すれ違い2
フリアはしばらく泊まるようだった。
リーンと仲良くなりたいというのは本当なのか、何かにつけてお茶だのなんだのと一緒に過ごす。話の引き出しも多いし、聞き上手で、リーンもとても楽しかった。良い人だと思う。綺麗だし、面白いし、優しいし、知れば知るほど非の打ち所がないように見えた。
でも、ことあるごとにアイヴァンとの親密さを目撃すると、そのたびにもやもやする。一度、フリアの髪留めが曲がっていた時だって、アイヴァンは自然に直してあげていた。やっぱり軽薄だ。
フリアと仲良くなれて嬉しい一方で、フリアがこれ以上屋敷にいると思うと辛かった。でももっと一緒に過ごしたい。でもアイヴァンとは離れて欲しい。でも――。
堂々巡りで考えているうちに、頭が痛くなってきた。それに、アイヴァンが前より素っ気ない気がする。気がするだけだと思いたいが、気のせいじゃない気もする。どういうつもりだろう。でも仕事が忙しいのか、夜会えることも減っていた。
「何か悩み事?」
ティーカップを持っていたフリアが、それを置いてリーンに問う。リーンは曖昧に笑った。
「……アイヴァンと、なかなか会えなくて」
「あら、恋人を放っておくなんて駄目ね。言ってやろうかしら」
「平気ですわ。……私と、会いたくないみたいだし」
拗ねたように言うリーンに、フリアは驚いたような顔をした。
「何言ってるのよ。こっちが照れちゃうくらいでれでれしてるのに」
そんなにか。ちょっと不安を感じたが、リーンはスルーして頷いた。
「だって、前より話す回数も減ったし、こっちから話し掛けてもすぐ仕事とかで行っちゃうし」
あと、抱きしめられることが無くなった。頬に触れたり、手に触れたり、そういうのはあるが、まるで壊れ物でも扱うように少ししか触れてこない。
顔を真っ赤にして悩みを打ち明けるリーンに同情したのか、フリアは真剣な顔で言った。
「そういう時はこっちから距離を置いてみるのよ。寂しくなったらすぐ来るわ」
「……でも」
「平気よ。アイヴァンはあなたから離れないわ」
「……あの、でも、アイヴァン、……たぶん、知らないんです」
何を、ときょとんとしたようにフリアは言う。勇気を振り絞り、リーンは消え入りそうな声で言った。
「……私、が、アイヴァンを、……好き、なこと」
「――え?」
ちょっと待って、とフリアは額に手を当てた。美しい顔が悩ましげに歪んだ。
「確かにあいつは、あなたに振り向いてもらえないとか散々言ってたけど……え、ひょっとして、今もそう思ってたの?」
「……ええ」
「だって、リーン、だいぶ分かりやすいわよね?」
「……でも、気づいてくれなくて」
「え、じゃあ、私だいぶ先走ってた? やだ、だっててっきり」
あんな雰囲気だったから、とフリアは手で口を優美に押さえた。
「ああ、だからあの時あんなこと言ったのね。勿体ないとかなんとか。変だと思ったけど」
片思いを拗らせると面倒ね、とフリアは微妙な顔で言う。いたたまれなくて、リーンは真っ赤な顔で俯いた。
「なるほどね。じゃあアイヴァン、あなたに未だに片思いし続けてるのね。不毛だわ……」
「……はっきり言えない私が悪いんですけど」
「普通気づくわよ。でもそうね、はっきり言うしかないんじゃない?」
「……無理です。死んじゃう」
「じゃあ逆に、もっと甘えてみるとか。さすがに気づいてもいいんじゃない?」
それもそれで心臓が止まりそうな気がする。
不安な顔をしたリーンを元気づけるためか、フリアは拳を握りしめて言った。
「さすがにアイヴァンがちょっと可哀想だと思うわ。ここは、リーンが頑張らないと!」
「そう……ですよね。ええ。頑張ります」
何を頑張るのか見当もつかないが、とりあえず頷く。応援してるわ、と真剣な目で見つめられて、リーンもつられて拳を握りしめた。
***
「ア、アイヴァン」
声がひっくり返って、リーンはしゃがみ込みたくなる。部屋の中、椅子に座って書き物をしていたアイヴァンは驚いたようにリーンを見た。
「リーン?」
「入っても……」
「もちろん」
何かあった、と柔らかく問いかける顔をまともに見れず、挙動不審になりながらリーンは恐る恐るアイヴァンに近づいた。
「あっあの……最近、話して、ないなと思って」
「そうかな」
「お邪魔だったら、帰りますけど……」
仕事だろう。徐々に小声になるリーンを見て、アイヴァンは紛れもなく嬉しそうに笑う。
「いいよ。大したことじゃないし」
