飾り
部屋に辿り着くと、カルアが驚いたように見て来た。
「あれ? エルじゃないですか。え? どうしたんです」
エルというのか、と思って、後ろにいた少女を見た。
「……申し訳、ありませんでした。助けていただいて……」
エルはまた泣きそうな顔でそう言った。リーンは顔から力を抜くと、今度は普通に笑って言った。
「大変ね。言われてやったんでしょう。今度からは、私の名前を出して断りなさい」
「え……」
驚いたようにリーンを見て、それからエルは恐る恐る問う。
「知ってらしたんですか?」
「見てたら気づくわよ。あの、メイド長の後ろにいた人に言われてやったんじゃないの? 違う?」
「……そ、そうです。時々、何か言い付けられて……タルトも……」
「私からアイヴァンに言ってもいいけど、変に恨まれても困るだろうし」
「す、すみません……」
「どうして謝るの」
ぽろぽろ泣き出したエルを見て、リーンは安心させるように柔らかく笑う。それに呆気に取られたような顔をして、エルは言った。
「……ものすごく失礼なことかもしれませんけど、リーン様が、助けてくださると思わなくて……」
性格が悪くて冷たい人だって聞いてたから、とエルが小声で言う。正直な言葉にリーンは思わず苦笑した。苦い顔をしているカルアを宥めるように見てから、リーンは言った。
「知ってるわ、そう言われてるの。別にいいわよ」
「……すみません」
「謝らないで。夕飯が貰えなかったらまた来て。メイド長はずいぶん私のことを嫌ってそうだから、貰えるか分からないし」
「わ、分かりました、すみません」
戸惑ったような顔でエルは頭を下げた。メイド仲間からリーンの悪い評判ばかり聞いていたから、目の前で笑っているリーンにどうしても困惑した。アイヴァン様は昔からの約束で押しつけられたのよ、可哀想に、という言葉を本気で信じていた。違ったのだろうか、と思ってリーンをそっと見ると、いつも怖いと思っていた赤い瞳がエルを見つめ返してきた。宝石みたいに綺麗な目だと思って、エルは見惚れる。少しも冷たさを纏っていなくて、いつもとは別人に思えた。
「タルトはあなたが食べちゃいなさい。私はお腹空いてないし。ここで食べればばれないでしょう」
「え?……いいんですか?」
ここで、とエルは途方に暮れたように部屋を見た。豪華な部屋だ。エルは一歩も足を踏み入れたことのないような世界で、ぽかんと口を開いた。
「リーン様が言ってんだからありがたくそうしなさい。ほら、仕事あるんでしょ、さっさと食べちゃって」
カルアがせかすようにそう言って、エルをソファに座らせる。身体が沈む感覚に、目が回りそうになった。
「リーン様、あの」
言うと、リーンはエルを見た。あの怖いメイド長に一歩も引かなかった様子を思い出す。貴族の娘はみんな弱弱しくて散々甘やかされて我儘だと思い込んでいた。
――綺麗で、強い人なんだ。
純粋にそう思った。どうしてアイヴァンが婚約者としてリーンを大切にしているのか、よく分かった。
「ありがとうございます」
いいえ、とリーンは笑う。エルがリーンに見惚れている様子に、カルアは微妙な顔をした。
***
「なんで増えてるの……」
「私一人じゃどうせリーン様逃げるんでしょ。分かってるんですよ」
気合い十分なカルアの背後、エルと若いメイド数人が控えていた。屋敷に受け入れられている気がして嬉しいが、それとこれとは話が別である。
「き、きついわ! コルセットは緩めだったじゃない!」
「なに言ってんです。アイヴァン様に綺麗な姿見せなくていいんですか?」
数人に取り押さえられ、どうにも逃げられなくてリーンは諦めた。人形のように立っていると、勝手に飾り付けられていく。化粧もいつもより念入りだ。
「リーン様は元から顔立ちがはっきりしてらっしゃるので、そこまで濃いとくどくなるんですよねえ」
「任せるわ……」
「髪もまたリボンだけじゃつまらないですね」
「好きにしてちょうだい……」
用意されたドレスを見て、リーンは顔をしかめた。
「そんなの似合うかしら。胸元が開き過ぎてるし……」
「なに頑固親父みたいなこと言ってるんです。流行りですよこれ。開き過ぎてませんし似合います!」
