異なりすぎている。
だが、バティアは何かを覚悟したように顔を険しくしたまま、
「それはいま、聞くわけにはいかないの?」
などと真剣に尋ねてくるので、戦時発動の知らせだろうかとすっかり勘ちがいしているバティアに、ハシュは完全否定の意味で頭を振り、
「い、いや、そういう話じゃないんだ。ほんとうに」
「でも、来るにしても夜なんだよ? ハシュ、無理はしないで。いま聞くことができるのなら、俺が全部聞くから」
「そ、それは……」
「それとも十二月騎士団団長では、ハシュの用件は務まらない?」
「う……」
バティアが切なげに自分の立場を強調して尋ねてくる。
とんでもない言葉の剣を向けられてしまい、今度はハシュが言葉を詰まらせてしまう。
「いや……その、何ていうか……端的に言うと、学長に直截お会いしないとならない用件があって……」
「学長に? それって――」
十二月騎士団団長がしっかりしていれば直截話も伺えたものの、未熟と先方に判断されたため、他の騎士団でいえば次長の立場にあたる学長がかわりに話を聞くことになる――そういうことなのだろうか。
せっかくハシュが目の前にいるというのに……。
いまの自分ではハシュの役には立てない……――。
バティアはそんなふうに自分を評価してしまう。そのまま不甲斐なさに下唇を噛んでしまうが、それこそとんでもない思いちがいだ。
バティアの表情を見れば、いま何を考えているのかくらいハシュにだってわかる。だから、ほんとうにそうではないのだと伝えるためにハシュは全力で頭を振り、
「あ、あのねッ、俺、伝書鳩だから口を塞ぐときは塞ぐしかないけど、そうじゃないんだッ」
――でも、これって……。
――バティアの考えを肯定しているような言い方だよね。
言ったあとでそれに気がつき、しまった、とハシュは左右に目を泳がせてしまうが、
「そのッ、直截お会いする必要があるのは書類を手渡すのではなくて、先方から承ったお言葉を直截お伝えしなければならないわけで……」
「……それこそ、今日でなければならないこと?」
「そ、それは……」
珍しくバティアが食い下がる。
その碧眼と目が合ったら最後、ハシュは職務規定を越えてしまいそうになる。堪えようとできるかぎり目を泳がせながら、最後には耐えきれずにぎゅっと目を閉じてしまう。
「……ごめん。刻限付きの厳命だから、これ以上は言えない」
「……」
――本音をいえば……。
数百人規模の少年兵が集う十二月騎士団の全寮生活には、教鞭を取る多くの教官や教師陣、彼らの生活を支える多くの寮母や家政従事者たちも一同に寮となる棟に住み込み、ともに暮らしている。
それは「教免の長」である学長もおなじなので、その彼が居る敷地に戻ろうとするバティアにひと言、
――学長に明日の朝一番に、四月騎士団の庁舎を訪ねるよう伝えてほしい。
これだけの言葉数を託して、確実に伝えてくれるようお願いすれば、ハシュがわざわざ夜道を押してまで十二月騎士団に向かう必要もなくなる。
例えばこれがお散歩の隊列を最後方から見守っている監督生が相手なら、さすがのハシュも頼みはしないが、バティアはハシュにとってはもっとも信頼できる親友であり、何より十二月騎士団を束ねる団長本人だ。
これほど頼りになる人材がいま、ハシュの目の前にいるというのに――。
だが、それだけはできない。絶対に。
相手が誰であろうと自分以外を伝言役に使ってしまったら最後、ハシュは十月騎士団の伝達係としての、伝書鳩の意義と信頼を自ら失墜させることになってしまう。
例え、七三黒縁眼鏡鬼畜の非道な思いつきの伝言であろうと、ハシュが個人として、同時に伝書鳩として直截伝えるよう命じられてしまった以上、ハシュが自身で完遂しなければならない。
これは職務規定云々、ハシュにはすでに伝書鳩としての矜持がある。
その矜持を「承った」などひと言も言っていないというのに、あの七三黒縁眼鏡鬼畜のために発動させなければならないのは癪で、癪でたまらないが……。
「だから、そういう事情があって今夜、食堂の長椅子の上でもいいから泊めてもらいたくて……」
どうして七三黒縁眼鏡鬼畜のせいで、バティアと言い合いのようになってしまうのだろう?
