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武官と文官 トゥブアン皇国の「騎士」システム

 ――武官、とは。


 文字どおり、武芸の第一である剣技や馬術、体術に長け、戦闘に従事する武芸達者のことを指し、所属は武官騎士が集う一月、二月、六月、七月、八月、十一月騎士団のことを指す。


 ――一方、文官、とは。


 最低限の武芸は少年兵を育成する十二月騎士団所属時代に修養して身につけたものの、修了後は主に政治面で国を動かす頭脳集団のことを指し、所属は文官騎士が集う四月、五月、十月騎士団のことを指し、一部の騎士団は国府とも称されている。


 ――このトゥブアン皇国では「騎士」がそのように二分。


 そうして皇国と国民を支え、皇国の頂点に立つ唯一皇帝に永遠の忠誠を誓っている。



□ □



 ハシュが幼いころから「武官」の騎士に憧れていたのは、家族も周囲も知っている。

 誰もがその一途な努力を見て、応援してきた。

 けれども――そんなハシュを「文官」として欲しがったのが晴れがましいことに十月騎士団だったものだから、母や親戚は歓喜に泣いて祝福してくれたし、年の離れた兄もまさかの騎士団に驚愕しつつも喜んでくれたので、こんなふうに身内が心底喜々に湧くこと自体はハシュも嬉しかったが、――それでも採用通知を受けた当人のハシュだけは現実に打ちのめされて、膝をついて、その辞令書を握りしめて落胆した。


 ――けっして、十月騎士団そのものに不満があるわけではない。


 トゥブアン皇国に十二ある騎士団のなかで直截望まれて入団したのだから、きっとそれ相応の才覚が自分にもあったのだろう。


 ――出世栄達まちがいなしと謳われる、十月騎士団。


 けれどもそれは「武官」の最高峰ではなくて、「文官」の最高峰。

 この皇国の重大な採決を唯一決断できる「決断の長」が座する騎士団なのだから、本来ならこれ以上にめでたい採用はないだろう。

 でもハシュは「武官」としての騎士になりたくて、これまで努力を重ねてきたのだ!

 最初の未来の着地地点が「文官」なんて、冗談じゃない!

 年だって、まだ十七歳。

 これから成人を迎えて、長きにわたり活躍できる若さと希望で満ち溢れているというのに、現実に「文官に才あり」と烙印を捺されるなんて……ッ。


 ――それは言いかえれば、「武官に才なし」と烙印を捺されたようなもの。


 これがどれだけ悔しくて、落胆に値したことか。

 だが――武官、文官に関わらず、どの騎士団も入団後は永久所属になるともかぎらないので、何年かの割合で、あるいは成長の兆し、あるいはその時勢にもっとも必要とされる持ち前の能力を買われて、転属辞令が下ることもすくなくはない。

 武官から文官。

 文官から武官。

 前者はともかく、後者の転属はあまり聞いたことはないが、それでも才覚があれば書類から剣へと握る武器が変わることもあり得なくもない。


 ――もし、その転属が巡って武官になることができたら……?


 武官騎士としてのスタートは同期と比べれば遅くなってはしまうものの、ハシュは憧れつづけたそこに着地することができる。

 そのためにもまずは現時点で与えられた職務を正しくまっとうし、それを評価してもらい、同時に時間のあるかぎり剣技の鍛錬も欠かさずつづけて転属試験に合格することができれば!


「そうだよッ」


 ――夢を捨てるには、まだ早い!

 ――だって俺は、まだ十七歳なんだから!


 どんな状況でも前向きに。

 どうせ最初から念願叶って武官の騎士団に入団できたとしても、所詮はまだ成人に満たぬ――トゥブアン皇国では十八歳が正式成人年齢で、少年兵を修了する時期では未成年の年齢である十七歳がほとんど――新人だ。

 戦地に赴く必要性がないかぎり、訓練と鍛錬の日々ばかりで数年は過ごすことになるだろう。

 それは捻くれた言い方をすれば、少年兵として鍛錬に明け暮れていた十二月騎士団に所属していたときとさほど変わりもないはず。

 そこで「ああ、早く一人前の武官になりたい!」「武官として、早く武功を立てたい!」と心を燻ぶらせているくらいなら、潔く文官として世間の厳しさに揉まれて、経験だけは多く積んでいたほうがよほど健全だ。

 そうやって腹を括り、落胆から顔を上げたというのにッ。


 ――この三ヵ月!


 十月騎士団の新人文官として避けては通れぬ目まぐるしい日々に飛び交うのは、蝗の大群を連想させてくる書類という魔物。


 ――決議のためには、裁可の判を!

 ――採用案を遂行させるには、認可の判を!

 ――あれもこれも、判子、判子!

 ――決定を得るためには、とにかく承認の判を!


「何だろう……世の中の真実、見ちゃったような気がする……」


 ハシュは、自分が憧れてきた「騎士」を支えているのは己の技量である剣技と高潔なる魂ではなく、じつはそれが円滑に活躍できるようにあらゆる方向から後方支援を行う文官たちの最大の武器「上官の判子」だということを思い知ってしまう。


 ――世の中のすべては、採決の判子がモノを言うのだ!


 それがどれほど重要案件な書類であろうと、その書類に最高責任者の裁可の押印が捺されなければ、ただの絵空事。


 ――世の中とは、とんでもない現実によって支えられている!


