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ラトゥムシリーズ

死者を操る能力を持つ少女の長い長いお話の途中、休息の一時を覗き見る。



「ねぇ、エトワール。ご本が読みたいわ」


 それはいつ頃だっただろうか。

 シャルロット様がまだ教団の本部。岩壁の中に掘られた私を助けてくれた教団の神殿へかくまった直後あたりの出来事だっただろうか。

 シャルロット・ド・アフェール――。暴君と知られたアフェール家のご令嬢で、奴隷としてアフェール家に連れてこられた私を世話係に任命して助けてくださった方だった。薔薇色の頬が可愛らしいまだ十にも満たない心優しいお人で、今にも狂いそうだったアフェール家の領主から奇跡的に彼女を救い出すことに成功した私は、彼女をこの教団の神殿へとお連れして、こうして彼女との日々を過ごしていた。

 突然、私の私室にと教団の信者の方たちに渡された寝室にいらっしゃったので、ベッドの上にお招きして、二人で歓談されていたシャルロット様はそうおっしゃられた。

「本、ですか」

「だめかしら」

「えっと……」

 急にそんなことを言われてしまい困ってしまう。

 元奴隷であり、彼女の身の回りの世話係のメイドだった私は文字を読むほどの知識はない。

 それもあるのだけれど、ここの教団に居る時間は、シャルロット様とほとんど変わりない。もう少し私がこの神殿に博識であればすぐにでもお持ちしたのだけれど……。

 文字の書かれた書物が置かれた場所は把握しているのだが、そこは死者との邂逅を記録する書庫だ。シャルロット様目当ての本があるかすら定かではない。

「申し訳ありません、シャルロット様。私まだ神殿に詳しくなくて……」

「ん、そうなの?」

「はい。実はここにきてあまり長くないんです。場所も神官たちに聞いてばかりで」

「あはっ、もしかしてエトワールは迷子さんなの?」

「そう、かもしれません。あまり自覚したことはありませんが」

「あはっ、それなら――」

 空元気ではなく、いつものように朗らかに笑うと、シャルロット様はベッドから飛び降りてしまわれる。

「あ、しゃ、シャルロット様?」

 彼女が足を滑らせてしまわないかハラハラとしながら手を差し伸べていると、シャルロット様がくるりと振り返って差し伸べていた手をそっと取られてしまう。

「エトワールも一緒にみにいきましょ?」

「このエトワールめもですか?」

「うん!」

「で、でも私は文字がまだ……」

 嬉しそうなシャルロット様の表情を見て、不安になってしまう。知識が無さ過ぎて彼女の足かせになってしまうのではないだろうか。

 そう思っていると、エトワール様に腕を引っ張られてベッドを立たされてしまう。

「いいわ! 私もお勉強中なの。エトワールも一緒に勉強しましょう!」

「……はい。そこまでシャルロット様がおっしゃるのでしたら。ご一緒させていただきます」

「本当?」

「はい。ご随意に」

「ん、それじゃあ行こ、エトワール」

「分かりました。とりあえず、神殿の本に詳しい子の所へ行きましょう。道すがら神官たちに道を聞けば迷わないはずです」

「ええ、いきましょう!」

 そうやって、彼女は薔薇の様に笑ってくださった。

 こうやって笑ってくださっている彼女を見ると、やはり彼女をあの城から連れ出したのは間違いはなかったのだと安心する。

 シャルロット様に手を引かれながら、私は私室の外に出ることにしました。 


      *     *     *


 神官たちに道を尋ねながらもなんとか書庫へとたどり着いて木製のドアを開けると、書庫の中は相変わらず羊皮紙とインクのにおいが混じった不思議なにおいが広がっていた。

 シャルロット様はと見れば、彼女は本が好きだったのか。あの城では見たことも無いほどあたりを興味深げに見渡していて、そんなシャルロット様の姿が新鮮で、ほんの少しだけ嬉しくなってしまう。

 近くの書架に駆け寄り、触れるか触れないかのところまで手を伸ばすとぱっと振り返ってくださる。

「ねぇ、エトワールご本がいっぱいあるわ!」

「はい。ここは神殿の記録が置かれている場所と聞かされています。教団の巫女の許可があれば過去の記録も閲覧してよいと、他の神官の方たちもおっしゃっていました。とはいっても、シャルロット様のお気に召すものがあるかはわかりませんが……」