これでバティアと喧嘩にでもなったら、絶対に呪ってやるッ!
今度はハシュのほうも下唇を噛んでしまう。
伝書鳩が厳命だと言いきってしまえば、バティアもいよいよあきらめざるを得ない。ハシュから申し訳なさでいっぱいの気配が浮かぶ。それをさせてしまったことが酷く切ない。
――これが実際の現場で働く、ハシュたち伝達係なのか……。
先ほどハシュが語ってくれた愚痴はとても口調がかるかったので、そのようなものなのかと思えたが、彼らが日々、どれほどのものを背負って皇都地域中を奔走しているのか。
バティアはようやく実感するように理解して、尊重して、尊敬して、小さくうなずく。
その刹那――。
ハシュが無理をしてまで尋ねに来る目的が自分ではない、それを思うとバティアの胸が切なく軋む。
残念だ、と奇妙に痛むそこに手を当ててしまう。
そして――。
聞けないのならもう口にすべきではないと判断して、その意味で了解したとうなずいてくれた。
「――わかった。激務のハシュがゆっくり休めるよう、寮母さんに伝えておくよ。来客用の部屋を用意してもらうから」
「え?」
「夕飯は来てから食べる……でいいのかな? ハシュひとり分ならどんなリクエストにでも応えてくれるだろうから、それくらいは聞いてもいいかな?」
「え……えっと……」
方針が決まると、バティアの手早さはこんなふうに動いてしまう。
食事のことまで考えていなかったので、ハシュは一瞬釣られて「何食べようかな?」などと、全寮生活のなかで好物になった料理のいくつかを頭のなかに浮かべるが、
――でも、待って?
「いや、来客室はちょっと……」
ハシュとしては寝泊まりさえできればどこでもよかった。
さすがに少年兵だったころバティアと使用していた部屋はもう、つぎの後輩たちが活用しているので、ハシュに使えるような部屋はもうどこにもない。
咄嗟に浮かんだ他の寝床が食堂の長椅子だけど、これは完全に揶揄だった。
口に出してしまうと、ほんの先ほどまで二年間を過ごした十二月騎士団での時間が懐かしく思えて、ちょっとした里帰り気分にもなったが、
「だって、あそこは出るって……」
ハシュは口ごもる。
ハシュとしては伝書鳩など体のいい使いっぱしりていどにしか思えていないが、世間的には文官の騎士団では最高峰を誇る十月騎士団に所属する文官騎士を、新人とはいえ疎かにできるはずがない。そういう認識が強い。
しかもハシュは、バティアにとっては何より大切な親友だ。
その配慮と敬意で来客室を提案してくれたのだろうけど、――あそこにはそういう噂が流れている。
無論、噂に過ぎないのだろうが、じつをいうと寄宿舎には他にもさまざまな噂があって、三ヵ月前までそこで過ごしたハシュにはまだ身近すぎて、充分な尻込みに値してしまう。
だって……。
来客室での「出る」は、その噂のなかでも有力説の筆頭だ。
何がどう出るのかは怖くてこれ以上脳裏に浮かべたくもないが、そうやってどんどんと顔色を変えていくハシュにバティアが微笑する。
「大丈夫だよ、ハシュ。あの棟には俺の団長私室もあるし、毎晩夜の廊下を歩いているけど、ハシュをそんな顔にしてしまうモノと遭遇したことなんかないよ」
「で、でも……」
もしかすると、それはバティアだからおどかし甲斐がないだけで、さぞ甲斐もあるだろうハシュならば、絶対に奴らは嬉々として姿を現すはず。
そう思うだけでハシュは、ぞぞぞ、と盛大な身震いをしてしまうが、
「もしそうだとしたら、これを機に俺が成敗するよ。ハシュを怖がらせたくはないし、きみの安全は俺が護る。それにひとつでも怖い噂が消えれば、後輩たちも安心するだろうし」
「バティアって、そういうところで奇妙に張りきるよね?」
「ええ? そうかな?」
本人に自覚はないようだが、いまのバティアは妙に楽しげな顔をしている。
バティアは怖くないのだろうか?
