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伝わらない思い2

 上機嫌なアイヴァンを見て、レヴェンは首を傾げた。夜会から帰って来て以来、ずっとこんな風に浮かれている。


「リーン様と何かあったんです?」


 優雅に紅茶を飲んでいたアイヴァンは途端に噎せ、レヴェンを恨めしげに見た。老齢の執事は飄々としたまま、ちっとも悪気なく「申し訳ありません」と言った。


「……嫌われてないみたいだから」


 それでも素直に答えたのは、やっぱりよほど機嫌が良いのだろう。レヴェンは「ほお」と頷いた。


「なるほど、ようやく苦心六年の片思いが実って――」

「七年ね。あと別に、実ってない」


 嫌われてないって分かっただけ、とアイヴァンは苦笑いした。レヴェンは目を瞬かせる。


「……それだけでそんなにご機嫌だったのですか?」

「それだけでって、簡単に言うね……」

「いえてっきり」


 機嫌のよさから推し量って、そう思っただけなのだ。アイヴァンは悩ましげに眉を寄せた。


「……普通なら、好かれてるって自惚れるところだけど」

「だけど?」

「……リーンだから」

「ああ」


 片思いを拗らせている主人にそっと涙する。


「期待したら、後が辛いし。そういうのはとっくに諦めてると思ってたんだけど」


 甘かった、とアイヴァンは呟いた。あの夜会の時、てっきりそういう意味かと思ったら、予想以上にリーンは初心だった。腕の中、抱きしめると、安堵したように力を抜いた身体を思い出す。慰めてくださいというのは、文字通り、慰めてくださいというだけの意味だった。


 何があったか知らないが、たぶんものすごい我慢を強いられたんだろうなと察しの良いレヴェンは思い、また涙する。老齢になると涙腺が緩くていけない。


「きっと報われると思いますよ」

「……報われなくても、リーンが幸せならいい」

「立派でございます」

「嬉しくない……」


 徐々に機嫌が元に戻っていく。現実に戻ったのか、アイヴァンはため息をついた。


「あれは夢だと思っとこう。リーンがあんなこともう二度と言うわけないし……」


 独りごとのように呟き、それからレヴェンの方を見た。


「もうすぐ、三か月だよね」

「あと一週間ほどでございますね」

「……よし」


 このままどうにか嫌われずにいけば、と一縷の望みに縋るようにアイヴァンは呟いた。レヴェンはそっと、アイヴァンに向かって手を合わせた。



 ***



 申し訳ありませんでした、と頭を下げるメイド長を見て、リーンはぱちぱち目を瞬いた。

 訊ねるように、背後にいるエルを見る。エルも困ったように笑っていた。


「……私の目が行き届いていなかったようです。メイド長として失格です」


 あのメイドに関しては、こちらできちんと対処いたします、とメイド長は言う。何を言いたいのか分かって、リーンは肩の力を抜いた。


「……誤解が解けたなら良かったわ。私も嫌な態度を取って……」

「いいえ。リーン様にご不快な思いをさせてしまったのはこちらです。アイヴァン様に言われるなりなんなり、どうぞなさってくださいませ」


 真剣な顔だった。たぶん、ものすごく真面目な人なのだと思う。そうでないとメイド長は任せられないだろう。リーンは柔らかく笑って、首を横に振った。


「そんなことする権利は私には無いわ。まだ結婚だってしてるわけでもないし。でも――もう少し、仲良くなれたらと思うわ」


 メイド長は目を見開くと、それから嬉しいような、悔いるような複雑な表情を浮かべた。


「寛大なお心、感謝いたします……」

「そ、そんな大げさだわ。あの、本当に、辛かったのはエルだし」


 私はたまたま通りかかっただけで、と小さな声で呟く。散々冷たい態度を取られたことを知っているカルアは、呆れた目でリーンを見た。


「リーン様、がつんと言ってやってもいいんですよ」


 こっそりそう囁いてきたカルアに、リーンは困ったような顔をした。


「あの、でも、嬉しいの。こんな風に受け入れてもらったことが、あんまり無いから……」

「リーン様……」


 そっとカルアが目頭を押さえると、つられたようにメイド長まで涙ぐむ。申し訳ありません、ともう一度言った彼女は、エルにも頭を下げた。


「辛い思いをさせたわね。ああいうことをやるメイドはなかなかいなくならないから……次にあったら、絶対に言ってちょうだい」


 頭ごなしに否定する気なんて無かったから、と言う。エルは小さく頷いた。


「……私もすみません。絶対、信じてもらえないと思って」

「いいのよ。私の態度はどうも、厳しいみたいだから」


 少し悲しそうに言うメイド長が自分と重なって、リーンは苦笑した。


「とりあえず、解決したなら良かったわ。本当に、アイヴァンに言ったりなんかしないから。これからもよろしくお願いします」

「ええ奥様」



 ――奥様?



 おくさま。


 固まったリーンを見て、メイド長は戸惑ったように首を傾げた。


「――そうですよね? これからもということは、ご結婚、なさるということで……」


 ご結婚。そういえば、あと一週間くらいで三か月経つのではないだろうか。


 ご結婚、なさるのだ、たぶん。おそらく。


 アイヴァンと。


 踏ん切りがつかないなんて言っていた頃からは想像もつかないほど、ひどく、幸せで戸惑った。アイヴァンとずっと一緒にいられる。そばにいてくれる。そんなこと、あってもいいのだろうか。

 幸せで頬が緩みそうになって、慌てて顔を引き締めた。その話は何もできていない。というか、リーンの気持ちはあの鈍感には伝わっていない。何とかしないといけなかったのを思い出して、途端に憂鬱になった。


「……あの、一つ、訊きたいことがありまして」

「私に答えられることなら、なんなりと」

「……アイヴァンって、何が、好きなんでしょう」


 食べものとか、物とか、趣味とか。何も知らないことを、今さら思い出した。リーンの情報は十二歳のアイヴァンで止まっている。

 メイド長は戸惑うように視線を彷徨わせると、恐る恐る言った。


「そういうのは、リーン様が直接お聞きになった方が……」


 ですよね。項垂れたリーンを見て、メイド長はやっと少しだけ笑った。


「リーン様と一緒にいらっしゃる時が、一番楽しそうでございますよ」

「……そうですか」


 真っ赤になった顔を隠すために、リーンは両手で頬を挟み込んだ。

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