ノット・シュット -つまりそゆことでござりますね~-
婚約破棄モノ、今回は帝国皇子介入でかましてみました。タイトルどおりシュッとしたイケメンではありません。
「来場している諸君! 我は悪女ヌーワングラ・シェルスーとの婚約を破棄し、ここにいるレティナ・シェルスーとの婚約を結ぶことを宣言する!」
王立学園の卒業パーティーも山場に差し掛かった頃、令息四人令嬢一人を引き連れて壇上に立ったフェルティス王国第一王子、アーバン・フェルティスは断言した。その態度は自分が正しいと信じているよりは、酔いしれている雰囲気に満ちている。
「ちょっ! ちょっとアーバン様! 何もこのようなときに宣言しなくてもよろしいではありませんか!」
無視するわけにもいかず、ヌーワングラ・シェルスー侯爵令嬢は声を上げてしまった。
――正直なところ、予想はしていた。だが、弁解させてほしい面もある。
ヌーワングラとしては努力はしていたのだ。せめて婚約を解消されるにしても、王家や実家の顔に泥を塗るのは避けたいと。自分の身に弊害をもたらすにしても、最小限に止めておきたいと。
人目を惹きつけ、女性なら十人中九人が頬を染める容姿を誇るアーバン。その腕には、一人の少女がしがみついていた。
先ほど名前の出たレティナ・シェルスー当人である。
雲か綿かを連想させる柔らかな金髪に、サファイアをはめこんだような大きな瞳。小柄できゃしゃな体つきをしており、男の胸裏にある騎士の魂を燃え上がらせること請け合いだ。
ヌーワングラの外見は、腰まである炎の如き赤い髪に、ルビーを彷彿とさせる双眸はツリ目である。確かに出るところはしっかり出ているが、上背はこの場にいる女子の中で一番高い。
姓こそ同じだが、二人は異母姉妹だ。ヌーワングラが姉で、レティナが妹。
以前、誰かが話していたのを耳にしたことがある。
レティナは子猫でヌーワングラは熊だ、と。
皮肉なことに、二人の容貌はそれぞれの母親の特徴を受け継いでいた。父親の遺伝子はどこかと疑うほどに。
閑話休題--
十歳の頃、婚約を結んだヌーワングラとアーバン。関係は決して良好とは言えなかった。
彼女は彼女なりに彼と絆を育もうと尽力したが、それはすべて無駄。いや、むしろ逆効果であり、アーバンの振る舞いは年々酷くなった。
このままではお互いのためにならない。子供ながらに悟ったヌーワングラが、父親や国王夫妻に正直に話しても、“それくらい我慢しろ”とか“男の子はそういうもの”とか“あの子も照れているだけ”とか、本気にせずに笑い飛ばされた。母親だけは娘を慰めてくれたが、二年後、病気で亡くなってしまった。
レティナとその母親が転がりこんだのは、ヌーワングラの実母が天国に旅立ってわずか半年後のことだ。すでに父親を敵と認識していたヌーワングラは、反対こそしなかったものの、接触を最小限に押さえた。
義母と義妹にも同様に。
新しく妹になった少女は、義理の姉が所有している品をやたらとねだった。これはマズいと察したヌーワングラは、母親の形見を見つからないように隠した。
略奪癖を隠さないレティナは、いかにすれば他人が自分の思い通りになるかを熟知していた。一部の古い使用人がヌーワングラを世話するぐらいで、他の者は彼女を冷血女呼ばわり。もし形だけとはいえ、第一王子の婚約者でなければ接し方はもっとぞんざいになっていたはず。
いや、母親こそいなくなったが、ヌーワングラにも味方はいた。アーバンの妹であるタニア・フェルティス第一王女。
アーバンの無遠慮を通り越した行いに打ちひしがれたヌーワングラ。そんな彼女を気遣ってくれた貴重な存在である。
第一王子の性格を知っていた侯爵令嬢としては、第一王女が、自分のせいで被害をこうむる度に、詫びの言葉を尽くしても尽くしきれなかったし、感謝しても感謝しきれなかった。
--異変が起きたのは、ヌーワングラとアーバンが王立学園の二年生に進級してからだ。レティナも入学してきたのだが、男子生徒一人一人に合わせて巧みに表情やしぐさを使い分けてきたため、瞬く間に大半が虜になった。
