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狸と鬼畜の知恵比べ

 ――武官であれ、文官であれ。


 正式な「騎士」として認められ、その号を得るには、例外なく少年兵を育成する十二月騎士団に入団しなければならない。

 そして入団すれば、誰もがこの老爺の顔を見ることになるし、優しく温かな慈愛を受けて二年間の厳しい修練を重ねてきた。

 少年兵であった時分は誰もが大変世話になったし、年代によってはこの老爺を見て思う記憶は教師か学長か、そこは異なるにしても騎士として身を立てているいま、彼を知らぬ者は誰ひとりとしていない。

 その教育現場の教免の長である学長は今日、朝から四月騎士団の庁舎を訪ね、いまも庁舎内の応接室で四月騎士団団長と懇談をしている。

 おどろくことは、本日来訪するように頼まれた伝書鳩が昨日のうちに十二月騎士団に直截向かい、見事伝書鳩としての職務を果たしたこと。

 さらにおどろくのは、天下の鬼畜……もとい、四月騎士団団長と半日近くも応接室という密室で同席して発狂しないということ。

 これはさすが学長だと、感嘆するしかない。

 そして――。

 もっともおどろいたのは、誰に対しても自分を貫く四月騎士団団長が、いまも比較的標準的な敬意で学長と接しているということ。

 さすがの鬼畜も学舎の恩師であり、長である学長には頭が上がらないのか。

 だとしたら……。

 あの伝書鳩の少年を泣き止ませるのはもう彼しかいないと思い、文官たちは一縷の望みを学長に向ける。

 だが、学長はその想いに溢れる視線に困ったように、


「――さて、わしには権限がないからのう」


 そう言ってのんびり肩を上下に動かし、一瞬、見放すのかと周囲は肝を冷やしたが、


「ハシュはいい子じゃが、見た目以上に猪突猛進のところがある。まさか泣いてしまうとは思わなんだが、いい子というのは存外手も焼く。だから育て甲斐もあるというもの。――そう思わないかね、ロワくん」


 やんわりと言って、目の前の四月騎士団団長――ロワを見やる。


「どうやらわしの授けた知恵が要らぬ勇み足を踏ませたようじゃ。――まさかロワくんが今日、庁舎にいなかったとはわしも迂闊。せっかくきみ宛てに手紙を書いて、普段を労う言葉までしたためたというのに、読んでもらえぬとは。いやはや、残念」

「……」


 ありがたいことに、学長はハシュの擁護に回ってくれた。

 ただ、この言い回しは奇妙に演技がかった白々しさも読み取れたので、恩情を訴えるには心にまったく響かなかった。

 実際、ロワはソファにふんぞり返るように足を組んだまま、表情さえ微動もしない。

 ここで甘やかせば、明日には鳩が天狗に化けるだろう。

 その滑稽を一興せよとでも?

 ロワは心底呆れたようすで学長を見やり、


「お言葉ですが、勝手に飛び込んできた鳩を駆除しないだけ、私の慈悲深さも汲んでいただきたい」


 ――いや、私たちに駆除させていますから!

 ――えッ? 団長の駆除って、追い払うっていう意味じゃないんですかッ?

 ――じゃあ、団長の駆除ってどういう意味……。

 ――馬鹿ッ、言うなッ


 たぶん、後者の意味が正しいのだろう。

 そんな会話を文官たちは心中で異口同音し合う。

 だがそんなささやきは表情を見れば簡単に読み取れた。

 それでも黒縁眼鏡の奥からは「黙れ」の眼光は発しない。

 このていどの声には付き合う必要もないと判じているのだろう。ロワはちらりと見やるだけで、


「私はただ、クレイドルに用があった。だからといって急ぎでもない。そこに伝書鳩が現れた。だから、()()()に頼んだまでのこと」


 十月騎士団の伝達係――伝書鳩の日々が激務なのは承知。

 だから本業を妨げぬよう配慮して、猶予の時限も設けてやった。

 私も鬼ではない、その証に、


 ――二日やるから連れてこい、と。


「それを伝書鳩が勝手に気焦りし、事を大げさに捉えて、勝手に大騒ぎしてしまっただけのこと。――なのに、どうして私が鬼のあつかいを受けなければならない?」


 ――うわぁ……。

 ――この人、本気で自覚がないのか?


