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リーンの奮闘

 初日こそあんな醜態をさらしたが、今後あんな風に気を抜いてはいけない。


 そう覚悟したものの、屋敷の人々に一通り挨拶を済ませると、何もやることがない。暇で仕方なくてカルアと喋るしかなかったが、それもすぐに飽きてしまう。

 アイヴァンはわりと忙しいようだった。そんなことも知らなかった。仕事のことはよく分からないが、ちゃんと働いていて素直にすごいと思う。ただ、アイヴァンが来なければ本当に、することが無い。


 気を紛らわせるものがないと、自然に家のことを考えてしまう。正確には、そこで働いているだろうゼンのことを。そんなんではいつまで経っても前に進めないとは思うのだが、どうしようもなかった。往生際が悪い自分は嫌いだ。


 黙っていれば食事は勝手に出てくるし、あれこれと気を遣ってくれる。アイヴァンの家はリーンの家よりさらに余裕があるのか、だいぶ丁寧で手厚い世話だ。ろくに動かないまま夜になって、リーンは呆れた。これではいけない。

 とはいうものの、何か手伝おうとすると必ず慇懃に断られた。ひょっとしたら歓迎されていないのかもしれない。よく考えれば、リーンはアイヴァンの好意をいいように利用しているただの性悪女である。自分がだいぶ情けなくて、消え入りたくなった。


 夜、ぼんやりネグリジェ姿でベッドに座っていると、カルアが気を遣ったのか、言う。


「……大丈夫ですよ。お忙しいだけです。アイヴァン様はリーン様にべた惚れですから」

「……別に、そういう心配じゃなくて」


 そういうことではないのだが、ろくに顔を合わせていないアイヴァンを思ってため息をついた。慣れない屋敷で苦労しているというのに、放ったらかしにされている気がする。アイヴァンは私が好きだと言わなかっただろうか、やっぱり冗談か、と埒も無いことをつらつら考えていると、ノックが聞こえた。


 カルアが応対に出る。しばらくすると、喜色満面で戻って来た。


「アイヴァン様がお呼びですよ! その恰好じゃだめですね。ガウン着てください」


 言われるままガウンを着せられ、部屋から出される。何の用だろうと考える。カルアはいらない邪推をしたのか、こっそり囁いてきた。


「大丈夫ですよ、緊張なさらずに」


 途端に、出発前、母から教えられたあれこれを思い出して気が遠くなった。アイヴァンは手を出さないと約束したはずなのだが、突然ガウン姿が心許なくなって、手を握りしめる。


 呼び出された先の寝室、――いやなんで寝室なんだ、という言葉を必死に押し殺しながら、まるで命でも狙われているかのような慎重さでリーンはそっと部屋に足を踏み入れた。


「……そんな警戒しなくても」


 寝室の中、アイヴァンは白いガウンを着てベッドに腰かけていた。微妙な顔でそう言って立ち上がり、自然にリーンの腰に手を回してベッドに座らせる。リーンは硬直していた。そんな風に男性から触れられた経験がない。なんでこいつは手慣れているんだ、と叫び出したくなった。


「……なんの、御用でしょうか」


 腰が引けているリーンを見て少し笑い、アイヴァンはさらっと言った。


「いや、結婚の練習みたいなものだし、触れあいも大事でしょう。それに、昼間はなかなかリーンに会えないし」


 完全に甘えるような目で見つめられて、リーンは頬が真っ赤に染まるのを自覚した。


「……手出さないって」

「うん出さない。触れあい」


 ベッドのふち、強張っているリーンの手にゆっくりアイヴァンの手が絡む。なんか違う、と思ったが、声が震えそうだ。でも、我慢できずに言った。


「……な、なんか、アイヴァン、違う」

「いや、もうこっちは破れかぶれだから」

「は?」

「僕のことを好きになってくれないかなって」


 優しく見つめられて、リーンは言葉を失った。


「はっきり言わないとリーンは分かってくれないって学んだから」

「……はっきり言い過ぎですわ」

「真っ赤になるところがかわいい」

「うるさい軽薄男」

「そういうの、昔みたいでいいね」


 足を踏もうとしたら避けられた。優しく、髪を撫でられる。息が詰まるような甘い雰囲気に、リーンは逃げ出したくなった。でも、身体に力が入らない。


 ゆっくり頬を両手で挟まれて、額に口づけられる。混乱したまま優しく押し倒され、背中にシーツが触れるのを感じた。


 アイヴァンの見惚れるほど綺麗な顔が近づいてくる。耳に唇が触れる。熱い吐息とともに、囁かれた。


「――もっと触れても平気?」


 目が回りそうだ。頬が熱い。ろくに働いてくれない頭で、なんとか状況を理解すると、リーンは力いっぱい、アイヴァンの身体を押し退けた。


「だめに決まってんでしょ! ばか!」


 そのままアイヴァンの身体の下から抜け出そうともがいて、危うくベッドから落ちそうになる。慌てて支えてくれたアイヴァンからは、さっきまでの妙な雰囲気は消えていた。喘ぐように息をしながらアイヴァンを睨みつけると、アイヴァンは情けない顔で言った。


「ごめんね。まだ早かったかな」

「まだも何もありませんわ! 指一本余裕で超えてましたわよね!?」

「だって、かわいいから」

「一生黙ってくださるかしら」

「手厳しいな」


 笑いながら、アイヴァンはリーンの乱れた髪を直す。その手つきは普通で、リーンはようやく暴れていた心臓が落ち着くのを感じた。


「……ひ、ひどいわ」


 本当に、死ぬほど心臓が鳴っていた。みるみるリーンの目に涙が溜まるのを見て、アイヴァンはさっきよりもさらに慌てた。


「泣かないで。ごめん。本当に、もう、大丈夫。触れないから」


 ばっとアイヴァンは距離を取る。唇を噛んで涙をこらえながら、リーンはまだ混乱したまま、アイヴァンを詰るように言った。


「……私、ずっと、アイヴァンが帰ってくるの、待ってた、のに」


 寂しかったのに。続けて言おうとして、リーンは我に返ってアイヴァンを見た。

 アイヴァンの顔は、さっきのリーンのように真っ赤に染まっていた。


「……違います、嘘ですわ。今のは忘れて」


 苦し紛れにそう言って、リーンはベッドから降りようとする。しかし優しく肩を抑えられ、アイヴァンが正面から顔を覗き込んできた。


「分かった。今度からなるべく早く帰るから」

「そ、そんなこといいです。存分に仕事なさってください」

「リーンが寂しいのは、やだ」


 混乱の極致に達し、リーンはまた泣きたくなった。何なのだろう。世間一般ではこれが普通なんだろうか。なんでこんなにべたべた甘やかされるのだろう。何て言えばいいのかもわからず、リーンはほとんど叫ぶように言った。


「私は構いませんので! あと触れないでくださいませ!」

「それは、無理、かもしれない」

「なら嫌いです!」

「それも、やだ」


 じっと見つめられて、いたたまれなくなってリーンは目をぎゅっと閉じた。すると、困ったような声が聞えた。


「……あー、それはまずいかも」

「はい?」

「目、開けて」


 しぶしぶ目を開けると、焦がれるような熱を閉じ込めた瞳が見えて、リーンは何がまずいのか理解した。


「……部屋に帰ってもよろしいですか」

「……うん、遅いからね。おやすみ」


 そう言ったものの、なかなか肩を離してくれないアイヴァンと押し問答を繰り返し、やっと部屋に帰れた時は、リーンは疲労困憊していた。

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