「本がこれだけあるだけでもすごいわ、エトワール!」

「お喜びいただけたようでうれしく思います。机はあちらにありますから、ご案内しますのでお手を」

「ええ!」

 シャルロット様の温かい手を取って、初夏の裏にある書見台が設置されている机の方へと案内をする。すると、誰かが本を閲覧していたのか、ページをめくる音が聞こえてきて誰かいるのかと覗き込むとアンデッドであるプラテーナの姿があった。

 アンデッドとはいえ、プラテーナはブルネットの髪にアンデッド特有の白い陶磁器のような肌を持っている人形のように綺麗な子だ。いつも粗悪品の鉄で作られたペンダントを持っていて、それを首から下げているのをよく覚えている。

 記憶力に乏しい私だけれど、数多くいる信者たちの中でも彼女のことは記憶にはっきりと残っていた。

 あの子であれば、どんな本があるか分かるかもしれない。

 そう思って近づこうとすると、服の裾を誰かに引っ張られる感触がして慌てて立ち止まった。

 何かと思ってみて見ると、シャルロット様が裾をつかんでおられてプラテーナから隠れるようにして自分の背後に隠れていらっしゃった。

「シャルロット様?」

「あの子、だあれ?」

「あの子? ああ、プラテーナです。たぶんこの神殿の中で一番本に詳しいと思います」

「ほんと?」

「ええ。私なんかよりもずっと」

「……」

 訝し気……、というわけではないのだろう。ただ純粋に警戒をしている様子でシャルロット様はプラテーナの事を私の後ろから見つめていた。

 どうやって二人に紹介しようかと思い、視線をプラテーナの方へ戻すとちょうど本を読み終えたところだったのか、ぱたんと閉じるところだった。

 すぐにこちらに気が付いたのか、バッと顔を上げると目を丸くした。

「みこさま? みこさまだわ! どうしてこちらに? あっ! そうだわ。せっかくみこさまが会いに来てくださったんだもの。挨拶をしないと」

 そう言って慌てたように立ちあがるとドレスの裾を持ち上げて丁寧にお辞儀をした。

 ここにシャルロット様を案内する道すがら、誰もがそうやって敬意を払ってくれているけれど、奴隷時代が長すぎたせいか体は未だに慣れてくれなくてむずむずしてしまう。

 背中に隠れているシャルロット様の事を考えると、苦笑しかできなかった。

「あはは……」

「ところで、みこさま。みこさまどうしてこちらに? それと……」

 そう言うとプラテーナが私の背後を覗き込むように首をかしげて、後ろのシャルロット様の事を見る。

「そちらの方は、お噂に聞いているみこさまの最愛の君であるシャルロットですか?」

「さ、最愛!? 誰からそんなことを!」

「アルデンスとハイドよ。二人ともみこさまがお姫様に首ったけだってぼやいてたわ」

「あの二人はいつもそう言いますから……」

「ふふっ。それで? そっちの子がその噂のシャルロットなの?」

「ああ、そうですね。プラテーナには紹介がまだでした。さあ、シャルロット様。この子がこの神殿で本に詳しい方です」

 私がそう促すと、シャルロット様は恐る恐ると言った様子で私の後ろから出てきてくださった。

 そんな様子を見かねたのか、プラテーナが駆け寄ってきて、ニコッと無邪気な笑みを浮かべると先ほどよりも軽く会釈をする。

「お初お眼にかかります。あたしはプラテーナって言います。ここでみこさまに文字を教えたり、記録のお手伝いをしたりしてます!」

 シャルロット様を気遣ってくれたのか。それとも初対面では名乗らないことにしているのか。どちらにせよ、プラテーナがアンデッドと口にしなかったことにほっとする。

 いくらシャルロット様が好奇心旺盛な方だと言っても、アンデッドと面と向かって言われてしまえば普通は怯えてしまう。プラテーナもそのあたりは把握してくれていたのかもしれない。