 周囲の文官たちはさらに異口同音を心中で叫び合うが、同時に、ここまで徹するのであればむしろ清々しささえ感じてしまう。

 鬼なら鬼で充分、と。

 梃子でも動かない、その典型的なやつだ。

 文官たちはいよいよ本気でうなだれる。

 学長はハシュの味方から立ち位置を変えてはいないようすだが、四月騎士団団長がこの態度を貫くのであれば、学長も打つ手を失うだろう。

 そう、思われたが――。

 その学長は四月騎士団団長を見て、奇妙に口端をつり上げた。

 それは注視しなければわからないていどだったが、それでも垂らした釣り針にようやく魚がかかった、それに近い何かを口端に浮かべている。

 学長は老爺らしくゆっくりと立ち上がり、そしてゆっくりと歩いて大きな窓辺に立つ。

 庁舎の二階から見やる景色のなかに、哀れなほど落胆して泣いているハシュの姿はもうなかったが、


「――そうか。ハシュは衛兵に連れられて、慰めてもらうのか。これは上々」


 などと唐突に独り言ちるので、ロワの表情がわずかに怪訝を覚えて動いた。

 片指の数にも満たぬ子どもが迷子になって泣いているのを保護したわけでもないというのに、何が()()なのか?

 これには周囲の文官たちもすぐには理解できなかったが、


「衛兵の管轄は一月騎士団にある。あそこは職務上冷徹じゃが、身内同士は気さくな打ち解け合いで上下関係もあまり緩急は見られないと聞くが、そのせいで頂点である団長が自由奔放すぎて、少々手を焼いているとも聞く」

「……」

「だから些細なことでもすぐに一月騎士団団長の耳に入るじゃろう。――可愛い、可愛い鳩が一羽、四月騎士団で泣かされたので保護したと」

「……」

「無論、これに一月騎士団が関わること自体必要もない。ハシュももう新人とはいえ騎士になったのじゃから、自分で涙を拭うことも必要じゃ」

「……」

「だが、あの子の涙は不思議と周囲が拭いたくて、堪らなくなる。衛兵たちが温情を向けるほどじゃ。きっとすぐに団長の耳にも届く」

「……で?」


 ようやくのことでロワが口を挟むが、学長はかまわず講釈のように、


「一月騎士団団長……あの子もすぐに興味で現場を見たがるから、ハシュを見て、泣いた理由を知れば当然――」

「……?」


 学長が語尾を不自然に止めた瞬間。

 それまでただ詭弁のように聞いていたロワだったが、さすがに裏があると勘づいて、突如として神妙な顔つきになる。そして、かつての学舎の恩師を鋭く凝視してくる。

 他者がそれと目を合わせれば即座に卒倒するだろうが、学長はのんびりとしたまま。


 ――師はいったい、何が言いたいのだろう?


 思い当たる節のすべてを精査し、かけた時間はわずか。

 奇妙なところで何かが接点となって、重なってしまった!

 衛兵の恩情だけを口にするのであれば、気にもしなかったが、なぜか衛兵を引き合いに一月騎士団団長の存在をちらつかせてきた。

 確かにあれはロワが四月騎士団団長として御するのも容易ではないほど、自由気ままだ。一月騎士団もそれには困っているが、すでに常習となったいまでは放置……好ましく思っている。

 問題はなぜ、一月騎士団団長を強調するように学長が述べるのか。

 一月騎士団団長……。

 一月騎士団団長……――。


「!」


 その瞬間、あらぬ方向から「敗北せよ」と投了を促すような一手を打ち込まれたことにロワは気がつく。

 冗談ではなかった!


「師……まさか……」


 ここにきて、ロワははじめて自身が頑なに説いた正論が逆手に取られたことを悟る。


「あなたの()()は最初から恩情ではなくて、ハ・ルを……」


 動かすために……。

 あえてハシュの号泣を見ていた?