 その現実がハシュに真実を早々に悟らせ、身を持って学ばせようと軍船の砲門から放たれる砲弾、あるいは草原の戦闘で放たれる弓矢の雨以上の脅威で目の前に飛び交っている。

 さしずめそれは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈と何ら差異はなかった。

 いや――。

 案件さえあれば永劫増殖する書類より、退治さえすれば確実に目の前から消えるだろう魑魅魍魎のほうが、よほど可愛げがあったかもしれない。



□ □



 一見して複雑そうにも見えるが、覚えてしまえばけっして難ではない一片の距離が長い屋根付きの回廊をいくつか渡る。

 ハシュが所属している十月騎士団の庁舎はすでに長い年月を経ているが、その時間を感じさせない赤煉瓦を主軸に建築されている。

 素材の性能上、建物に仰ぐような高さはないが――もともとトゥブアン皇国には高層を感じさせる建物は存在しない。どの建物も平均的に天井の高さを感じさせる二階建てていどがほとんど――、管理敷地が広大なため、本庁舎をはじめ、多くの別庁舎も存在するので、主要な建物は緑豊かな中庭や整地された池、散歩するのにちょうどいい庭園のような風景を眺めながら渡ることのできる回廊でつながっている。

 このほかにもいくつもの資料館や図書館、十月騎士団に所属する文官たちの官舎や食堂などもあるので、用件をひとつこなすにしても足を運ぶ向きや回廊の行先、作業の手順をまちがってしまうと大変なことになる。

 ここの敷地内だけでも、建物を往復する作業は相当な歩数を要するのだ。

 だが、三ヵ月も散々に敷地内を歩きまわっていれば、建物の位置や部署も最短の足どりで手際よく回れるルートも即座に脳裏に閃くようになるので、ハシュもさすがにもう迷うことはない。


 ――だって……。


 そもそも、新人文官騎士として配属された初日。教育係である上官に、


『二時間――時間をやる。すべての建物内にある部署や部屋の間取りを今日中に覚える必要はないが、十月騎士団の敷地内にある建物とその位置はすべて正確に覚えろ。猶予時間後、見取り図を描いてもらうからな!』


 と言われて、文官特有のノリとでもいうのだろうか、「知識は当然、頭の回転、記憶力と応用力があっての文官だ!」と言わんばかりの研修からはじまったのだ。

 幸い、これに落第した新人文官はハシュを含めてここ数年ほど出ていないというが、初日からのこの要求が過剰ではなく最低基準というのだから、文官の存在もけっして侮れない。

 そうやって覚えた主要な建物を中心に、いまも書類を手にする文官たちの行き交う姿も多く見られた回廊だったが、次第にその姿もまばらになり、気がつけばハシュだけが離れた回廊を歩いていた。

 庭園の木々は秋特有の色味を見せる黄葉へと染まり出し、夏の名残である緑葉と不思議なバランスを見せている。

 ハシュはそれを見やりながら回廊を渡り歩く区間が終わってもまだ進む足を止めず、いつしか直截地面を踏み歩いていた。


 ――土のにおいが濃いな……。


「そういえば、昨日は夜に急な雨が降っていたっけ?」


 などとつぶやきながら、ハシュは敷地内の厩舎へと向かっていた。

 十月騎士団の本庁舎をはじめとする建物だけを渡り歩くのであれば、自身の足をとにかく駆使するだけで済むのだが、その範囲がここを含めた十二ある各騎士団の庁舎を巡る規模となるとそうはいかない。

 地図上で一見すれば、それらは皇都を中心にまとまっているが、いざ正確に距離を測るとなるとひとつひとつはずいぶんと離れており、平均して片道だけでも騎馬を用いても一時間はかかる。

 ハシュが厩舎に向かっているのは、各騎士団庁舎に書類を届け、受け取り、それを持ち帰ることを業務とする十月騎士団の伝達係――通称・伝書鳩に課せられた言いつけを業務時間内に遂行するには、人間の足だけでは時間に間に合わないからだ。

 むしろ、ハシュたち伝書鳩は騎馬の脚力を借りて皇都中を駆け回ることのほうが多い。

 そうやって一日中、書類を求めて出払っているので、往復に二時間かかろうが、用件を言いつけられた騎士団の庁舎が真逆にあろうが、ここ十月騎士団の門を抜ければどこであろうと「ついで」に行ってこいという鬼畜な移動案件が発生してしまうので、十月騎士団は文官の騎士団でありながら、意外と騎馬を乗りこなす馬術が必要な面も持ち合わせていたりする。

 とくにハシュは馬術が得意なので、このところ遠めの用向きを集中して喰らっているような気もするのだ。


 ――それでも最初は、なかなか要領が掴めなくて……。


 新人文官の伝書鳩たちは、ほとんど泣きながら騎馬を全力疾走させて書類の受け渡しに命を懸けさせられていたものだ。

 ハシュも散々に泣きべそをかきながら「刻限までに書類を持ち帰らなきゃッ」とわめき、しっかりと通過儀礼を味わっている。


「……ま、馬に乗るのは嫌いじゃないからいいけど」


 言って、ハシュは何とも言えぬ心境でため息をつく。

 厩舎は近い。

 特有のにおいが鼻についてきた。

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