アーバンはその筆頭で、それまで以上にヌーワングラを邪険に扱うようになった。婚約者として忠告をしても、罵声だけが返ってくるのはまだいい方で、突き飛ばされたり平手が見舞われることもあった。
それでいて自分の用事は押しつける。せめて、王子としての仕事をこなすのは当然なのに。
レティナにも義姉として道理を説いたのだが、知らぬ振り。しまいにはアーバンに“お義姉さまに暴力を振るわれた”とか“嫉妬したお義姉さまがにらみつけてきた”とか、デタラメを吹き込んできたのだ。
もちろんヌーワングラは否定した。そのようなことは一切ないし、ましてや挙げられた感情を抱いたことは一度もない。そう説明しても、婚約者は見下しながら“浅はかな女だ”と鼻で笑うのだ。
時に頭に手を当て、時に胸を押さえ、レティナがアーバンと人生を共にする覚悟を決めたと悟った侯爵家長女。自らの感情に蓋をしてやるべきことを進めようとしたが、義妹や第一王子にはねのけられてしまった。
それでも信じていた。もとい信じたかった。
まさか、よりによってここまでの愚行に走るとは……
侯爵家長女の淑女らしからぬ反応に、第一王子は顎を反らして明らかに馬鹿にしている。
「まったく、見苦しいとは思わないのか? それもこれも貴様の恥ずべき行為が引き起こした結果だというのに」
アーバンの背中に隠れるようにして、レティナはヌーワングラを見ている。一瞬口元が歪んだ。丁度アーバンに倣ったように。
似た者同士なのだろうか? つい義姉は考えてしまう。現実逃避の自覚もあるが。
「アーバン様、そんなにお義姉さまを怒らないで下さい。元はと言えば、お義姉さまの愛するアーバン様を愛してしまったわたしが悪いのですから」
袖を引きながら、消え入りそうな声で義妹が告げると、第一王子は目の険を和らげ、唇で柔らかな弧を描き、思い人を視界に映すと、
「レティナ、お前に罪はない。我に愛されぬ嫉妬をぶつけたヌーワングラが悪いのだから」
一転して剣呑な目つきで元婚約者をにらみつける。
「ちがっ……わたくしは……」
「恥を知れヌーワングラ! 貴様は自分の罪を認めてレティナに謝罪しろ!」
「そんな……」
確かに、ここで頭を下げれば第一王子の溜飲は下がるだろうが、所詮一時しのぎだ。気取られぬよう息を整え、真っ向から攻撃主を見据える。
「申し訳ございませんが、それはできませんわ。わたくし思っていないことと行っていないことを謝罪することはできませんの」
チャンキー・ヒールを履いた足裏に、力を込めて言い切った。
「貴様……まさかそこまで性根が卑しいとはな」
鷹の鋭さと蛇の粘つきを宿した眼差しを、アーバンはヌーワングラに送る。
「まったく……アーバンの忍耐力に驚きだ。こんな女と今まで別れずにいたのだからな」
「厚顔無恥としか言いようがないな。一体何を習ってきたのか」
「よくもまあ、あんなふてぶてしい態度を取れるよな」
「さっさと非を認めればこんなことにならなかったのに」
アーバンに加勢し、取り巻きたちも口々にののしる。先二人は騎士団長の息子、ウェルフ・ボーグと、宰相の息子、ガラード・パドゥーム。アーバンとは十年来の付き合いだ。
ヌーワングラも体感している。“類は友を呼ぶ”の典型だ。
後二人は、学者の息子で飛び級で入学してきた、ネザン・オグと、子爵位を賜った大商人の息子、コルボ・ベルザゴ。
あくまでも書類上の情報であるが、ヌーワングラも知っている。どちらも異色の立場だが、ただの色物では済まない実力者。
「ま! 待ってください! 兄上!」
孤立無援を覚悟をした侯爵家長女だが、援軍が現れた。
アーバンの実妹、タニアである。
「何のつもりだタニア!?」
剣の切っ先さながらの語調で叫ぶアーバンに、
「そもそもこのような場所で令嬢一人を、それも兄上を支えてきた婚約者を糾弾するなど、常識知らずにも程があります! しかもヌーワングラ様の弁解も聞かないなんて!」
震える足を叱咤させて、タニアは反論する。
「黙れ! こいつはそれだけの真似をした! そんな女と結婚できるわけないだろう!」
