すれ違い3
アイヴァンとフリアが庭に連れ立って何か話しているのが見えた。
楽しそうな表情だ。リーンは固まってそれを見る。屋敷の窓の内側からだと、何を話しているのかは断片的にしか聞こえてこない。
「――やだ――だから――ふふ、それでね」
話しているのはもっぱらフリアで、アイヴァンは穏やかな顔でそれを聞いている。フリアがまた何か言って、途端にアイヴァンは真っ赤になった。照れたように手で顔を覆って、それを見てフリアが優雅な仕草で笑う。
やっぱりお似合いだと思った。絵のような二人組だった。リーンはもやもやが広がるのを感じて、唇を噛む。嫉妬なんてはしたない。夜会で会うような令嬢たちと同じにはなりたくなかった。
結局、レヴェンが来てからリーンは逃げるように部屋から出て、そのままうやむやになっていた。はっきり言葉にされない思いは、不安でたまらなくて、何度も、リーンは言おうとした。でもそのたびに、声が出なくなる。アイヴァンも前のことを忘れたかのように、リーンに何も言ってこない。
――待っているばかりじゃ、ずるい。
分かっている。受け身でアイヴァンの言葉を待つだけなんて、ずるい。そんなの卑怯だ。
でも、リーンの心はとっくに限界だった。アイヴァンが何かするたびにこうも振り回されては、心臓がもたない。やっぱりずっと私の方がアイヴァンを好きなのではないだろうか。別にいいけど、なにかよくないというか、なんというか――。
フリアがふとこちらを見そうになって、リーンは慌てて窓から離れた。
――顔を見られたら。
きっと、リーンが嫉妬していたことなんてすぐばれる。それは、嫌だった。
***
「リーンおいで」
柔らかな笑みを浮かべたアイヴァンを見て、胸が締め付けられるように痛む。
切ない。切なくてたまらない。そんな感情も初めてで、どうしていいか分からないままリーンはそっとアイヴァンに近づくと、伸ばされた手に少し触れた。
労わるように手をゆっくり握られた。優しい目がリーンを見つめているのを感じて、たまらなくなってリーンは俯く。
「どうしたの? 嫌なことでもあった?」
今日は笑ってくれなかった、とアイヴァンが甘えるように言う。リーンは瞳を揺らした。笑みを浮かべようとして、どうしても失敗する。
言わなきゃ。言わなきゃいけない。ずるい人間になりたくない。言わないと。
「――そんなこと、ありません」
「……言いたくないなら、いいよ」
少し悲しそうにそう言われた。でも、とアイヴァンが続ける。
「何かあったら、言って。僕の前では、強がらないで」
ね、と宥めるようにアイヴァンは言う。椅子に座るアイヴァンの前、立ち尽くしたリーンは、ぐるぐる、どうすればいいのか考えていた。
アイヴァンの腕がリーンの細い腰に回って、引き寄せられる。リーンのお腹の辺り、頭を凭せ掛けられて、リーンの心臓は爆発寸前になった。そっと、さらさらした髪を撫でる。愛おしさに、涙が出そうだった。
――どうして。いつから。
何も分からない。わけが分からない。それくらい、好きだ。自覚して、愕然とする。
いつから、こんな風になったのだろう。ずっと優しいアイヴァンに。でも、優しいだけじゃなくて、それだけじゃなくて。
リーンをずっと、ちゃんと、見てくれた。弱みを見せてと言われた。
泣いているところを見せられる相手だと思った。リーンがいつもしている完璧な外面だけの笑みを見せなくても、アイヴァンはリーンを傷つけることなんて無い。必死に追いつこうとしていたけど、そんなことをしなくても、アイヴァンだけは、リーンを相応しい相手だと見てくれる。
周りが何を言っても、アイヴァンがそう思っていてくれるなら、リーンが苦しいほどに、悪夢を見るほどに頑張らなくても、いいのだ。
支えたい。対等になりたい。そんなことを言ってくれたのは、アイヴァンだけだった。
ぽたぽた、涙が落ちた。最近、すぐに泣いてしまう。今まで泣かなかった分。アイヴァンに心配を掛けたくないと思って必死に拭ったけれど、嗚咽が漏れた。
アイヴァンがぎょっとしたように顔を上げる。泣いているリーンを見て、ばっと立ち上がり、リーンの両頬を大きな手で挟み込んだ。
「何か、辛かった? ごめん――僕のせいかな」
「ちがっ……ちがく、て」
それ以上言葉が出ず、リーンは子どもの用に声を上げて泣いた。アイヴァンの胸に顔を押しつけると、アイヴァンは一瞬固まった後、背中を優しく撫でてくれる。
「……アイヴァンのっ……せいじゃ……」
勝手に嫉妬して、言えなくて、辛くなっているのはリーンだ。自分のせいなのに。
「ごめん、なさい……」
泣くつもりなんて無かったのに。戸惑ったように、それでも手を止めないアイヴァンが好きで、そう思っていることを伝えたいのに。
「――どうして欲しい? なんでもやるから」
言って、とアイヴァンがリーンの耳に囁く。息が詰まるほど、心臓が早鐘を打っていた。
「な、――なんでも?」
「うん」
なんでも。
このまま抱きしめてくれているだけでいい。
そう言おうと思ったのに、口が勝手に動いた。
「……フ、フリア、と、……あんなに仲良く、しないで」
――あ、間違えた。
史上最悪の間違いだった。
リーンはがばっと顔を上げた。涙で濡れた視界の先、リーンをじっと見つめるアイヴァンの顔が。
――むり。無理だわ、これは。
逃げよう。そう思ってアイヴァンの腕から逃れようとすると、反対に、またきつく、抱き寄せられた。
「え!? あのちょっと、一旦、やり直します! 離して!!」
「だめ。逃がさない」
「に、逃がして! うそうそうそ。嘘ですわ! 訂正する! しますから!」
「しなくていい」
「いいいいいや、む、無理です! 耐えられません!」
呆れられた、絶対。これでは、リーンに嫉妬してくる令嬢たちと何が違うのだろう。
「ち、違うんです! これはその、嫉妬とか、そんなんじゃなくって――!」
「嫉妬じゃないの?」
「ち、ちが……」
見上げた先、残念そうな顔をしたアイヴァンが見えた。乞うような瞳に、リーンは否定の言葉をどうしても言えず、腰が抜けて座り込みそうになった。
「……そうです……」
負けた。大人しく認めたリーンを見て、アイヴァンはもう一度きつく、リーンを抱きしめた。骨が折れる、と思ったリーンがアイヴァンの足を踏むまで、離さなかった。