決めつけられて、リーンはもう何も言うまいと思って口をつぐんだ。
濃い、いっそ黒に近いような色のドレスを着るのは初めてだ。薄絹を何枚も重ねたようになっていて、光に透けて上品な夜空のような色に変わる。星屑のように煌めく糸で刺繍がしてあって、リーンの薄めの色の金髪と似合う。そしてやっぱり、胸元がきわどい。頑固親父だと言われたくはないが、顔が強張るのは止められなかった。確かにパーティでこんな格好をしていた人もいたような気がするが、自分に似合うとは思えなかったのだ。
髪もいつもより丹念に編み込まれた。シンプルなラインのドレスだから、髪を凝った編みにしてもくどくならない。ジュエリーもシンプルだが、いつもより多かった。赤で統一されていて、リーンの瞳を際立たせる。首元を飾るのは、アイヴァンに貰ったものだ。
「このドレス、赤って似合うの……?」
「似合ってらっしゃいますよ。落ち着いた赤なので」
「へえ……」
よく分からない。だが、鏡を見てリーンは自分でも、似合っていると思わざるを得なかった。ただ、いつもより豪華に仕立てられているのがはっきり分かって、恥ずかしい。
――なんだか、アイヴァンの為に着飾りましたって感じがするわ。
それは首元のネックレスのせいなのだろうが、そう思われるのは耐えられない羞恥だ。しかし、カルアたちはそんな気持ちも知らないようにひたすら褒めてくる。
「よくお似合いです! ほら、こんくらい着飾ったって見劣りしないでしょ」
「本当にお綺麗です」
「アイヴァン様だって見惚れますよ!」
「やだ、いつも見惚れてるじゃない」
エルたちがきゃあきゃあ騒いでいる。リーンは虚ろな目で笑った。どういう表情をしていいか分からない。
「リーン様、しゃんとなさってください。表情作るのはお得意でしょ」
「こう?」
「……もうちょっと柔らかく笑ってください」
「できないわ……」
「ほら、そこら辺によくいる貴族の娘がやる感じですよ。リーン様は隙が無さすぎて怖いんです」
散々なカルアの言いように、リーンはますます虚ろな目をした。そんなこと言われても。
「まあ、隙が無いのがリーン様っぽくはありますけど。とにかく、アイヴァン様の前ではもうちょっと嬉しそうに笑ってくださいね。最近視線すら合わなくて辛そうですよ」
「やめて! それを言わないで!」
だって、どうしても無理なのだ。心臓が爆発する。頬を染めたリーンを見て、エルたちはさらにきゃあきゃあ言っている。面白がられているようにしか見えない。胃が痛い。
まさか自分がこんなに不器用だと思わなかった。ゼンにはもうちょっと自然に接していた気がする。どうせかなわないと思っていたからなのか分からないが、でも、明らかに何かが違った。
アイヴァンのそばにいたい。でも、見つめられると耐えられない。触れられると堪らなくなる。妙なことを口走りそうで、唇を噛んでいないと安心できない。そばにいると辛くて、でも会わないとひどく寂しかった。
ひょっとしたら、リーンは全然、恋なんて分かっていなかったのかもしれない。なんだか自分の方がずっとアイヴァンのことを好きみたいな気がして、それも耐えられなかった。アイヴァンはどうしてあんなに自然に接することができるのだろう。やっぱり、リーンのことをそこまで好きじゃないからなのだろうか。
自分ばっかり空回りしているようで、それも癪だった。辛かったら我慢しないで、と言われたが、いっそう、アイヴァンには自分の綺麗なところだけを見せたいと思ってしまう。それで、余裕があるように振る舞いたいのに、アイヴァンの前に立つと視線すら合わせられない。
アイヴァンに呆れられているかもしれない。そう思うとひどく憂鬱だった。浮かない顔で鏡を見ていると、カルアに発破を掛けられた。
「さあ、自信ありげな顔をしてください!」
「……アイヴァンの為に着飾ったみたいで、恥ずかしいわ」
「何言ってるんです。まさにそうですよ。ほら、綺麗だって言ってもらいに行ってください」
アイヴァンと会う前に気絶しそうだ。不安でたまらない顔のリーンを、カルアたちは励ましながら見送った。