脊髄反射レベルで返したアーバンの主張に、ヌーワングラが唇を噛み締めたそのときだ。
「……すみませぬが~、少々よろしいですか~」
張り詰めた空気にそぐわぬ、のんびりとした声音が流れ込んできた。
やって来たのは一人の青年であった。動物に例えるならタヌキか。丸っこい体型で顔の輪郭も福々しく、上質の鼈甲を彷彿とさせるまどかな瞳をまばたきさせる。
バルベルト・ボナジェンダ。隣国である帝国の第五皇子で留学生、ヌーワングラやアーバンと同級である。
「第五皇子風情がなんだ?」
「なっ……アーバン様! 失礼ですわよ!」
属国とは言わぬが、帝国の方が王国より国力が強大なのだ。留学生としてバルベルトを迎えたのも、他国への牽制が含まれている。
だが、不敬の極みである発言に、第五皇子は顔色一つ変えず、
「いえいえ~、お気に~なさらず~。ワタークシが第五皇子なのは~、事実で~、ござりますから~。ところで~、本題に入りますが~、先ーほど~アナータサマは~、ヌーワングラ嬢が~レティナ嬢に~嫌がらせしていたと~、さらに~、嫉妬していたと~、おしゃいましたが~、ワタークシにはわかりかねますので~、ヌーワングラ嬢に~お訊きしたいと~、思ーいましたので~。実際のところ~、どなんですか~?」
刹那、ヌーワングラは己の耳を疑った。この数年、聴く可能性を完全に捨てた成分が含まれていたので。
「……なるほど、どうやらあなた様は先入観に囚われない方のようですね」
タニアの真っ直ぐな言に、バルベルトは唇を浅い上向きの弧に作り上げた。
「先入観と~おしゃられましても~、ワタークシが聴いたのは~、ついさき~ですから~、抱きようが~ござりません~。で~、ヌーワングラ嬢~、実際のところ~、どなんですか~?」
風変わりな口調ではあるが、バルベルトの語り方は清水か涼風か。アーバンの台詞にこもっていた臭さはない。
「……信じてくれてありがとうございます」
胸の内を吐露してしまった侯爵家長女を、第一王女と第五皇子は見守っていた。
解答者は一つ息を吸い、
「わたくしはアーバン様を愛してもいませんし、レティナに嫉妬したことも、ましてや嫌がらせをしたこともありませんわ」
すべてを言い終えたヌーワングラは、心が軽くなるのを自覚した。もしこのあと断頭台に進んでも、笑顔で頸に刃を受けられる。
清聴者たちの大半はおとなしく耳をかたむけていたが、黙っていられない者もいる。
「--お! お義姉さま! なぜそのようなウソをつくのですか!? あんなにわたしに言ってたじゃないですか! “アーバン様に近づかないでくださいませ”とか! “王妃教育はつらいんですのよ。あなたに耐えられるとは思いませんわ”とか! “王命で決定づけられた婚約をあなたの一存でどうこうできませんわ”とか!」
レティナは声を尖らせてまくし立てる。“尖らせて”と表現しても、槍の穂先ではなく金平糖の角だ。甘さを乗せた旋律に男子または男性が惹かれるのを、ヌーワングラは何度も目の当たりにしてきた。
でも、バルベルトは海面のクラゲにも似た風情で、侯爵家次女の姿を観ている。
「何をおしゃいますか~、レティナ嬢~。ヌーワングラ嬢の~、おしゃーていることは~当然ですよ~。それに~、なぜ~それを“ウソ”だと~、断言するのでござりますか~?」
第五皇子の態度は予想外であったか、義妹の瞼がわずかに痙攣する。第一王女は大きくうなずいた。
「まったくもって同感ですね。ヌーワングラ様は苛酷な王妃教育を続けてきました。それこそ血のにじむような努力を。兄上、その間あなたは一体何をやっていたのですか? 第一王子の地位にふんぞり返って好き勝手やって、耳の痛い意見を遠ざけて、さようごもっとも組ばかり側に置いて……あなたの尻拭いを誰がやっていたと思います? 他でもないヌーワングラ様ですよ」
日頃の鬱積がたまっていたのか、タニアの口述は前半がバルベルトへの同意、後半が兄への叱責へと移行していた。
「や! やかましい! 我の婚約者が我のために尽くすのは当然ではないか!!」