そうやってすぐにハシュを護ろうとしてくれるのはいいが、そういった率先さが要らぬ気苦労を背負う羽目になる原因なのかもしれない。
もしかするとバティアの気質は裏方向きなのかもしれない。いまになってハシュは思う。
それはともかく――。
ハシュは来客室だけは頑なに拒んだ。
毛布さえ貸してくれれば、あとは……というと、バティアが困ったように降参してくる。
「じゃあ、気に入った部屋をそのときに用意してもらう。それでいい?」
「う、うん。――ごめん。急に頼みこんでおきながら、何だか我儘いっちゃって」
「かまわないよ。毛布にくるまったハシュを寝不足にさせるわけにはいかないから、ハシュは好きな場所を選んで。勿論、食堂の長椅子は許可しないけど」
「好きな場所、かぁ」
言われても、ハシュが思い出せるそういった場所はバティアとずっと過ごした部屋以外には思い浮かばない。他に馴染みのある部屋はあっただろうか?
とりあえず、ハシュはこの交渉成立に安堵した。
あとは――。
五月騎士団の内務府で書類を受け取って、できれば人探しの「クレイドル」情報を集めて、それから……十二月騎士団まで行って、とにかく奇妙なことに巻き込んでごめんなさいと学長に謝って……。
うーん、夕ご飯はどうしよう?
などと考えながら、ハシュはハッとする。
――うわ、もう夕暮れだっていうのに。
何でこんなにもやることが残っているんだろう?
まったく。一日がもうじき終わろうとしているのに、なぜ自分にはこんなにもやることがあるんだろう。おかしい、絶対におかしい。
それでもハシュは、よし、と声を出して、気合を入れるようにかるく自身の頬を叩いた。引き締まった頬からは、ぺちぺち、といい音がする。
どうしてそんなしぐさひとつとっても、ハシュはハシュらしくて、可愛らしいのだろうか。
ついに耐えきれず、バティアも笑ってしまう。
「じゃあ、ハシュ。――まずは気をつけて。待っているから」
「ありがとう。早くに帰れないと思うけど」
「途中まで迎えに行こうか? そのほうがいいよね」
「あはは、大丈夫だって」
本来であれば、ここで交わす言葉は「また、いつか」という別れの挨拶だった。それも会える確約のない、ほんとうにまた偶然のようないつか――。
けれども今日はあの七三黒縁眼鏡鬼畜……四月騎士団団長という不慮の事故のおかげでバティアに会うことができて、しかもバティアのもとで――正確には十二月騎士団に、という意味だが、バティアがそこにいるのだから表現的にはあまり変わりがないだろうというのがハシュの持論――一泊することができる機会も得た。
不幸中の幸いとは、きっとこういうことを指すのだろう。
――会ってしまえば懐かしくて、また会いたくなる。
この気持ちにそれ以上も以下もないが、また会えると思うだけで心が弾むような感覚になるのは、ハシュとバティア、どちらの気持ちだろうか。
ようやくのことで騎手から「行くよ」という指示を受ける。
ハシュが騎乗する軍馬の栗毛色はやっとかと思い、疾走に再熱を込めようと意気込むが、――どういうわけか。それは栗毛色が見据える前方にではなく、なぜか大きな反転をするように指示を受けた。つまり、回れ右。
栗毛色は怪訝に思う。
この伝書鳩が急ぎ目指すのは、進んできた前方だというのに……。
おい、と思ったが、栗毛色の疑問にハシュがくすくすと笑い、悪戯っぽく耳打ちしてくる。
「……ねぇ、ちょっとだけカッコつけてね」
「……」
――は?




