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令嬢の執事

「舞踏会はどうでした」


 問われたリーンは、返事の代わりにゼンを睨む。ゼンは笑って、「楽しかったようで何より」と言った。


「ドレス、よくお似合いでしたし」

「……そう?」

「ええ」


 そう言われただけで、あの苦しいコルセットを我慢した甲斐があったと思う。我ながら軽すぎる。今はもうドレスは脱いで、寝間着に着替えていた。少し勿体ない。


「アイヴァン様には会われましたか?」


 言われて、顔をしかめた。それからふと気になって、ゼンを手招きする。そばに来た執事と並び、リーンは頷いた。


「やっぱり、ゼンの方が低いのね」

「アイヴァン様は背が高いですから」

「不思議よね。小さい頃は私より小さかったのに」

「お嬢様から聞くアイヴァン様と、私の知るアイヴァン様はだいぶ違います」

「そうだろうと思うわ」


 ゼンがアイヴァンと最初に会ったのは、リーンが十六になった頃だから、一年前だろうか。その頃なら、アイヴァンはすっかり今のアイヴァンに変わっていただろう。


 ゼンが来たのは、リーンが十歳になった頃だった。その頃から、十五のゼンは執事の見習いとして働き出したのだ。最初は優しい兄のように思ってた。


 いつからその気持ちが変化したのか。その記憶は鮮明に残っている。


「突然あんな感じに変わったのよ。本当はもっと――なんていうの――弱そうだったのに」

「お嬢様から見ると、大抵は弱そうに見えるのでは」


 可笑しそうにゼンは言う。むっとして、リーンは頬を膨らませた。


「そんなことないわ。でもアイヴァンも変なことばっかり訊くし」

「変なこと?」

「あなたと自分を比べるのよ。変よね」

「私と?」


 予想外だったのか、ゼンの琥珀色の目が大きく開く。綺麗な目の色だと思う。好きだなと思った。

 どっちの顔が良いのか、と訊かれたことを思い出す。さらさらした明るい茶髪に、綺麗な琥珀色の瞳。柔らかい眼差しと、低い掠れた声を漏らす唇。

 不意に耳が熱くなるのを感じて、リーンは慌ててゼンから目を逸らした。椅子に膝を抱えて座ると、いつものように「お行儀が悪いですよ」と言わずに、ゼンは心配そうな表情で目の前に屈みこんだ。


「どこか御気分が悪いですか? 顔色が」


 そっと手を伸ばされ、額に触れられる。触れられたところが熱い。溶けそうだ。


 リーンの潤んだ目で見つめられて、ゼンは一瞬絶句した。火傷したように、リーンの額から手を離す。


「――出過ぎた真似を」

「……気分が悪いの。ベッドまで運んで」


 服の裾を引っ張る。これくらいの甘えは許されるだろう。上目遣いで窺うと、唖然としたゼンの顔が見えた。

 駄目だろうか。今までならやってくれたのに。

 失望したような表情が浮かんだのか、ゼンは慌てたように頷いた。


「ちょっと待っていてください。ジュードを呼びます」


 ジュードは老齢の執事だ。基本的にリーンの世話はしない。


「どうして? ゼンが運んでくれればいいじゃない」


 怪訝に思ってそう言う。ゼンはしばらく逡巡するように瞳を揺らしたが、やがて諦めたように頷いた。そんなに嫌だろうか。でも、ゼンに甘えられるのも今のうちだろう。


 アイヴァンに嫁入りしてしまえば、きっとゼンとは会えない。今だけだ。今だけ、我儘を許してほしかった。ゼンがリーンをどうとも思っていない――良くて、世話のかかる強気なお嬢様としか思っていないのは知っていたが、それでも止められなかった。


「……失礼します」


 見た目にそぐわず、ゼンは軽々リーンを抱き上げる。自分でねだったのに、リーンは緊張で心臓が破れそうだった。

 すぐそばにゼンの顔がある。琥珀の瞳がこちらを見ていないことをいいことに、リーンはその顔を見つめる。揺れるのが怖いふりで首にそっとしがみつくと、少し困ったような顔をした。


「お嬢様は相変わらずですね」

「……ゼンの前だけよ」


 他ではきちんと、伯爵の令嬢として振る舞っている。その責任はちゃんとわかっている。だが、ゼンはなぜか、信じられないというような目で腕の中のリーンを見下ろした。


「そういうことを、軽々しく言ってはいけません」

「そういうこと?」


 きょとんと見返すリーンに、また諦めたような顔をした。ここは褒められるべきところではないかと思ったが、違うのだろうか。


 ベッドに優しく下ろされて、しっかり布団を掛けられる。では、と言って立ち去る気配を見せたゼンを、慌ててリーンは引き留めた。


「もう行くの? 前なら眠るまでいてくれたじゃない」

「前っていつのことです」

「えーと……三年前とか?」

「お嬢様はもう妙齢の女性ですよ」

「でもゼンならいいでしょ。お嬢様が眠れなくていいの?」

「まだ悪夢を見るんですか?」


 リーンは頷いた。半分嘘で、半分本当だ。悪夢は今だに見るが、一人で我慢できないわけではなかった。リーンはもう十七で、悪夢に怯えているのも恰好が付かないと思って言わなくなっただけなのだ。

 でも、ゼンがそばにいてくれそうな機会を逃す手はない。精一杯心細げな顔をすると、ゼンは部屋の隅から椅子を引っ張り、ベッドのそばに座った。


「今日だけです」

「ありがとう。今日だけじゃなくてもいいのに」

「……だから、そういうことを言うなって」


 呟くようにゼンは言う。それから昔のように、リーンの頭を撫でた。


「こうしていれば、眠れますか?」

「ええ」


 眠れるわけがない。目は冴える一方だった。目を閉じたくなくてゼンを見つめていると、苦笑された。


「そんなに見なくてもいなくなりませんから、目を閉じてください」


 無理やり目を閉じる。頭を撫でる手の動きが止まる。え、と思って薄く目を開けると、また固まったゼンの表情が見えた。


「……どうしたの?」

「いや……」


 何でもないです、とどこか吐き捨てるようにそう言った。不思議に思ったが、規則的に撫でてくれる手の動きに、眠気が押し寄せてくる。


「――ねえ、居てね」

「大丈夫ですよ」


 答えたゼンの言葉は、リーンにはもう聞こえていなかった。

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