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ハシュという極星 そして事態が動く

「――なるほど、ね」


 ハシュの涙はまだ止まらない。

 頭のなかだって、まだぐちゃぐちゃだ。

 それでもゆっくりでいいからお話しできるかな、と問われてうなずき、これまでの一切を隠さず語った。うまく話せたかどうかはわからないが、それは周囲の衛兵たちが機敏に情報を組み合わせて理解する。

 端的に言うとハシュは昨日、四月騎士団団長からある人物を探して連れてこいと命令……依頼を受け、見ず知らずの相手、「クレイドル」を探すことになった。

 だがそれは、ハシュの一存ではけっして対面も叶わない、この皇宮の奥にある内宮で唯一皇帝の身辺警護を行っている二月騎士団団長の名。

 唯一の手がかりは名前だけのはずだったのに、よくひと晩で正確な人物を特定できたものだな、と衛兵たちは感心するが、その「クレイドル」に会うためには皇宮諸事の一切を取り仕切る統括の長である四月騎士団団長の許可が必要。

 だからハシュは許可を求めて、多くの協力者の手紙を味方に彼を訪ねたのだが……。


「ロワ団長と会えなくて、意気消沈ということか」


 これは恐ろしいくらいに耳を疑う表現だったが、事実としてハシュは泣いてしまった。ハシュだって認めるもの癪だったが、タオルで顔を押さえながらうなずく。

 だが……と、衛兵たちは思う。


 ――腑に落ちないのは、現在、四月騎士団団長は公務で皇宮を離れているということ。


 皇宮にはいくつか外部からの出入りを許可する門があって、一般的に外部からの用向きがある騎士たちは御用門を通り、外部から招かれた相手は公用門を通る。

 皇宮に所属する一月、二月、四月騎士団は出門を通るのが一般的だが、どの門から誰が出入りするのか。それは衛兵たちが厳しく管理するので情報はすぐに耳に届くのだが、――今日、四月騎士団団長が皇宮から外出したという話は届いていない。

 裏付けるように、今朝早くに十二月騎士団に所属する教免の長……学長が久方ぶりに皇宮を訪ねたが、恩師の帰りもまた耳には届いていない。

 つまり、ハシュは何らかの事情で意図的に「やられた」ということになる。

 そうとも知らずに「自分の勇み足が悪いんです」と泣きながら語るハシュを見ていると、あまりにも気の毒でならないが、ハシュがそうやって自分だけに非があると言ってしまうのはちがうようにも感じられる。

 そう――。


 ――文官はどうしてややこしい面倒事ばかり起こすのだろう?


 ひとつ何かに出くわせば、見事謎解きが必要な遠回しがはじまってしまう。

 とくに四月騎士団団長はとんだ食わせ者だから、おなじ皇宮内に所属し、管轄管理される武官の一月、二月騎士団も辟易ばかり。

 彼らがそうなのだから、伝書鳩となってまだ三ヵ月の少年がすべての事柄を正しく理解して動こうなど、できるはずもない。


「大丈夫だよ、ハシュ。ロワ団長との約束は明日なんだ。だったら今日、すこしすれちがったところで何のまちがいも起きていない。泣く必要はないよ」

「むしろ、与えられた依頼に対してきちんと挑み、今日もそのために前に進もうと足を動かしたんだ。まっすぐがんばっている自分を褒めなさい」

「……う……っ、そ……そうで……しょう……か?」


 嗚咽の合間にハシュは尋ねる。

 声音が疑問に満ちているのがかわいそうでならない。

 衛兵たちは優しくハシュを労う一方で、こればかりは仕方がない、と誰もが思う。

 ハシュの話す詳細な内容は聞いてもどこにも泣く必要などないし、ら喰いタンに暮れるのもまだ早すぎると思われた。

 そして――。

 昨日の今日で、どうしたらそんなにも多くのことを経験できるのか、いまは口にこそ出さないが誰もが羨ましいと思ってしまう。

 親友が団長を務める十二月騎士団が魅せてくれた、ランタン騎馬隊。

 思えば、確かに修了してからは足を向けることもなかった学舎。教免たち師は思い出で終わったわけではなく、ときおりでいいから教え子たちが訪ねてこないかと待っているなんて聞かされたら、何だか当時が酷く懐かしくなってしまう。

 後輩たちの前で団長と競馬の一騎打ち。

 これはぜひ見てみたかった!