「--なるほど~。つまりそゆことでござりますね~」
唾を飛ばさんばかりにがなり立てるアーバンとは対照的に、イントネーションこそ難はあるものの落ち着いた調子のバルベルトが、腑に落ちたとばかりに言の葉を紡いだ。
「……どういう、ことですの……?」
眉を曇らせ、ヌーワングラは真実を求めた。
「考えてみて~ください~。アーバン王子の~、発言から察するに~、ヌーワングラ嬢との~婚約に~、元から乗り気で~なかた~。にも関わらず~、なぜ~ここまで延期していたか~? それはすなわち~、アナータサマを~つないでおくメリトが~、あたからです~」
「メリット……」
そう言われても、ヌーワングラはイマイチ飲み込めない。何せ第一王子にとって、侯爵家長女は排除一択の害悪なのだ。
「……ヌーワングラ嬢~、さき~、アーバン王子も~おしゃーていたでござりましょう~? “尽くすのは当然”だと~。つまり~、アナータサマは~、都合のいい道具に~過ぎなかったので~ござりますよ~」
「都合のいい道具……」
その通りだ。アーバンは人が自分のために動いてこそ善だと、そぐわぬ行いは悪だと決めつけている。だが、いや、だからこそ第五皇子の解説は辻褄が合わないのだ。
ふ……と、笑いともため息とも解釈できる音が響いた。源はタニア。
「バルベルト様、それは違います。兄上は自分勝手で手柄は自分のおかげ、失態は他人のせいと思っておりますが、ヌーワングラ様がどのように行動するかなんて考えてませんし、自分に都合よく動かすなんてこと、できません。ヌーワングラ様の行為は、よく言えば気をきかせた、悪く言えば勝手にやったことですから」
第一王女の滔々たる唱えに、つい侯爵家長女は首肯を繰り返していた。第五皇子は大海さながらに茫洋とした雰囲気を纏っていたが、ふと目を眇め、
「……ヌーワングラ嬢、アナータサマに~、質問が~ござります~。先ーほど~、レティナ嬢がおしゃーていたのは~、事実で~ござりますか~?」
「わ……わたしがウソをついているって言うんですか!?」
「ふざけるな貴様! 口を縫いつけられたいのか!?」
侯爵家次女が目を潤ませ、第一王子が音声を爆発させても、第五皇子は深海のダイオウグソクムシを思わせる域で動じない。
「そうは言てないでござりますよ~。ただ~、気になることが~ござりまして~。ヌーワングラ嬢~、でどなんですか~?」
ヌーワングラは落ち着いていた。覚悟を決めて神経を張り詰めたにあらず。気づかぬうちに凝り固まっていた魂の核が、本来の柔らかさを取り戻した。
「ええ、言いましたわ」
直後、アーバンはしたり顔を浮かべた。
「フン! ついに罪を認めたか!」
腰に手を当てそうになる彼に、バルベルトはアゲハ蝶の交尾を拝んだ犬の眼差しで、
「……あの~、それは~アナータサマの思い込みで~、ござりませぬか~? で~、レティナ嬢~、アナータサマは~、先の発言を~、いつ~、どこで~、どのよに~、言われたので~、ござりますか~?」
「そ、そんなの顔を合わせるたびに……」
うつむき、視線をさまよわせるレティナだが、
「--“顔を合わせるたびに”とおっしゃいましたが、そもそもあなたとヌーワングラ様は学年が違いますよね? 王妃教育は王城で受けますし、泊まり込みになることもしばしばあります。それに、これはシェルスー侯爵がおっしゃっていたらしいですが、あなたは本邸で、ヌーワングラ様は離れで暮らしているそうですね。そうなると、接点はあまりにも限られてくるのですが……」
問いかけの体を保っているが、タニアの話し方はレティナを黒と判断している。侯爵家次女は二の句が継げなくなった。
「ー-それに~、ワタークシは~、少々引かかっていることが~、ござりまして~。レティナ嬢~、アナータサマは~、“アーバン様に近づかないでくださいませ!”と~、“王妃教育はつらいんですのよ!”を~、同列に扱ているよですが~、そもそも~、王命とゆものが~、どのよなものか~、わかてますか~?」
「馬鹿にするな! そんなの父上と母上が決めたことに決まっているだろう!!」
