自覚
なんだか甘い恋人のような真似をしている。
火照った顔を冷まそうと歩き回っていると、カルアがにやにやしながら声をかけてきた。
「リーン様、愛されてますね」
「……見てたの?」
「レヴェンから聞きました」
「……レヴェンにはよく言って聞かせないと」
断じて、リーンはそういうつもりはなかった。ただ思ったことを言ったまでだ。いやそっちの方がまずいのか――。
「――リーン様の悪口言うやつは、私が片っ端から殴りますからね。気にしないでください。単なる嫉妬ですよ」
「分かってるわ」
アイヴァンがあれだから。ため息をついたリーンを見て、カルアは笑う。
「リーン様、楽しそうですね、最近。前はずっと気を張ってたのに」
「……そうかしら」
「ええ。表情が柔らかくなったというか。今も昔もお綺麗ですけど」
「お世辞はいいわ」
「ほんとですってー」
頬を膨らませてカルアは言う。
「羨ましい限りですよ。あんな素敵な婚約者がいて」
「……そうね」
「あ、冗談ですよ。リーン様を婚約者にできるのだって羨ましいですし」
「カルアって、変なの」
「リーン様ってなんでそんなに自信なさげな顔するんですかね」
思わず顔に手をやった。自信なさげ。
「そんなに、顔に出てる?」
「私の前では。あとゼンとか」
もうちょっと気抜いてもいいと思うんですけどねえとカルアは言う。
「アイヴァン様とか、気を抜いたリーン様でもでろでろに甘やかしそうですよ。もうちょっと隙を見せるんです。男はそれに弱いんで」
「……それはどこの情報よ」
「私の経験談ですよ。気を抜かないリーン様も強くて素敵ですけどね」
婚約者なんだしもっと甘えていいと思います、とカルアは拳を握りしめてそう言った。リーンは曖昧な顔で頷く。
「もちろん私にも甘えてください。気になることがあれば相談でも」
その言葉に、リーンはふと気になって訊いた。
「……ねえカルア、どうやって人のこと好きになるの?」
「……予想と斜め上のことを訊かれました」
カルアは意外なように目を瞬かせ、それから言った。
「ひょっとして、アイヴァン様のこと好きじゃないんですか?」
「――好きよ。でも、恋とかそんなんじゃない」
従兄で、仲が良くて手のかかる弟のように思っていた。でも気づいたら置いて行かれて、アイヴァンは何でも完璧で――これは、劣等感なのだろうか。
アイヴァンがどうしてこんなにリーンを大切にしてくれるのか分からない。時々、やっぱり全部冗談なんじゃないかとも思う。失恋したリーンを気遣っているだけなのかもしれない。アイヴァンは、優しいから。
カルアはますます驚いたようにリーンをまじまじと見つめてから、不意に納得したように頷いた。
「なるほど。私は常々リーン様が鈍感だなあと思っておりましたが」
「余計なこと言わない」
「ご自分のことも鈍感ですね。これはアイヴァン様も大変ですね」
「……どういうことよ」
「どこが好きなのか訊いてみればいいじゃないですか?」
「……え? 誰に?」
「もちろんアイヴァン様ですよ。そうすれば安心でしょう」
「――そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ!」
「いけますって。訊いてみるだけですって。応援してますよ!」
「絶対、そんなことしないわ」
とんでもなくめんどくさい女ではないか。絶対嫌だと思ったが、カルアはなぜか自信満々に言った。
「へーきですよ。アイヴァン様はリーン様のこと絶対にめんどくさいとか思いませんから」
「カルアのその自信はどこからやってくるの……」
「見てれば分かります。私の全財産賭けたっていいです」
疑わしそうに見るリーンに、カルアは胸を張ってみせた。
***
「……それで、君は、そんなこと訊いたわけ?」
両手で顔を覆ったアイヴァンを見て、リーンはだいぶ後悔していた。
「片思いの男に訊くことじゃないでしょ」
「やっぱり撤回します。答えなくていいです……」
こっそりカルアを恨んでいると、アイヴァンが言った。
「いいよ別に。今さらだし。……あー、ちょっと期待したのに」
「期待?」
「いやこっちの話」
