世界五分前仮説から何を思う。
軽く読んでもらえると嬉しいです。
この世界は5分前に出来上がったのかもしれない。
バートランド・ラッセルという人が提唱した説だ。
この世に存在するすべての物質が。生物が。あまつさえ記憶情報までもが5分前に創造さているのかもしれないのだ。
もちろん、そんなことに気づく人間なんかいない。
今まで生きてきたという確かな記憶を信じて疑わない。
でも、よく考えて欲しい。君は一体何なのか。
答えなんか簡単だ。原子だ。もっと細かく言うのなら、電子、陽子、中性子の集合体だ。
つまり、記憶だって、原子であって。形あるものなのだ。
この世にすべての原子を自由に操ることができれば簡単に記憶なんか作ることができる。
そう考えると、人間なんかひどくちっぽけに見えてくる。
前に、言葉が世界に秩序を与えて、世界に存在するものに意味を与えているという本を読んだことがある。
まったく、その通りだと思う。「人間」という言葉がなければ私たちが「人間」と呼んでいるものはただの粒の塊だ。というより、世界など粒の集合に過ぎない。その集合に言葉で秩序をもたらし、区別することで私たちは意味を見出している。つまり、言葉一つで。区別の仕方一つで。世界など変わる。
なんと、不確かな世界なんだか。
私はそんなことを小学生の高学年の時から考えはじめた。
ひどく不確かで謎だらけで。どうしようもない恐怖が心を支配していた。
もちろん、普段の生活ではなるだけ、考えないようにしていた。
それでも、時折心を混沌へといざなった。そして恐怖で頭をいっぱいにした。
だが、そんなのは長くは続かなかった。
世界が不確かなら、自分の心をただひたすらに信じ、満たせばいいと思った。
わからない世界なんかのことは考えてもしょうがないと開き直った。
しばらくすると、また気づく。
心を満たすのには幸せになるにはどうしたらいいのかわからない。
そもそも、心とやらも非常に不確かだった。
この世界はつくづく混沌という言葉が似合う。
さて、こんなどうでもいい、誰もが一度は考えてそうなことをつらつらと書いてみたわけだが、みなさんはどうしているのだろう。この世界をどう思っているのだろうか。世界という大きなくくりで書いてみたが、社会だっておんなじだと思う。そしてみんな、きっと答えを見つけては、その欠陥に気づきまた探す。そして時々疲れて、やる気が出なくなってしまうことがあると思う。でも、それを他の人も考えてるんだと思うと何となく安心できると思う。だから、私はこのありふれた考えを書く。
そして最後に、今の私はこう考える。
幸せなんか、大きなものじゃなくて、目の前にある小さな幸福を大切に。
もっと淡泊に表現するなら、小さな欲求を大切に。
最近はこれが私の答えだ。
稚拙な文章申し訳ございません。読んでいただきありがとうございました。
他の人の考えも知りたいので、是非コメントしていただけると嬉しいです。