鼓膜を殴る声量で主張したのはアーバンであった。
--そこは“国王陛下”と“王妃殿下”ですわよ……
第一王子の元婚約者としては指摘したかったが、あえてやめておいた。
「はい~、そゆことで~ござります~。で~、アーバン王子~、アナータサマに~お尋ねいたしますが~、ヌーワングラ嬢との~婚約解消を~、申し出たことは~ござりますか~?」
忌憚なき疑問を、バルベルトはアーバンにぶつける。
ヌーワングラは手を打ちそうになるのをこらえていた。
そうだ。あまりにも基本的な仮説だが、それを立てるには脳が麻痺していたのだ。
考えてみれば、アーバンはヌーワングラを蛇蝎の如く厭うているのだ。一刻も早く切り捨てたいと欲しているのは間違いない。
だが、更なる違和感が。第一王子に甘い国王夫妻が反対するとは見受けられない。アーバンのことだから、自分が被害者だと力説したり、泣き落としにかかったりは一流のはず。
「それは……何度も言おうとしたら……父上と母上が“ヌーワングラ嬢があなたに無視されて拗ねている”って……“素直になれない”って……」
「はあ!? なんですのそれ!?」
アーバンの口上が脳細胞に浸透するや、ヌーワングラは情動と同時に咆哮を轟かせていた。
「わたくしはアーバン様に無視されて拗ねた覚えはありませんわ! それになんですの“素直になれない”って! わたくしは素直な気持ちで婚約解消をお二人に何度も何度も願い出ましたわ! なのに“男の子とはそういうもの”だとか“あの子も照れているだけ”とか、真面目に取り合ってくれなくて……!」
「でしたら~、なぜ~、レティナ嬢に~アーバン王子に~、近寄らないよに~言たのでござりますか~?」
「それはわたくし性格は悪いですけれども、矜持はありますわ。確かにレティナに辟易する部分はありますけど、人身御供にしてやろうとは思いませんわ」
場違いなまでに呑気な空気を発しているバルベルトに、オブラートとは無縁の言い様で舌を躍らせた。
「……あれ、だとしたら矛盾してません? だとしたら、なぜ教師にレティナ様の教育を打診したのですか?」
「待って、それどういうことよ?」
第一王女の口にした不可解に、食いついたのはアーバンの思い人であった。
「どういうことって……アーバン様が王位に就くのなら、あなたもそれ相応の教育を受けるのは当然でしょう? アーバン様から聴いてるか訊こうとしても、レティナは何も応えてくれませんし、アーバン様にお尋ねしようにも、笑い飛ばされるだけですし……」
「待てください~。それ~、変じゃござりませぬか~? アナータサマは~、レティナ嬢と~アーバン王子が~、結婚して~欲しくなかたのでは~ござりますか~?」
バルベルトの適切な尋ねに、
「それは……“あの”アーバン様と添い遂げる覚悟を決めたのなら、わたくしはそのように働きかけるだけですわ。わたくしの好き嫌いで決められる問題ではありませんもの」
ヌーワングラは淡々と返した。
「……ね、ねぇ、アーバン様、もしかしてわたしにウソをついていたんですか?」
義妹の腕と足は、第一王子から距離を取ろうとしている。
「な、何を言ってるんだレティナ!? そんなわけがないだろう! あいつがデタラメを吐いているだけだ!!」
「デタラメぇ!? いくらなんでも王様と王妃様はさすがに出さないでしょ!? それに! 考えてみればお義姉さまは一度もアーバン様を“愛してる”って言ってませんもの! っていうか! もしかしてアーバン様って勘違い野郎なんですか!?」
柳眉を逆立て、レティナは言の砲撃を繰り出している。喉ももちろん使っているが、腹から発しているように聴こえた。
いつもなら雨に打たれた百合を装うのに、現在進行形で爆竹の力持つ鳳仙花。
「か、かかか勘違い野郎!?」
アーバンは目を白黒させて、口を開いたり閉じたりを繰り返している。こんな彼は初めてだ。
「れ、レティナ、落ち着いて……」
このままでは不敬罪で義妹が危ない……そう導き出した侯爵家長女は次女を宥めにかかるが--