 そしておどろくことに、あの「決断の長」である十月騎士団団長とは同郷の幼馴染だとは!

 そこに同席していた七月騎士団団長と「ポレット仲間」になるなんて、この子はいったい、どんな星回りをしているのだろう?

 泣きながら話をしても、ハシュの言葉には誠意や感謝、温かいものが含まれているので聞いて飽きがこない。

 ハシュがこんな状態でなければ、もっと話を聞かせてほしいところだ。


 ――きっと……。


 ハシュがこんなにも途端に混乱してしまったのは、予定していた事態があまりにも急変しすぎて、対処する術がよくわからなかったのだろう。


 ――これは勇み足云々、臨機応変の経験がハシュにはまだまだ不足している。


 衛兵たちも一月騎士団という狭き門を自力で開くまでは、多くの成功と失敗をくり返し、自分なりの感覚を掴むまで苦労してきたので、経験と学びは一朝一夕で得られるものではないと重々理解している。

 ハシュの涙もそうやって成長のひとつになれば……。


「明日がどうなるのか。それは私たちにはわからないし、ロワ団長が仕掛けた真意もわからない。ハシュには武運を祈るとしか言えないのが残念だけど、きみにはきっとそういう星回りがあるんだと思う」

「……ほし……?」

「きみが誰かに左右されるのか、それともきみが誰かを左右するのか。それはわからないけど、――ハシュを見ていると不思議な極星のようにも感じられる」

「……」


 自分が星に例えられたのは、はじめての事柄だった。

 それも極星だなんて――。

 ハシュは不思議に思い、ずっと伏せていた顔をタオルから外す。

 鼻をすすりながら泣き腫らした目で衛兵たちを見やり、やっぱりすこしだけ気恥ずかしくなって、ハシュはふたたびタオルで顔を隠してしまうが、


「そ……そんなこと、ない……です」

「そうかな?」

「そうです……よ。だって、俺は……」


 いつだって皇都地域を右往左往と慌ただしく奔走している伝書鳩でしかない。

 極星というよりは、日々書類の受け渡しに走り回る伝書鳩らしく、公転自転の周期が忙しい、そんな動いてばかりいる星のほうがよほど似合っている気がする。

 そういう例えはバティアのほうが似合っているし、それに……。


 ――口では散々愚痴も漏らしていても、その奔走も……嫌いではない。


 ただし!

 その奔走を容赦なくさせる、あの七三黒縁眼鏡鬼畜は大嫌いだが!