アイヴァンが立ち上がり、リーンを椅子に座らせる。それから部屋の隅の椅子を持って来て、アイヴァンはそれに座った。
いつもなら、リーンを膝に座らせるのに。またもやもやを感じて、リーンは顔をわずかにしかめた。
頑張らないと、と言われたことを思い出す。そう、リーンが頑張るべきなのだ。
「……そっち、座っていいですか」
「ん? こっちの椅子の方が良かった?」
立ち上がろうとするアイヴァンを押しとどめて、リーンはぎくしゃく立ち上がると、そのままアイヴァンの膝に座ろうとする。バランスを崩し掛けて、アイヴァンが慌てて抱き止めた。
アイヴァンの温かみが伝わって来る。こんなに近づくのは久しぶりだった。座りなおしたリーンがアイヴァンと向き合うと、アイヴァンはほんのり目尻を赤く染めてリーンを見ていた。
「……どうしたの? 珍しいね」
「……どうもしてませんわ」
「熱でもある?」
「……や、やりたいことをやっただけです。何か悪いですか」
「本当にリーン?」
「……帰ります」
「嘘、うそうそ。ごめんって。帰らないでください」
まだいて、と甘えるように言われた。息が詰まって、リーンは思わず目を逸らそうとする自分を押しとどめる。
本当にアイヴァンは分かっていないのだろうか。
分からないふりしてリーンがから回っているのを楽しんでいるのでは?
そんな疑問が一瞬浮かんだが、打ち消す。そんなことができるほどアイヴァンは器用じゃない。
「最近、お仕事、忙しいですね」
「そうだね」
「……私といるのが、嫌になったのかと」
何を言ってるんだ、私は。
冷や汗がだらだら流れる。ほとんど気持ちを打ち明けているようなものではないか。
一瞬動きを止めたが、アイヴァンは穏やかな声で答えた。
「……そんなことないよ。ずっと、話したかった」
そっと、肩を撫でられた。思考停止になりそうな頭をなんとか働かせ、リーンは言う。
「でも――でも、最近は早く帰ってこないし」
「ごめん」
「前よりずっと、素っ気ないし」
「そんなことないよ」
「う、嘘。だって――!」
言ってしまえ。自分を叱咤した。膝の上できつく拳を握りしめ、リーンは一息に言った。
「だって、全然、抱きしめて、くれないじゃない」
ぴたりと、肩を撫でる手が、止まる。
アイヴァンの綺麗な目は見開かれていて、固まっていた。まじまじとリーンを見ている。逸らしちゃだめだと思うのに、身体が言うことを聞きそうにない。自分と戦っていると、不意に、アイヴァンの硬直が解けた。
ふわりと、抱きしめられた。
「ひゃ、ひゃああ」
力が抜けて、変な声が出た。恥ずかしさのあまりアイヴァンの肩に顔を押しつける。でも、心は喜びで満たされていた。アイヴァンの体温を味わうように、背中に回した手でしがみつくと、アイヴァンの困ったような声が聞こえた。
「嫌われたくなくて、あんまり触れないようにしようと、思って。あとちょっとで三か月経つから」
「……ええ」
「振り向いてもらえなくてもいいから、嫌われなければ、結婚できると思ってた。ずるいよね」
そんなことを思っていたのか。本当に分かっていなかったのだ。
「……期待すると、違った時、辛いから。考えないようにしてたんだけど」
「はい」
「すっごく、自惚れてる、かもしれないけど」
「……ええ」
「リーン」
そっと、身体を離された。名残惜しくてリーンは少し息を吐く。その唇を、アイヴァンの親指がなぞった。しっとり湿った柔らかい唇の感触を楽しむように、ゆっくり動く。蕩けるような笑みを浮かべるリーンを見て、アイヴァンは苦しげに顔をゆがめた。
アイヴァンの目は、焦がれるような熱と、戸惑いと、恐怖と、期待が混じっていた。
口が開かれた。リーンは待つ。アイヴァンが言おうとした、その瞬間――
「アイヴァン様、仕事のことで連絡が入りまして――」
レヴェンは言いながら扉を開けると、きょとんと目を瞬いた。壁の隅、蹲っているリーンと、椅子の上で項垂れているアイヴァンが目に入った。
書斎の方にリーンが居たことは無かった。だからいつものようにノックもろくにせず入ってしまったのだが、何かまずいことをしたことは、本能的に理解した。
「――申し訳ございません。出直しましょうか?」
「いや、いい……。仕事が何だって?」
アイヴァンは引き攣った笑みでレヴェンを見た。殺気を感じて、レヴェンは土下座する勢いで頭を下げる。
あとで顛末を聞いたフリアは、不毛だわ、と言って天を仰いだ。




