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ハシュを慰める衛兵のお兄さんたち

 そのころのハシュはというと……。

 完全に頭のなかがぐちゃぐちゃになっていた。

 何を考えればいいのか、まったくわからない。

 そもそも、自分は何かを考えていいのか。それさえよくわからない。


 ――今日の朝は、天気がよかった。


 だから今日はいい日になるだろうと思っていたし、昨日から多くの優しさに触れて、温かな気持ちでいっぱいになったのだから、きっとうまくいく。

 そうやって意気揚々としたのがそもそものまちがいだったのか、その勇み足が勝手すぎたのか。


 ――ああ……。


 これでもう、全部が台無しだ。

 ハシュはまるで奈落の底に突き落とされたように落胆してしまう。

 何を主軸に泣き言にしたらいいのかわからないのに、涙がまったく止まってくれない。

 ハシュは鼻をすすりながら何度も手の甲で涙を拭うが、すぐにつぎの涙が溢れて頬を濡らしてしまう。

 情けない……。

 自分が心底情けない。



□ □



「――ハシュ、とりあえず落ち着きなさい」

「う……っ、うう……」


 ハシュは自分を皇宮の御用門から四月騎士団の庁舎までを案内してくれる一月騎士団の衛兵に肩を抱かれながら、彼ら衛兵の勤務交代待機場である詰め所に連れて行かれた。

 この間、ハシュに記憶はない。

 たぶん、ちゃんと自分の足で歩いて行ったと思うのだけど……。

 詰め所は周囲の建物に比べれば小さく、簡素のようにも思えるが、外観は周囲の白亜に準じたおなじ造りではあるし、十人前後の衛兵たちの半数が一度に仮眠を取れる部屋に、複数人が談話し合える居間、そこにはくつろげるソファやテーブルがいくつかあって、それらの家具や装飾もけっして手ごろなものではなかった。

 造りは一階建てだったが、天井は充分に高い。

 建物内に入っても、まったく狭さや簡素な感じは見受けられなかった。

 その詰め所は本来、一月騎士団に所属する武官でなければ入ることが叶わなかったが、ハシュを連れている衛兵はかまわず入る。

 これはあまりにも酷く泣くハシュを気遣い、とにかく落ち着かせようという破格の厚意だった。


「ほら、ハシュ。もう大丈夫だから」

「う……っ、ひ……っく……」


 衛兵がさらに優しくハシュの肩を抱いてくれるが、いまは向けられるその優しさがかえって辛い。

 問われてうなずいているのか、何もかも情けなくて、申し訳がなくてひたすら頭を振っているのか、ハシュにはそれさえわからない。

 細い少年の肩は震えたまま。

 あまりの落胆に酷く落ち込んでいる。


「ハシュ……」


 衛兵はその肩を撫で、頭を優しく撫でてやる。

 談話室に入ると、そこでは先ほど交代を済ませてようやく座ることができた幾人かが白地の軍装の襟などを簡単に緩めてくつろいでいる。

 そこに泣きじゃくって鼻をすすらせている伝書鳩が来たものだから、一同はぎょっとしてしまう。誰もが腰を浮かせてしまった。


「この子は確か、昨日も来た子だよな」


 ――そう、馬術で評判の新人文官の伝書鳩。

 ――昨日は四月騎士団団長に虐められて意識を失ったと聞くが……。

 ――今日も呼び出しを受けて、号泣させられたというのだろうか?


「何が――」


 あったのか。

 だが、全部を言わせず、ハシュの肩を抱く衛兵は自身の唇に白手袋をはめた人差し指をそっと当てて、


「まずは何か温かい飲み物を。すこし甘いもので用意してください」


 それを伝えて、すぐ傍に立ったべつの衛兵のひとりを指先で招き、事と次第を素早く明確に伝える。その内容は四月騎士団団長に対する辟易と、泣きじゃくっている伝書鳩への同情。

 話を聞いた衛兵は思わずため息を漏らしてしまう。

 休憩に入ったので簡単に乱した髪をかるく撫で、そのまま額を手で押さえてしまった。


「まったく。文官はどうしてややこしことばかりを起こすんだ?」

「仕方ないですよ。私たち武官とは根本的に考えがちがうのですから」


 それよりも――。

 ハシュに親身になっている衛兵が何かを促すと、詳細を聞いた衛兵がうなずく。

 そして半分脱いでいた白地の軍装を正して、髪をかるく撫で上げて、身を翻す。そのまま談話室を後にした。

 衛兵はそれをかるく見やり、ふたたびハシュの頭を優しく撫でながら、三人掛けの上質なソファの中央に座るよう促す。ハシュは目もとを手の甲で拭いながら頭を振り……やっとうなずく。

 座り心地はとてもよかったが、いまのハシュにはやっぱりよくわからなかった。

 そのとなりには終始傍にいてくれる優美な衛兵が。

 その向かいや周囲にはそれぞれ異なった魅力を持つ衛兵たちが腰を下ろし、あるいは傍らに立つ。誰もがハシュに安堵していいのだと促すが、それが正しいのかハシュにはわからない。

 止まらない涙を拭っていると、ひとりがそっとタオルを用意してくれる。


「手の甲ばかりで目もとを拭うと、肌を痛めてしまうよ」

「汚していいから使いなさい」

「う……うう……っ」


 誰もが安心させようと声をかけて、頭を撫でてくる。

 ただ、差し出したタオルをハシュが受け取らなかったので、となりに座る衛兵が優しく手首を取って、ハシュの拭うしぐさを止める。

 ハシュは一瞬、何をされたのかがわからず、涙の止まらない目で呆然としながら衛兵を見やり、周囲を見やって、ぐすっと鼻をすする。

 そのとき――。

 涙で濡れる左目もとのほくろが妙に印象づいて、衛兵たちは不覚にも危うい年ごろの脆弱さに魅入ってしまった。

 それを隠すように優しく笑んで、ハシュの顔にタオルを押しつける。


「この際だ、最後まで泣いてしまいなさい。何かを考えたいのなら、その後で。ここにいるのは、みんなきみの味方だ。とにかく安心しなさい」

「で……でも……」

「――いい。泣いてしまいなさい」

「……っ、ひっく……」


 泣くなと言われるより、泣いていいと言われるほうが辛かったが、とにかくハシュは泣いた。


 ――たかが今日、会おうと思っていた人に会えなかっただけなのに……。

 ――手紙を渡そうと思ったのに、渡せなかっただけなのに……。


 その相手が全部あの七三黒縁眼鏡鬼畜だというのが腹立たしいが、いまのハシュにそんなことを思う余裕はない。

 ただただ辛くて、悲しくて、情けなくて――。

 そうやって泣いているハシュに、誰もが気遣ってくれる。

 大丈夫だと言ってくれて、背や頭を優しく撫でて、味方だと言ってくれて。

 手前のローテーブルには温かな飲み物が用意されて、彼らも普段食べているのか、簡単な甘い菓子まで用意してくれた。

 だが……。

 泣くことしか頭の回らないハシュは、それに手をつけることはなかった。

 ハシュはいま、この世の終わりに突入していた――。

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