 ハシュはようやく脳内でそんな憤懣を吐き散らす。

 それをすることによって、やっと涙が止まってきた。

 ハシュはそのまま大きく深呼吸する。


「……今日は、ほんとうにすみませんでした。俺、泣くつもりは……なかったんです。でも――」

「――ハシュ」

「!」


 まずは、自分の過ぎた勇み足で皇宮を騒がせてしまった。

 衛兵のお兄さんたちだって本来の務めがあるというのに、自分が子どものように酷く泣くから気の毒がって、こうして慰めてくれて、その手間を取らせてしまった。

 これは天地も仰天する破格の待遇だ。

 ハシュはあらたまって詫びようとしたが、その前に顔を上げた瞬間、となりに座る衛兵の優美な人差し指が伸びて、ハシュの唇に「ちょん」と触れてくる。

 突然のことにハシュは目を見開いておどろいてしまったが、


「決着はまだついていないんだよ。口にして終わらせるにはまだ早い」

「……ふぇ?」


 唇に白手袋をはめた指が触れているので、漏れた声は少々奇妙になってしまったが、かまわず衛兵が微笑む。


「そうだね。――星の動きに勇みはないんだ。だから、これも必要な回りなのかもしれない。このあとのことは、誰か相談できる相手はいるかな?」

「……え……っと」


 できることなら何か手伝ってやりたいが、衛兵たちはあまりにも部外者すぎる。それがすこし残念に思えた。

 ハシュは問われて考える。

 今日いちばんの功労者であるユーボットは、十月騎士団団長としての公務に忙殺されているころだろう。気易く来てかまわないと言われても、やっぱり足は向けられない。

 これを知っているのは他に秘書官だが、彼も忙殺に付き合う身だから手間を取らせるわけにはいかない。

 だとすると……。

 今日の夕食時にいろいろ語ろうと約束した、同期の伝書鳩がいる。

 きっとその席はおなじ伝書鳩たちに囲まれるだろうから、これを話したらきっと奇策が出てくるかもしれない。


 ――その前に、存分に笑われる……。

 ――いや、この出来事を信じてもらえないかもしれないが。


 ハシュは面々を思い浮かべながら、すこしだけ口もとを緩めてうなずく。

 その表情でハシュには優しい周囲がいると察することができたので、衛兵たちもほっとする。


「さて、お茶もすっかり冷めてしまったね。新しいものを用意するから、それを飲んでから出立しなさい」

「え、ええっと、そんな、大丈夫です。俺は冷たいものでも飲めますから!」


 あわてて恐縮するハシュにいつものようすが戻ってきたと見えて、周囲は堪らず笑ってしまう。

 そんなときだった。



□ □



 ハシュたちが腰を下ろす詰め所の居間に、ひとりの衛兵が何やらあわてたようすで訪ね、ハシュに声をかけてきた。


「……え?」


 ハシュは最初、何が起こったのかうまく理解できず、何度も激しくまばたいてしまったが、衛兵はかまわず、


「四月騎士団の文官がきみを訪ねてきたんだ。帰っていなかったら、どうしても受け取りたいものがあるって言って」

「受け取りたいもの……?」


 ハシュは四月騎士団から半ば追い返されたというのに、その自分に誰が何に用で「何」を受け取りたいというのだろうか?

 ハシュは何も持っていないというのに……。


 ――何も?


 いや、四月騎士団に渡せるものがあるとしたら、それは――。

 ハシュはあわてて立ち上がり、この詰め所の玄関口まで走る。

 誰だろうと思い、もう一度袖で涙を拭いながら顔をまっすぐ向けると、先ほどハシュに四月騎士団団長が外出している旨を伝えた文官が立っているではないか。

 ひょっとすると、彼は走ってここまで来たのだろうか?

 大きく息を乱しながら、ハシュと会話をするために何度も深呼吸をして気息を整えようとしている。

 文官はハシュの姿を見るなり心底安心したようすで大きく息を吐ききり、


「――よかった、まだいてくれて」


 その言葉の意味がわからず、ハシュがきょとんとしてしまうと、


「ロワ団長がいま帰庁されてね。面会の時間は取れないけど、十月騎士団団長から直截受け取るよう頼まれた手紙があるのを知って、私にその手紙を預かるよう仰せになられたんだ」

「え……?」


 あまりにも突然のことに理解が追いつかず、ハシュはきょとんとしたまま。

 それもそうだろうと、向かい合う文官も申し訳なさそうな表情を浮かべ、だがすぐにハシュを安心させるように表情を変え、


「本来であれば直截きみが渡さなければならないけど、ロワ団長から許可をいただいたから、私がそれを受け取ることができる」

「それって……」

「先ほどきみが手にしていた手紙のことだよ。――まだ、きちんと持っているね?」

「え……ええ」


 何だろう?

