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執事の憂鬱

「ゼン、どうしたの?」


 カルアに訊かれて、ゼンは曖昧な笑みを浮かべた。カルアは疲れたという風に肩を回す。


「ほんと、リーン様は着飾らせるのだけでも大変だわ。勿体ない、お綺麗なのに」

「……アイヴァン様、お帰りになったよな?」

「ついさっき。どうしたのかしらね。リーン様ずいぶん怒っていたけど」


 ゼン知ってる、と問われて、ゼンは首を横に振った。あの美形の婚約者は、なんでか知らないが部屋から蹴り出されていたのだ。怒鳴られていて可哀想ではあったが、リーン様がああいう風に口を利くところを久しぶりに聞いたと思うと、少し嬉しかった。

 すっかり父親のような感傷に浸っていると、カルアは苦笑する。


「そういう顔すると老けて見えるわよ。なんにしろ私はリーン様のご機嫌取らなくっちゃ。何が喜ぶかしら」

「甘いものでも持っていくか。俺が持ってくよ」

「お願いね。……リーン様、大丈夫かしら」

「何が?」

「アイヴァン様の婚約者っていうのも、きっと大変なんだろうなと思って」


 その言葉に、三年前、泣いていたリーンの顔を思い出す。


 出過ぎた真似をしたとずっと後悔していたが、リーンはそう思ってはいなかったらしい。こっそり自分の妹のように思っていたから、あの時は自分でも驚くほど動揺した。泣いていた彼女は、いつもの強気で生意気なお嬢様とは程遠かった。

 我慢する人なんだ、と気づいたのはその時だ。それまでは、よくいる甘やかされて育った貴族の娘だと思っていた。可愛らしいが、あんなに芯の強い女性なんだと思ってはいなかった。

 元からああやって我慢し続けていたのだろう。気を張って生き続けて、辛いだろうと思う。でもゼンにできるのは、せいぜい気の利く執事であろうとすることくらいだ。それ以上は、あの婚約者の仕事だろう。


 ぼんやり考えていると、カルアが肘でつついてきた。


「最近ぼーっとしてない? 大丈夫?」

「……え? ああ、うん」

「じゃあ私、奥様に呼ばれてるから」


 去って行くカルアを見送り、ゼンはタルトを持ってリーンの部屋へと向かう。大抵甘いものを食べれば機嫌を直してくれるのだが、どうだろうか。


 部屋をノックすると、ややあって「どうぞ」という声が聞こえてきた。開くと、ソファに座って固まっているリーンが見えた。


「……大丈夫ですか? 具合でも」

「平気よ」


 答えた声は弱弱しい。タルトを置いたが、興味を示さない。


「年中風邪すら引かないリーン様とは思えませんね」

「うるさいわよ」


 リーンの顔が赤い。さっき怒鳴られていてアイヴァンを思い出し、ゼンはためしに訊いてみた。


「アイヴァン様に何かされましたか?」

「……」


 みるみる顔に血が上るリーンを見て、正解だと確信する。問題はどこまでか、だ。衣服に乱れは無いし、そんなことしたらリーンは気絶しそうだ。そもそも部屋の外にいたゼンが気づかないわけが無い。ということは、たぶん大したことはしてないのだろうが、リーンには刺激が強かったのだろう。

 さっきアイヴァンを殴っておくべきだったか、と考えだしたゼンを見て、リーンは怪訝そうな顔をする。


「ゼン、なんか顔怖いわよ」

「……そうですか?」

「うん」

「何かされたら、私がどうにかしますので」

「出過ぎた真似ね」


 ようやくリーンは小さく笑った。そのリーンの髪、三つ編みを結っている緑のリボンを見て、ゼンはかすかに眉をひそめた。視線に気づいたのか、リーンはリボンを見て、それから慌てたように言う。


「このリボン、気に入ったから」


 それだけよ、と言い訳じみた言葉を聞いて、ゼンは「そうですか」と答える。顔はたぶん、ちゃんと笑みを浮かべられていたはずだ。緑はリーンの趣味ではない。知っている。


「……アイヴァンが、昔言ってたの、思い出して」


 リーンは半ば強引に話題を変えた。


「昔?」

「ええ。昔はよく一緒に遊んだし。いつも泣いてて、うざ……大変だったわ。弟みたいだと思ってたんだけど、気づいたらすごく変わってるし」


 昔は、私が支えてあげないとと思ってたのに、とリーンは小さく呟いた。


「でも今度は私が、アイヴァンに釣り合うように頑張らないといけなくなったの。もちろん、元から私は頑張ってるわ、そうよね?」

「そうですよ」

「でも、アイヴァンはもっと頑張ってたから、私も頑張らないとって。婚約者として釣り合うようにならないとって……」


 リーンは顔を伏せた。


「どうしてだろうってずっと思ってた。なんであんな風に変わったんだろうって。昔は仲が良かったの。私はそう思ってたの。でも、気づいたら遠くなってて、焦って、アイヴァンの隣に立つのが怖くて仕方なくて」


 でも、と迷うように震える声が言った。


「もし、アイヴァンが――」


 彷徨っていた視線が、ゼンを捉えた。黙って聞いていた自分の執事を見て、リーンは口を閉じる。


「……あなたに聞かせることじゃなかったわ」

「そうですか」

「忘れてちょうだい」


 承知いたしました、と答えると、リーンは気を抜いたようにふっと笑った。


「タルト持って来てくれたの? ありがとう、食べるわ」

「紅茶淹れますね」


 ポットから紅茶を注いでカップを置く。一人で食べたいだろうと思って立ち去ろうとすると、リーンがゼンの服の裾を引っ張った。


「待って。……一人だとつまんないわ」


 暇? と上目遣いで問われて、ゼンは一瞬言葉を失い、それから答えた。


「……リーン様がお望みなら」


 じゃあお望みだからいてね、とリーンは言う。


 蕩けるような笑みだった。甘えるような顔はたぶん、ゼンしか知らない。


 気づかないとでも思っているなら、リーン様はだいぶ鈍感だとゼンは思う。それと、そんな顔を見せられるとどう思うのかも考えて欲しい。


 アイヴァンに対する少しの優越感と同情を覚える。ゼンはどうしようか途方に暮れた。

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