夜会の花
大広間、連れ立って歩くリーンとアイヴァンは注目を集めていた。
というか、毎度注目を集めている。あらゆる貴族の令嬢に人気のあるアイヴァンと、あらゆる貴族の令嬢から悪口を言われるリーン。アイヴァンが毎回リーンにあしらわれている様子も有名だった。世間では「悪女に騙された可哀想なアイヴァン」か「幼い頃の約束を忠実に守っている可哀想なアイヴァン」が定説だったが、今回は雰囲気が違った。
アイヴァンが居なければ壁の花を決め込むことになるだろうとリーンは思い込んでいたが、実のところ、彼女に声を掛けようとしている男は一定数いるのである。毎回アイヴァンに先を越されるかリーンが全く気付かないだけなのだ。だが今回は、リーンはちゃんとアイヴァンの腕を取っていた。大広間に一瞬ざわめきが広がることに不安な顔をしそうになって、リーンは慌てて表情を取り繕う。
リーンにさっき会ってから、今まで必要最低限のことしか言わなかったアイヴァンは、ようやく言葉を発した。
「……心臓に悪い」
「え?」
いつも耳が腐るほど可愛いと言うのに、今回はまったく言われず、逃げ帰りたいと思っていたリーンは不安な目でアイヴァンを見上げた。
「なんでそんな恰好……」
「……やっぱり、似合いませんか」
「違う!」
誤解させていたことに気づいて、アイヴァンは慌てて否定した。
「……綺麗だよ。いつもと違うよね。なんで?」
なんで。なんでって。ぐるぐる混乱し、カルアが言ったことを辛うじて思い出して、リーンはそのまま言ってしまった。
「アイヴァンの為です」
あ、間違えた。
いや、間違いではないのだが、間違えた。
じっと見つめられて、リーンは思い切り顔を逸らす。首まで仄かに赤らんでいるのを見て、アイヴァンはリーンの腰を抱いて顔を近づけた。逃げられずに、リーンは必死に視線を逸らす。
「そういうこと言われると、どう思うか分かる?」
「分かりませんわ……あと近いです」
くそ、とアイヴァンは小さく毒づいた。そういう言葉をアイヴァンから聞くのは珍しくて、思わずリーンはアイヴァンを見る。まともに視線が合いそうになり、リーンは言葉を発せなくなった。また視線を逸らすと、アイヴァンの声が耳元に注ぎこまれた。
「嬉しいけど、そういう恰好は、僕だけに見せて欲しい」
「……夜会用なのに」
「知ってる。そういうことじゃなくて、あー」
きょとんとするリーンを見て、アイヴァンは苦笑した。
「すごく綺麗だよ。良く似合ってる」
「……ありがとうございます」
「ネックレス、付けてくれたんだ」
「ええ。……あの、ちょっと、近いですって」
「みんなやってるよ」
親密な雰囲気をあからさまに出しているカップルはいる。いるのは知っているが、当人になるのは違う。
「足踏みます」
「はいはい」
諦めたのかやっと解放され、リーンは必死に頬の火照りを冷まそうとした。ボーイからグラスを受け取り、冷たい飲み物を飲む。それでも一向に火照りは収まらなかった。
「君が一番綺麗だ」
「言い過ぎですわ」
「そんなことない。みんな見てる」
「アイヴァンを見てるんです」
言葉だけ聞くとのろけているようにしか思えないが、リーンの顔は浮かなかった。ちくちくした視線を感じる。リーンを見ているのは確かだろう。でもそれは、好意的だとはとても思えなかった。アイヴァンがリーンを引き寄せるたびにざわめきが起こって、リーンは拗ねたくなる。そんなに釣り合わないだろうか。
ざわめきが一通り収まったところで、いつものように挨拶を交わす。嫌味を言われるのは慣れていたが、いつもよりあからさまにじろじろ見られて辟易とした。
「――見てあのドレス。あからさますぎるわよ」
「誘ってるのかしら。はしたない」
「赤は合わないわ。趣味が悪いわねえ」
何を言われても仕方ないとは思ったが、一度、ネックレスの趣味が悪いと言う言葉を聞いた時は、思わず無言で睨んでしまった。またそれで何か言われるのだろうが、我慢できないものは我慢できない。
アイヴァンがリーンに贈ってくれたのだ。そう言われるのだけは、どうしても嫌で仕方なかった。
色々な苛立ちを誤魔化すために何杯も飲む。その間にもさっと笑みを浮かべて挨拶を続けるのに、徐々に疲れてきた。
コルセットがきつい。それもあった。いつもよりかなり締めているから気分が悪い。ぐったりし始めたリーンを見て、アイヴァンが囁いてきた。
「大丈夫じゃないよね。休もうか」
大丈夫かと訊かれれば大丈夫だと返してしまうのをしっているから、そう訊いてくる。アイヴァンの気遣いが嬉しくて、リーンは小さく頷いた。
壁際、椅子にそっと座らされて、リーンは俯いた。せっかくカルアたちが頑張ってくれたのに申し訳ないが、やっぱり楽しめない。アイヴァンが綺麗だと思ってくれたのは嬉しかった。でも。
「もう少ししたら、部屋に行こうか。顔、青ざめてる」
夜遅くまで開催されるから、客室が用意されていた。素直に頷き、リーンは呟く。
「……情けないわ」
「そんなことない。僕の為に着てくれたらしいから、もうちょっと見ていたかったけど」
笑い含みに言われて、リーンはいたたまれなくなって頬を両手でおさえた。そうしないと、嬉しくて顔が緩みそうだ。嘘でもお世辞でも、嬉しい。
「ねえ、こっち見て」
言われるままに顔を上げる。穏やかに笑うアイヴァンが見える。
「やっと目が合った」
頬を優しく撫でられる。リーンは固まって、まじまじとアイヴァンを見ていた。目を逸らせなくなったのだ。硬直するリーンを見て、アイヴァンは笑みを引っ込めた。真剣な顔になって、言った。
「前、どうしても訊けなかったけどさ」
「……はい」
「僕の思い違いかもしれないけど」
「……はい」
こんな分かりやすい顔をしてしまうのだから、もうバレているに違いない。リーンはそう思って、覚悟を決めてアイヴァンの次の言葉を待った。
「……僕のこと、嫌いになった?」
――え?
思わず声に出すところだった。アイヴァンは切ない顔で言う。
「前まで、好かれてないとは知ってたけど、嫌われては無いと思ってて……でも最近は目も合わせてくれないし、触れると強張るし」
――ああ。
混乱とともに、妙に納得した自分がいた。
片思いを拗らせているアイヴァンは、リーンの様子に気づかず言葉を続ける。
「嫌じゃないって言ってたけど、他に理由も無いだろうし。気遣うのは、やめて。はっきり言ってくれないと、期待するから」
――違うのに。
色々なショックで、逆にリーンは何も言えずにアイヴァンを見つめる。言わないと。言わないとずるい。分かっているのに、心が追いついてこない。自分のすべてをありのままに晒してしまうようで、この気持ちを言葉にしてしまうのが怖かった。
頬に触れていた手が、離れた。ぬくもりを失って、リーンの火照った頬は冷めていく。
「知ってる? もうすぐ三か月経つ」
嫌なら言って、とアイヴァンは小さく言った。




