綴られぬ物語
今、その名を知るものはもういないが、その名は空と雪を示した。かつてはるか昔、人智を超えた神と呼ばれる存在が存在した神代の魔術師。
その者は稀代の魔術師として当時の世界で名を馳せていたが、ある日突然捕えられ、神に近付こうとする存在として罪人の名を着せられることとなった。
そうしてその身は拘束された。 雪のように美しかったその体は鞭打ち、水責め、皮剥など、様々な拷問によって、見る影も無くなっていた。
それでも彼女は死ねなかった。 彼女の魔力がそれ(死)を阻んだのである。 皮肉にも、稀代の魔術師は自身の魔力によって苦しむことになる。
最終的に、その者たちは当時の彼女を殺し切ることはできなかった。 そうして、その者たちは禁忌に手を出した。 時間転移である。
彼女を殺しきれなかった人々は、例を見ないほど大規模な術式を組み上げ、彼女を2000年後に送ることにした。
2000年後に放り出された彼女は、魔術がほとんど使えなくなっていて、自身の魔力もなくなっていることに気付く。
そして彼女は力無くそこに倒れ込み、やがて果てた。 死因は餓死だった。 やがてそうして死んだ彼女は2000年後の土地で成仏することもできず、亡霊としてさまようことになった。
だが彼女も亡霊のままでは嫌だったのか、元の少女の体を依代として生きていくことになる。
この姿の彼女は死ぬことは無い。 だが彼女はいつだろうと彼の者達への復讐を考えている。2000年を越える恨みの物語は、いつ終わるのか......
今は雪空 蒼と名を改めて、世界各地を流浪している。 雨が降ればどこかで雨宿りをし、晴れればまたその旅を始める。彼女はどこへ向かっているのか、知る者はいない。
そんな中、彼女は一つの機会を手にする。
それは願いを一つ、何でも叶えられるというもの。
彼女は戸惑った。自分が生き返ろうか、それとも2000年前に戻って復讐を果たそうか。そんな中、彼女は数日前、自分に食べ物を分けてくれた人のことが脳裏によぎった。
あの人、彼女はいつもと同じように放浪の旅を続けていた。だけどそんな彼女を見て、何を思ったか食べ物を差し出した人がいたらしい。そんなことで、少女と彼は長らく語り合い、お互いにお互いのことを知ることが出来た。そんな中、彼女は彼が一つの症状に悩まされていることを思い出す。
それは寝ると必ずある少女が死に続ける、殺され続ける夢を見るというもの。かつてその者を目の前にいながらも救えなかった己の自責の念が、出ているのだろう。
そこまで思い出して彼女は口を開いた。
「どうか、彼をその罪から解放してください。」
、と。
自分が生き返る権利も捨て、2000年前に戻って復讐を為す権利も捨て、彼女は今を生きる1人の人間を救うことを選んだ。
それはその者を哀れんだからでは無い。
「仮に私がここで生き返ったとして、復讐を為したとして、何が変わる?それならば、今を生きる人のために。」
と、そう思ったからである。仮にここで生き返ったとて、昔のような力はもうない。いずれ死ぬただの人間になるだけである。仮に復讐を為したとて、それはただの私怨である。
生き返る権利を放棄する。復讐を為す権利を放棄する。
それは2000年前の怨恨を全て捨て去り、今を生きていくということである。
そうして、過去を捨て去り今を生きていく少女の目には、どんな景色が映っていたのだろう。
その目は、輝いていましたか?
その心は、澄んでいましたか?
いいえ、いいえ、それは既に濁り切っていました。
でも、それはきっと信じられるでしょう。
『されど、神はそれを救わず。』