顔を上げたアイヴァンは、じっとリーンが見ているのに気づいて力なく笑った。
「ちょっと、見られると恥ずかしいから、あっち向いて」
「こうですか?」
「そうです」
アイヴァンに背を向けると、不意に体温を感じた。背後から抱きしめられて、リーンは固まる。
小さい頃から一緒だから慣れているはずなのに、最近はどうしても前より身体が強張った。どうしてだろう。前なら、こんなの平気だったはずなのに。小さい頃、何度もやったことだ。自分に暗示のように言い聞かせたのに、心臓が鳴るのが止まらない。
「いや?」
耳元で声がして、リーンは思わず「ひゃあ」と声を上げた。いたたまれなさにしゃがみ込みたい。肩に回された腕に力がこもって、リーンはばしばし腕をたたいた。
「きつ、きついですわ! 締め殺す気ですか!」
「……今度そんな声上げたら、襲う」
「お、お、おそ……!?」
慌てて手で口を塞ぐと、アイヴァンが小さく笑う気配がした。
「ごめん冗談。そんな怖がらなくても」
「……趣味が悪いですわ」
「ごめんって」
腕の力が緩む。リーンは固まったまま、アイヴァンの言葉を待った。
「……昔もこうしてたよね。泣いてた僕を慰めるために、リーンが」
リーンも思い出す。本当に泣き虫だった。可愛かったのに、今は全然、アイヴァンが分からない。
「リーンはずっと強かった。絶対泣かないし、辛いことがあっても笑ってるし、僕が泣いてたら必ず慰めてくれて、……まあ君にも泣かされたけど」
虐められたくないなら簡単に泣くなって叱られた、と笑み含みに言われて、リーンは恥ずかしさで死にそうになった。
「リーンはずっと僕を支えてくれるけど、リーンは誰に支えてもらうんだろうって思ってた。リーンだって何言われても傷つかないわけがないし、でも僕が頼りないのは知ってる。嫌だった。君に頼ってもらえるような人になりたくて――」
誰にも弱みを見せないように。そう思っていたことは、アイヴァンには筒抜けだったわけだ。
「泣かないように頑張るところが好き。でも、僕には弱いところも見せて欲しい。あなたと対等になりたかった。ねえ、」
わけ分かんないくらい好きだよ、と耳元で言われて、リーンは声も上げられずに座り込みそうになった。
力が抜けて、背後のアイヴァンに凭れるような恰好になった。リーンは何か言わないとと思い、目を回しそうになりながら、辛うじて言った。
「……わ、私は、そういう……自分が、嫌いだわ」
「知ってる」
「強がりばっかりで、可愛くないし、上手く甘えられないし、……誰にも好かれるわけないと、思って」
「そんなことないよ」
「……私が他の人たちになんて言われてるのか、知らないでしょう」
「他人が何言っても、別にいいよ。リーンに悪く言われるのだけは、嫌だけど」
「……気にしないふりしてただけで、私は、別に、強くないのに」
「知ってる。これからは辛ければ我慢しなくていいよ」
優しさに息が詰まりそうだった。胸が痛い。触れられているところが、たまらなく熱かった。
たぶん、ひどい顔をしていると思う。耳まで赤いのが分かる。心臓が止まって、死んでしまいそうだ。
――こんな顔を見られたら。
耐えられない。ずっと強がっていた相手に、こんなに脆い表情を見せてしまうのは。見られたら、きっとすぐにばれてしまう。
「――よ、用事を、思い出しました!」
上ずった声でそう叫ぶと、リーンはとんでもないスピードでアイヴァンの腕から抜け出した。呆気に取られたアイヴァンは、咄嗟に追いかけられずに部屋に取り残される。
「……え、今、夜だけど」
用事なんて絶対嘘だ。何か気に障ることを言ったのだろうかと思ってアイヴァンは悩んだ。
――そういうわけではない。
逃げ込むように自室に戻ったリーンは、手鏡を取り出して自分の顔を見た。真っ赤な顔。潤んだ瞳。ぽかんと半開きになった口。
「――ああ」
手鏡を取り落とした。自分の顔は、みっともないくらい、はっきりと、恋をした女の顔だった。
「……やっと自覚なさったんですか」
呆れたように、部屋の隅にいたカルアがそう言った。リーンは床に座り込み、「どうしよう……」と呟いた。