 安心していると、後ろに隠れていたシャルロット様が「エトワールに文字を……?」とほんの少しだけ興味があるように返事を返していた。

 何故かはわからないけれど、シャルロット様に文字を教えられていることを知られると思うと、内心ドキドキとしてしまう。

 なぜだろう。

 二人はそんなドキドキとしている私なんて目もくれずに徐々に言葉を続けているようだった。

 シャルロット様はいまだに裾を握って居られたけれど。

「ええ! みこさまは文字が読めないんだって。だからこの前もあたしが文字を読んであげたの」

「そうなの、エトワール?」

 プラテーナと話しておられたシャルロット様が、急にこちらを見上げてそうお聞きされてしまった。

 まさか自分に話を振られると思っていなかったので自分を見上げるシャルロット様の表情を見て面を食らってしまい、一瞬だけ間を開けてしまう。

「え? ああ、はい。こちらの資料をどうしても読まなければいけないと……。その、予感……でしょうか。そうした方が良いという気がしたので……」

「すごい、まるでプロムシライ様の神託を賜ったみたいだわ、みこさま!」

 プラテーナという教団信者の手前、まさか道行く占い師の言葉がきっかけとはいえずそう言葉を濁すしかなかった。 私の言葉を聞いて、プラテーナは子供のようにはしゃいでいる彼女を見るととても複雑な気持ちになる。

 こうして信者たちの行動に触れるたびに思ってしまうのだけれど、奴隷でしかない自分が言葉を選ばねばならない地位についているということが不思議でしょうがない。

 ふと、シャルロット様はそんな言葉を選ぶ自分をどう思われるのかと心配になってしまう。心配になり、自分を見上げられているシャルロット様の表情を事細かに観察する。

 どう受け取られたのかはわからないが、シャルロット様は形の良い眉を困らせると首をかしげられるのが目に入った。

「文字も、教えてもらったの?」

「いえ、あの後すぐにシャルロット様の元へ戻りましたので……」

「そう」

 私がそう答えると、どこかほっとした様子で視線を下げていらっしゃった。

 しかし、と私はシャルロット様とプラテーナを交互に見る。

 どうやらシャルロット様は、自分と同い年に見えるプラテーナに対してどう接していいか迷っておられるようだった。

 それも仕方のないことかもしれない。

 私はシャルロット様をあの城から救い出しに行くまで知らなかったのだが、手助けしてくれた兵士によれば、タルボットに言いつけられて城に軟禁状態だったため、同年代はおろかメイドですら交流を広げることはできなかったと聞いている。

 そうなれば初めて会う同年代に見えるプラテーナとどう接するのが良いのかなんて分からないだろう。

 かくいう私も教団に助けられるまで農奴と奴隷の生活史化したことがないため、彼女に助言を出来る立場なんてあるわけもなく、どうするべきかのなんて答えが出てこなくて悔しくなる。

「……ふふ、そっちの子は内気さんなのね、みこさま」

 頭を回すことに精いっぱいで黙ってしまっていると、プラテーナの方からそう声をかけてきてくれた。

「そう、見えますか?」

「見えるわ。だって、ずっとみこさまの後ろに隠れているんだもん」

「こう見えてシャルロット様は結構お転婆ですよ」

「そうなの?」

「はい。一向に話しかけてこないメイドに意地悪をして気を引こうとしたことが何度もあったのを覚えています」

 私はその時、遠目で見ていただけだが、メイドが反応をくれた時のシャルロット様は大変喜ばれていた。その後すぐに私を見つけて輝いた笑顔で私に抱き着いてくださったシャルロット様を忘れることなんてできないだろう。

 シャルロット様もすぐに悪戯をしていた事を思い出したのか薔薇の頬をさらに赤く染めてむっとされてしまわれる。

「も、もう! エトワール?」

「わ、私としたことが申し訳ありません、シャルロット様……」

「むぅ……」

 このやりとりも、私があの城を抜け出す前以来で、少し懐かしくて笑いがこみあげてしまう。それはシャルロット様も同じなのか、くすくすと笑っておられた。

「ふふっ、本当にみこさまと仲が良いのね。少し妬けちゃうわ」

 そんなどこか寂しそうな声が聞こえて、プラテーナを見ると、一瞬だけ寂しそうな彼女の表情が見えて、つい彼女が何を思っているのかを考えようとしてしまう。

 しかし、すぐに満面の笑みに戻ると、「それよりも」と仕切り直していて、言葉をはさむことはできなかった。

「お二人は何しにこちらへ? 前回の記録ならまだまとめている最中だってアルデンスが……」

「ああ、いえそうではなくて――」

「ほん! ごほんを探しに来たの!」

 急にシャルロット様が声をあげたので驚いていると、服の裾をつかんでいたシャルロット様が前に進み出られる。「シャルロット様?」と声をおかけしようとしたが、シャルロット様が小さいお手をぎゅっと握っていらっしゃるのが見えて、手を貸さなければいけないという思いをぐっと抑えた。