 学長がいつからそれを仕掛けていたのかは判然つかないが、もしかすると最初からこうなると予測した上で「ハシュに手紙を持たせた」、この行動を目くらましに使い、ロワの四月騎士団団長としての思惑を妨げるべく逆方向から事を動かしていたとすれば……。


「昨夜、ハシュからこの騒動を聞かされたとき。わしも久しぶりにロワくんと究極の一手を打ち合いたくなってのう。年甲斐もなく、ついはしゃいだ策をハシュに授けてしまった」

「……」

「まったく、鵜呑みにしたハシュはほんとうに可愛いものじゃ。そうは思わんかね?」

「いえ、まったく」


 ロワはぴしゃりと言い返す。

 この際、伝書鳩などどうでもいい。

 学長に注視せねば!

 もう学長に対しては油断ができない!

 確かに少年兵からそのまま団長職に就任した十二月期団団長と、その教免の長の嘆願書だけでは、正式な手順に添うにしても四月騎士団団長がハシュ個人のために動くことはない。

 もとより、四月騎士団団長はハシュに「クレイドル」を会わせるつもりがないのだから。


 ――だが、ここでハシュの豪運がついに動く。


 ハシュが、じつは「決断の長」である十月騎士団団長と幼馴染であり、彼が動く以上、さすがの四月騎士団団長も表面上は蔑ろにはできない。

 しかしながら、直截渡す、それを逆手に取ってロワも不在と偽ったが……。


「ロワくんは、どうあってもハシュにクレイドルを会わせるつもりはない」


 それは当然のこと。

 ロワ個人の思惑でもあり、立場上、皇宮を御座所とする唯一皇帝の内宮での護衛の一切を、一瞬でも引き剥がすわけにはいかない。

 だからロワはこの件に関して言えば、手紙を受け取ったところで握り潰す気でいた。


「じゃが……一月騎士団団長のハ・ルと、二月騎士団団長のクレイドルは幼馴染の心友。ハ・ルがこの件、興味を持って動いてしまえば、クレイドルは必然的に内宮から引っ張り出されてしまう。もしかするとハシュは――ばったりと会ってしまうかもしれないのう」

「……ッ」

「ようは、この顛末。ハシュにできるかどうかよりも、クレイドルを意図的に内宮から出せば、すくなからずハシュの勝ちとなる。わしはそう読んだのじゃが、ちがうかの?」

「こ……の、(タヌキ)ッ」


 ――してやられたりッ!


 ロワはついに忌々しく表情を変えながら、師に対して何十年ぶりかの暴言を吐いてしまった。足を組むのをやめて、腰を浮かせてしまう。

 思えば……。

 学長との話し合いは午前のうちに終わっていた。

 その内容はハシュの頭のなさを嘆くものでも、教育現場の弛みと叱責するものではなく、もっとべつの次元にあったが……一方的に呼びつけて、事が終わったのだからさあ帰れ、とはさすがにいかなかったので、充分に丁重に昼食ももてなし、それとなく世間話も含めて時間を過ごしたが、それでも学長は応接室から去ろうとはしなかった。


 ――昼を過ぎれば、ハシュも来るじゃろう。


 ロワくんに手紙を渡しに来るのじゃよ、とまるで孫の活躍を見るために伝書鳩の来訪を待ち構えていると思い、放置していたのだが……。


 ――そうではなかった!


 学長は最初からロワと「遊ぶ」ために、この事態のためだけにずっと居座っていたのだ!


「わしの可愛い(ハシュ)がハ・ルを使ってクレイドルを動かすか。それともロワくんが先に手紙を受け取って、わしの思惑を先に握り潰すか。さて、気になるところじゃが――うん、わしには権限がないからのう」

「く……ッ」

「ロワくんの一手は複雑だが、思いのほか正論すぎる。少年兵のころのぎらつきはどこに行った?」

「黙れ、狸ッ」


 これほど苦々しく舌打ちをしたのは、いったいいつ以来のことだろう!

 知らぬ間に勝負を仕掛けられていた、師の打つ一手で投了を余儀なくされたことよりも、いまは自分の掌中から「思いどおり」が零れ落ちるほうが腹立たしかった。

 瞬間――。

 四月騎士団団長は心底忌々しげに傍らに立つ文官たちに吐き出すような命令を叫び、彼らを驚愕させる。


「私に手紙を渡し損ねた間抜けな鳩から、()()()()()()()()こい!」

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