 ここにきて、また事態が急変しようとしている。

 でも、手紙を文官に渡すことはできない。

 それをしてしまったらハシュが通そうとした意義が、伝書鳩の意義がなくなってしまう。だからハシュは引き下がり、どうしたらいいのかわからず泣いてしまったというのに……。

 ハシュはまだ事態をうまく受け止めることができず、戸惑ってしまうが、


「きみは真面目でいい子だから、これを不服に思うかもしれない。でも、私はきみが直截手紙を渡すのとおなじ意義で、ロワ団長にお渡しするよ」

「でも……」

「これは四月騎士団に所属する文官全員が、きみに誓うよ。かならず伝書鳩くんの意義を損なうことなく手紙を渡す、と」

「……」


 彼らとはほとんど面識もないのに、どうして自分に向かって誓うだなんて……。

 これはいったい、ほんとうにどんな変貌ぶりなのだろうか?

 ハシュはどうしたらいいのかわからず、つい、親身になってくれた衛兵たちを見やる。彼らの判断は一致していた。


「この際だ、渡してしまいなさい」

「でも……」

「彼が誓ってくれたんだ。――信じなさい」


 そう言われて衛兵に肩を抱かれて、ぽん、と合図のように指先で叩かれてしまう。ハシュはそれでも戸惑った。

 何だろう、この好転は――。

 あまりにもハシュにとって都合がよすぎる。

 偶然にも四月騎士団団長の帰庁まで皇宮にいたのはよかったが、これまで何度も暗転してきたのでにわかに信じ難い。

 ハシュの瞳と、その左目もとにあるほくろが及び腰のように戸惑っていると、


「ハシュ。いまは渡す勇気を持ちなさい。その勇気がきっと明日につながる」

「……」


 勇気。

 それでもハシュは寸前まで迷ったが、軍装のポケットに入れていた手紙を取り出したとき、はらり、と一枚のカードがハシュの足もとに落ちた。

 何だろうと思い、見やると、それはいまのハシュがお守りにしているタリアルのカード。

 昨日、実兄から譲り受け、絵柄が親友のバティアの雰囲気とよく似ていたため、ハシュが気に入って仕方がない大切なカードだった。

 ハシュはあわてて手を伸ばし、カードを拾う。

 そして――。

 光を手にする少年の絵柄を見やり、ハシュはバティアを脳裏いっぱいに浮かべた。


 ――これが俺の導きになるのなら……。


 心中でつぶやくと、弱りきっていた胸のなかに温かなものが宿ってくる。

 ハシュは決意して、多くの協力者から預かった大切な手紙を差し出した。

 その手は生まれた緊張で震え出していたが、


「あ、あの……先ほどはお騒がせをして、ほんとうに申し訳ありませんでした」


 以後は重々気をつけます。

 できるかどうかは、おたくのところの七三黒縁眼鏡鬼畜の態度次第ですけど!

 ハシュは深々と謝罪し、いつもの調子を心中で叫びながら、目の前の文官が丁寧に受け取ったのを確認する。

 できることなら……。

 それは自分の手で渡して、あの七三黒縁眼鏡鬼畜がどんな顔をするのか、この目で直截見てみたかった。

 できることなら「ぎゃふん」というような顔を――。

 でも、その考えが勇み足のハシュに釘を刺してきたのかもしれない。

 ハシュは自責の念を浮かべる。

 そして――。


 ――この手紙には何が記されているのか。


 それは預かるだけの文官が知ることはできないが、何やら想いの詰まる重みと、この伝書鳩を温かく応援したいと思えるものが膨らんで、文官は直截渡せなかった手紙を預かる重責をあらためて認識する。


「ハシュくん、――こちらこそ悪かった」

「……?」


 それが何に向けての謝罪なのか、ハシュにはわからなかった。

 だが……。


「明日はきみの都合の時間で来ていいと、ロワ団長が仰っていた。私たちが言うのも何だけれど、最後の踏ん張りだね」

「――はい」


 こうして事態はついにハシュが望む最後の一手として動こうとする。

 いや……()()()()()()()

 もうほんとうに、後戻りはできなくなってしまった。

 ハシュは手紙を渡して気が楽になったはずなのに、途端に何か重みを感じてしまい、もう一度文官に向けて深々頭を下げるのだった。

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