 せっかくシャルロット様がご自分の勇気で声をあげられたのだ。それを邪魔するなんて野暮な真似はできない。

「本を探しに?」

「う、ん。エトワールと寝物語を読みたくて」

「みこさまと?」

「はい。シャルロット様がお読みになりたいと。私も賛同しました」

「そう……。わざわざみこさまたちに足を運んでもらったのは光栄だと思うわ。でも、残念だけれど、ここにあるのは邂逅の記録ばっかりだし、寝物語にはよくないと思うの」

 プラテーナの言葉に落胆してしまうのと同時、彼女の言葉には同意するしかない。

 プラテーナの言う通り、邂逅の記録を寝物語にするのはよくないと私も思う。邂逅の記録は現世に想いを残している死者たちとの対話と願いの記録だ。思いを馳せるのにはちょうど良いが、寝物語に聞く話ではない。

 とにかく、この場所には私たちの探しに来た本は無いらしく、シャルロット様の勇気が報われなかったのが残念でならない。

 その証拠にシャルロット様も気を落としておいでだった。

「そっか……」

「残念ですが、部屋に戻りましょうか、シャルロット様。お体が冷えてしまったら困ります」

 彼女の背中に手を添えて戻ろうかと思っていると、「まって、みこさま」とプラテーナに止められる。

「じゃあ、あたしが幾つかお話を聞かせてあげる!」

「プラテーナが、ですか?」

「ええ! あたしだったらたくさんお話を知ってるもの。このコアコセリフ国だけじゃなくて、帝国も教国のお話も!」

「だ、そうですよ。シャルロット様」

「ん、すごいと思うわ」

「ふふっ、嬉しいわ」

 二人のやりとりをシャルロット様の横で聞いていると、記録室のドアがきしむ音が聞こえてくる。

 誰かとそちらに視線を向けて警戒していると、書架の影からアルデンスが顔を覗かせてこちらを見ていた。

「ああ、巫女様。こちらにおいででしたか」

「アルデンスさん。ごめんなさい、探させてしまったみたいで……」

「とんでもございません。この神殿の中の視察は巫女の役目としても申し分ありませんので。……この前の件での確認がありますので、今、よろしいでしょうか」

「この前の、というとナエーヌ村の」

 そう口にすると、露骨にアルデンスの眉が寄って、むっとした表情になるのが見えて、気まずさ苦笑してしまいそうになる。教団の教えを信じている彼女からしたら、あの一件はたしかに気持ちの良い話題ではないのが私でもわかるからだ。

「はい、巫女様。その件でお話があったのですが今よろしいですか?」

「今、ですか? すいません、今はシャルロット様が本を探して――」

 シャルロット様の事を見守らなければ、とアルデンスに答えようとして、二人の方を振り返った。

 すると、そこにはお互いに面と向かって談笑しておられる姿があって、アルデンスに伝えようと思っていた言葉が喉から出てこなくなっていた。

「名前、呼んでも、いい?」

「もちろん! シャルロットはもうこのプラテーナのお友達だもの!」

「ん、ありがとう、プラテーナ」

 プラテーナの言葉を聞いた、シャルロット様の表情は嬉しそうにはにかんでいらした。

 二人のやりとりと、お互いに面と向かって対話をしているのを見えてしまって、私の心配が杞憂に過ぎないのだと分かって安心する。

 もしかしたら、シャルロット様に良いお友達が出来たかもしれない。

「巫女様? 差し出がましいようですが、シャルロット様との用事があるのなら、後ほどまたお呼びしましょうか?」

「あっ……。いえ、分かりました。二人に声をかけてから行きます」

「ご随意に。ドアの外でお待ちしていますわ、巫女様」

 そう言うとアルデンスさんは丁寧にお辞儀をして、ドアのある方へと歩いて行ってしまった。

「シャルロット様、プラテーナ。私は少し頼まれごとをしてきますので――」

「まかせて、みこさま! シャルロットはあたしと一緒にここに居ます。ね、シャルロット」

「ええ。エトワール。すぐに帰ってきてね?」

「……はい。すぐに」

 笑顔の二人を残して私はそっとアルデンスが待っているはずの廊下へ足を向ける。二人が見えなくなる書架の手前、視界の端にどこか楽しそうに話すシャルロット様たちの姿見えて、口元が少しだけ緩んでしまうのだった。




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