第10話 二つの指輪と一つのペンダント 能田未来の場合
数日後。
関東に戻ってきた城之崎君と、打ち合わせの席に着いた。
「先生、本日は……。」
「能田。」
私の言葉を彼が遮る、その目には明らかに不満そうな色が浮かんでいた。
「……わかりましたよ城之崎君、大阪での先行上映会お疲れ様でした。打ち上げとか、大変だったでしょう?」
編集長と作家という仮面を外し、私たちは能田未来と城之崎光哉に戻る。
「いや大したことはしていない、主演の俳優さんたちがほとんどやってくれたからな。」
「そうですか、でも反響はすごかったんじゃないですか?」
「まあ、有り難いことにな。」
そんな当たり障りのない会話を続ける中で、私はどうしても確かめておかなければならないことがあった。
「……あの城之崎君、例の小説ですけど……。あれはあくまでもフィクション、ですよね?」
念を押すような私の問いに、彼は一瞬きょとんとした後心底おかしそうに笑った。
「当然だろう、何を今更。」
「いえ……城之崎君が大阪の上映会に鷲那君を呼ぶって言い出した時、正直怖かったんです。映画と同じ事をしようとしているんじゃ無いかって。」
私の告白に彼は、
「安心しろ。」
と穏やかに言った。
「何より鷲那は、大阪の先行上映には来なかったんだから。」
「……そうですよね。」
その言葉に私は、ほっと胸を撫でおろした。
「あれ?」
私はふと城之崎君の鞄からコンタクトレンズのケースが覗いているのに気が付いた。
「城之崎君、コンタクトレンズしていましたっけ?」
「ああ、実は最近白内障を発症してね。普段白内障用のコンタクトレンズをしているんだ。」
そんな事、全く気が付かなかった。
「お体を大事にしてくださいね。」
後日。
今日は城之崎君のマンションに、新しい原稿を受け取りに行く予定だった。
だが急遽、東京の映画会社と重要なWEBミーティングが入って受け取りは部下の一人に任せることにした。
『すみません、急な仕事で伺えなくなりました。代わりに部下を行かせます。』
城之崎君にお詫びのPINEを送り、私はノートパソコンの前に座った。
ミーティングが始まり映画の宣伝戦略について話していると、先方の担当者が雑談めかして言った。
「いやー、しかし先日の関西での先行上映は本当に大変でしたよ。」
「何か、ございましたか?」
何だろう、何か嫌な予感がした。
心臓がドクンと、嫌な音を立てる。
「ええ。先行上映会に招待した京都の『柊鷲庵』の大旦那様が締め切りを過ぎてから、急に『やはり参加したい』と仰いまして。もう他の方を招待していたので、一度はお断りしたんですが、それを未練先生にお伝えしたところ、『何とかして欲しい』と強くご要望されましてね。急遽京都に小さな劇場を、貸し切りで手配したんですよ。」
「……ということは先生は、その大旦那様にお会いになったということですか。」
頭の中で、何かが砕ける音がした。
「まあその様に手配しましたから、それはそうでしょうね。」
鷲那君は、先行上映会には来なかったって……。
――鷲那は、大阪の先行上映会には来なかった。
そうだ、彼はそう言っていた。
確かに、嘘はついていない。
ただ事実の一部を、巧妙に隠していただけだ。
彼は京都で、鷲那君に会っていたのだ。
その瞬間、ポケットに入れていたスマホが震えた。
城之崎君のマンションへ向かった部下からだ。
城之崎君に連絡しようとPINEの画面を開いて、私は気づく。
先ほど送ったメッセージに、既読がついていない。
「申し訳ありません、ちょっと電話に出てもよろしいでしょうか?」
私は相手に断りを入れてから、部下からの電話に出る。
『もしもし、編集長? あの未練先生のマンションのエントランスに着いたんですけど……。』
「どうしたの?」
『インターホンを何度か鳴らしてるんですけど、全く応答がなくって。もしかして、お留守なんでしょうか……。』
私の背筋を、冷たい汗が伝う。
「緊急の対応が入ってしまいました! WEBミーティングは大変恐縮ですが、ここまでとさせてください! また改めて、こちらからご連絡いたします!」
有無を言わさぬ私の気迫が通じたのか先方は、
「は、はあ……わかりました。」
と呆気に取られたように頷いた。
タクシーを飛ばして城之崎君が住むタワーマンションに到着すると、先に着いていた部下が不安そうな顔で駆け寄ってきた。
オートロックが開けられないのだ。
「管理会社を調べて! 早く!」
私は部下に急いで指示を出す。
「え?で、でもそこまで……。」
「黙ってやれ!」
初めて部下に怒鳴りつけた。
半狂乱で他の入り口を探していた、その時だった。
建物の裏手にある、ゴミ捨て場に繋がる非常口のオートロックが開けっ放しになっていることに気がついた。
私は裏口から中へ入る。
城之崎君が住んでいるのは高層階、エレベーターを待つのが苦痛だった。
彼の部屋の前に着き、チャイムを何度も鳴らす。
やはり反応はない、そこでドアの鍵が掛かっていない事に気が付いた。
「城之崎君! 返事をしてください! 入りますよ!」
声を掛けながら鍵の掛かっていないドアを開けて、中に飛び込んだ。
部屋の中を探し回るが、誰もいない。
静まり返った部屋は綺麗に片付きすぎていて、それがかえって不気味だった。
彼の書斎へ向かう。
執筆に使っている、大きなマホガニーの机。
その上に一枚の紙が、まるで舞台の上の主役のようにぽつんと置かれていた。
『悔いばかりの人生を生きるのは、本当に辛い。
私が人生を通して学んだこと、それは。
本当に大事なものは、決して手を離してはいけないということだ。
もしもう一度会えるのなら、その時は永遠と語り明かしたいと思う、』
読んだ瞬間、強烈な違和感に襲われた。
『永遠と』
明らかに『延々と』の誤用だ。
あの城之崎君が、こんな間違いをするはずがない。
……あぁ、これは遺書だ。
この世に永遠等と言うものは存在しない。
彼はきっと永遠があるかもしれない、ここでは無い何処かへ行こうとしている。
城之崎君を、探さないと!
探せど探せど、彼の足取りはどこにも見つからない。
気づけば私は昔、城之崎君が住んでいたマンションの近くまで来ていた。
ぼんやりと歩いていると、ふとある記憶が脳裏をよぎる。
私は何かに憑かれたように、そこへ向かって走り出した。
着いたのは、あの時の砂浜だった。
二十数年前、芝浦君の壊れたスマホが見つかった場所。
私には直すことができなかった、あのスマホが。
「城之崎君!」
叫んでも、返ってくるのは波の音だけだ。
砂浜を探し回る。
どこにも、いない。
諦めかけた、その時だった。
波打ち際で、何かが月明かりを反射してきらりと光った。
私は大急ぎで駆け寄る。
そこにあったのは、彼がいつも身に着けていた万年筆を模した飾りのついたネックレスだった。
そしてそのチェーンには、二つのスマートリングが通されていた。
一つは古いがそれでも、まだ輝きを失っていない見慣れたリング。
そしてもう一つは塩水に侵されたであろう、見るも無惨に腐敗したボロボロのリングだった。
二十年以上の時を経て、二人はようやく出会えたのだ。
「……フィクションだって、言ったじゃないですか。」
ずるずると、その場に崩れ落ちる。
「嘘吐き……。」
砂浜には私の嗚咽だけがいつまでも、いつまでも響いていた。
(To be continued)