「もとはと言えばあんたのせいでしょうがぁ!」
雄叫びと共に投げつけられる。
とっさにヌーワングラは、顔面を強襲しかけたそれを両手で掴んだ。
過剰に飾り立てられたピンクのローヒール。義妹の履いていた靴である。
次女はまだ止まらない。それまでいたところから飛び降りると、長女に詰め寄ってくる。
「ふっざけんじゃないわよ! あんたねぇ! こいつがあんたがいらなくなるぐらいのトンデモ野郎だって言うんだったら始めから言いなさいよ! このドブス! あんたが惚れてるっぽいこと口にするから、こっちも引っかかったじゃない! 責任取りなさいよ!!」
ここまでレティナの舌が回るとは少しも思わなかった。妙なところでヌーワングラは感嘆するが、今はそれどころではない。
侯爵家次女を追ってきた五人の男子は、彼女の後ろで硬直している。
「あんた……?」
「……トンデモ野郎?」
「こいつ……?」
「ドブス……?」
「引っかかった……?」
槍玉に挙げられたアーバンはもとより、ウェルフ、ガラード、ネザン、コルボ。一人の王子と四人の令息が、レティナの吐き出したらしからぬ単語をつぶやき、発言者を凝視している。
「--説明していただけますか?」
カサついた響きがタニアから紡がれた。
姉から引ったくった靴に足をしまってから、レティナは鼻息荒く、
「だってこいつアーバンの奴からもらったプレゼント見せたら、“そのお金が誰からのものかわかっておりますの?”とか、“甘いだけでやっていけると思ったら大間違いですわ”って言うからよ。あと、“チヤホヤされて喜ぶのは勝手ですけど、大切なのはチヤホヤだけじゃありませんわ”とか、“たまには品位やマナーを考えたらどうですの?”とかさあ! うるさくってしかたなかったのよ! だから少し盛って話しただけよ! だって王子よ王子! 王子様なのよ! 略奪できたらラッキーって普通思うじゃない!? まさかヌーワングラが、いらながってたって思わなかったんだもの! アーバンも“ヌーワングラが我の気を引きたくて、いろいろ両親に言ってくる”とか“幼い頃から我を追いかけてきた”とか言うから、わたしもムキになって……」
「それはアーバン様がケガをすると、わたくしがあれこれ言われるからですわ。もう小さい頃からワガママで、わたくしが注意しても無視して……」
ヌーワングラは事実を話す。平静を保ったつもりであったが、私情が多分にこもり、語尾は胸の奥にこびりついた澱を呼気と一緒に無音で漏らしていた。
兄の脇に侍っていた馬鹿女に、第一王女の両眼は凍てつかんばかりの冷気を送っている。側にいた侯爵家長女でさえ息を呑んだ。
「--でも、あなたもどうせ笑っていたのではないのですか? 兄上とウェルフ様とガラード様がヌーワングラ様に行った恥知らずな所業を、武勇伝めかして話したのを聴いて」
「そ……それはこいつらも同じよ。わたしだけが悪いみたいに言わないで。むしろわたしはアーバンに騙された被害者よ!」
肯定前提で詰問する第一王女に、侯爵家次女は一瞬詰まったものの、弁解する。否、責任を第一王子になすりつけた。
「はぁ!? さんざんねだっておいて何を言ってるんだ! やれ“エメラルドのブローチが欲しい”だの、やれ“ダイヤのネックレスがわたしにはない”だの言っておいて!」
アーバンも負けじとカウンターを食らわす。
途端に、親衛隊はレティナに目を向ける。ヌーワングラを非難していたときより顔つきが険しい。
「そう言えば、俺にも言ってたよな? “エメラルドのブローチが欲しい”って」
「お前もか? オレもだ。あとダイヤのネックレスも……」
ウェルフが地の底から這い出す如く言葉を押し出せば、ガラードも間髪入れず応え、何やら思い出したか瞠目した。
「まさかサファイアのイヤリングやルビーのペンダントやオパールの指輪もか!?」
流れる水さながらの調べに、ネザンとコルボも身を震わせる。
「……私もプレゼントして……“大切にする”って……」
「君もかい? 僕もだよ」
第一王子の取り巻きとしては、後輩にあたる二人。彼らは力なく漏らした。
アーバンのこめかみには血管が浮き出ているし、ウェルフは眉間に皺が刻まれている。ガラードは奥歯を噛み締め、ネザンは身体を抱いて膝をつき、コルボは指を追って数を数えていた。
どうやら、侯爵家長女が考えていた以上に、事態は深刻な模様。第一王子の婚約者として気を遣っていたつもりであったが、本当に“つもり”であった。
さて、どうするべきか--
ヌーワングラはバルベルトの、さらにタニアの様子を伺う。アーバンの婚約破棄宣言から始まったこの騒動、収束は望まれるが、場所を移すなり関係者を呼ばないと事は進展しない。
琥珀を連想させる両眼で、バルベルトはアーバンたちの動向を追っており、“傍観”ではなく“観察”だ。
ヌーワングラを助けたのも目的があってのことだろう。目から鱗が落ちた今ならわかる。が、別に構わない。帝国の王族たる彼が、故国へのメリットを計算するのは当然だ。
タニアは眉を寄せ、口をへの字にしていた。神経が髪より細く糸飴より脆ければ、涙するか気絶するかだが、第一王女には許されない。
しばらくして、タニアの唇が形を変えた。真一文字に移行したそこは上下に開き、
「ヌーワングラ様、バルベルト様、お力を貸していただけますか?」
それは未来の義妹ではなく、第一王女としての言の葉。平たく言えば命令。侯爵家長女は、全身の筋肉が引き締まるのを悟った。
「ええ、わたくしにできることならば」
「ワタークシも~、構いませぬよ~」
蛙鳴蝉噪と評するにも愚かしい、罵詈雑言をぶちまけての仲間割れを起こした、兄をはじめとする輩たちを、第一王女は見据える。
「--静まりなさい!」
それまで唾を飛ばしても不思議ではないくらい、自ら以外を互いに謗っていた六人。口を閉じ、発言者をぎこちなく拝む。
「アーバン・フェルティス、レティナ・シェルスー、ウェルフ・ボーグ、ガラード・パドゥーム、ネザン・オグ、コルボ・ベルザゴ。貴殿らの暴挙は国王陛下と王妃殿下に伝えます。どうかお覚悟を」
覚悟--
自らに言い聞かせているように、ヌーワングラには伝わった。
「わたくしはタニア王女殿下に従いますわ」
「ワタークシも~、同じでございます~」
第一王女の前で、第一王子の元婚約者と帝国の第五皇子も二心なく断言した。
それからはまさに、目の回る忙しさであった。
アーバンやレティナ、取り巻きたちはもとより罰の対象であるが、タニアは自分の両親である国王夫妻も訴えたのだ。
アーバンが卒業パーティーで婚約破棄を宣言したのは、確かに常識知らずだが、ヌーワングラの嘆願を笑い飛ばし、まともに取り合わなかったのがそもそもの原因だからだ。
兄王子の日頃の行動を、第一王女も自らの父母に報告していたが、息子に甘い二人は夢の世界で暮らしていた模様。
「あなたは陛下にドレスを汚されたり、命じられた陛下の友人に無理やり引っ張られて部屋に閉じ込められたり、唐辛子を入れたお菓子を食べさせられたり、本を隠されたり、虫を背中に入れられたり、階段から突き落とされても許せたかもしれませんが、わたくしには無理ですわ。挙句浮気だなんて……いえ、別に義妹、そうでなくても他の女性を愛したことに文句はありませんわ。ただ、当たり前の手段を踏まえずにあんな暴挙に走るなんて……他国の、それも帝国の皇子がいなくてもこの噂が周辺国に広まって、この国は笑い者、それどころか評判は下落して鼻つまみもの、下手をすれば攻めこまれるところでしたわ。さもなくば反乱が起きて、王家は一族郎党皆殺しなんて未来が待っていてもおかしくありませんでしたのよ」
ヌーワングラの無機質な口述に、国王夫妻は顔色を青に染めていた。いや、実の娘に裁判を起こされた時点で、精神の屋台骨を折られたのだ。
国王夫妻は王弟殿下に位を譲り、離宮に幽閉と相成った。タニアが成人したら、女王として戴冠式を行うとのこと。
アーバンは王位継承権を剥奪され、去勢されたのちバナン準男爵の爵位を賜り、王国の端にある土地で領地改革に励むそうだ。猫の額ほどの面積な上、人里へは最低三日はかかる山奥で。
どうやら彼は、侯爵家長女が愛していたと本気で思い込んでいたらしく、真実を痛感するや、目から生気が失われていた。元婚約者としては、どうしてそこまで自惚れていたのか、それ以前にヌーワングラに懸想してほしかったのか、詳細は不明だが。
レティナは強制収容所へと労働者への奉仕作業員として送られた。貢がせた金品の倍以上の慰謝料を払うだけでは終わらせないとのこと。
下準備として喉を潰し、歯を抜き、宮刑に処したのだ。
「わたくしも理解できませんわ。わざわざ罪人になる真似をするなんて。回避できる機会、いくらでもありましたのに」
五体が備わっているうちにというわけか、ののしる義妹に返したら血走った両眼でにらまれた。そこにはサファイアの輝きはなく、あるのは嵐の海から汲んだ水の濁り。
シェルスー侯爵は平民に落とされた。悪女レティナの父であるが、被害者であり娘のヌーワングラが刑の軽減を懇望した結果だ。
レティナの実母、ヌーワングラの義母には、瞠目ものの裏が発覚した。さまざまな男と浮気を繰り返し、肉体関係を持った相手は十は超えるそうだ。
夫に離縁された彼女は、修道院に入れられた。虎も猫どころかミジンコに変わるとまで呼ばれている、“本当に神に祈ることしかできない”エーディンジャル修道院に。
ウェルフとガラードは、スラム街の一角にある傭兵訓練所で、一からやり直すことになった。仕事のない若者への職業斡旋や犯罪者の社会復帰を兼ねた施設で、鬼教官による指導で精神を叩き直すとのこと。
彼らの両親は、アーバンを諌めなかったどころか一緒になってヌーワングラをいたぶっていた事実に対し、烈火の如く叱りつけていた。
ネザンとコルボは、王立学園の雑用係として主に調理を手伝うことになった。自分たちがどれだけの人に助けられてきたかを、理解するために。
他の咎人に比べたら随分甘い気もするが、行いを考えれば納得できる。それに、王子の取り巻きとしておこぼれに預かってきた少年たちには、使用人同然の扱いでも堪えるからだそうだ。
すべて判決が下されたわけだが、本番はここからだ。どうなるかは本人次第。
書類に目を通し、内容を確認した第一王子の元婚約者は心ゆるびの息をついた。父がいなくなって空いた侯爵の地位は、ヌーワングラが継いだのだ。
そして--
「--これからまた、大変でございますね~」
そう言ったのはヌーワングラの夫となったバルベルト。彼は皇族籍を抜き、シェルスー侯爵家に婿入りしたのだ。
要は“国と身分を超えた真実の愛”で第一王子派の総力を削ぎ、第一王女派の土壌を磐石にするためである。帝国と蜜月関係にあることで、周辺国に牽制できるのは魅力が大きい。
帝国側にも、ヌーワングラとバルベルトの婚姻はメリットがある。よく言えば冷静沈着、悪く言えば冷酷で狡猾と偏見を持たれている皇族としては、元第五皇子の存在はイメージ緩和に役立つのだとか。
だが、ヌーワングラには何より重要なことが。
「--バルベルト様、わたくし、あなたには感謝しておりますの。あなたがわたくしと結婚してくださらなければ、いいえ、わたくしを助けてくだらさなければ、わたくしはもとよりフェルティス王国がどうなっていたかわかりませんもの」
現シェルスー侯爵が心情を語ると、伴侶は手で制し、
「礼を言われる理由はございません~。ワタクシは当然のことをしただけでございます~」
話し方も変わってきたが、声の質はあのときのまま。卒業パーティーでヌーワングラを救ってくれたときと同じく、穏やかだ。
「いや、アナタサマだからこそそう思ったのです~」
ヌーワングラは口角を柔らかく上げる。
「ありがとうございます。わたくし嬉しいですわ。だってあなたですもの」
アーバンには胸裏に暖かな光が灯ることはなかった。だが、バルベルトには言葉を交わさずとも春の野山さながらの心持ちでいられるのだ。
だが、ここで終わりではない、二人で歩みながら絆を育んでいく。
ヌーワングラは自らに誓った。
私の知っている限り、「変な喋りの三枚目風キャラ(実は策士タイプ?)」な帝国皇子がいなかったのでやってみました。




