なろうバッシングの不当さ
なろうのアニメ化でのバッシングについてずっとやってる。こうなるのは分かっていた。それはBDでのミドルヒットが多すぎた点。次に、なろうの中での停滞をすでに知っていたから。最後にキャラ萌えが弱いのを分かっていたから。そもそもミドルヒットが多い原因がそれになる。大好きな作品に好きなキャラがいる。これこそが最高のキャラ萌えの形になる。
突き抜けた売上げを誇る作品は大体キャラ萌えが重なる。だからってキャラ萌え以外売れないは違う。両方が上手く絡み合わないと大体1万枚って形になりやすい。けいおん以外大体日常系といわれる作品がこうなるのが全くなろうと同じパターン。
他にも理由がある。魔法科のアニメ化が早かったため、異世界だけじゃなくて、俺TUEEE学園物ってパターンが散々アニメ化されたから。異世界のごまかしがあったが、根底の部分ですでに食傷感があったから駄目だろうなとは見てた。売れる売れないは関係ないだろう?まあこれは売れる売れないじゃない。すでにただ見てるだけの人も食傷感が沸いていた。
これについてはラノベがいずれ衰退すると見てる私の立場が大きい。文字ゆえにくいついた歪みってのが多分そういった部分になってる。漫画とかアニメならまた違っていた。ラノベとなろうで全く同じになるのは、一番の理由で文字だからが大きい。それは文字表現のメリットではない。文字表現のデメリットでみれば分かる。
何故こんなものが?それは物語だけで見てるからになる。大体分かって無い人と言うのは口でいろいろ言うくせに実際文字物語として読んでる人って少ないんだ。物語純粋に見てしまっている。それじゃ駄目なんだ。実写、アニメ漫画で物語に触れてる人は、文字で物語を楽しむのは苦痛が多いとはっきり認識するんだ。
でもいざとなると、物語の内容で考えてしまう。実際文字の物語で触れるなら、テンプレ化がより強くなるのが分かると思う。プロでも売れ線が原因だと決め付けてるが、私はそれ多分違うと見てる。もちろん根底はそれだが、何故なろうやラノベはテンプレ化しやすいか?なら文字だからが答えになる。
さてだが、どうもなろうバッシングは叩く事が目的化してる部分がある。コンセンサスが作り出す空気の悪さが、実際それほど気にしてない人にも多分伝播してる。そもそも強い刺激じゃない。だから外野の声で距離を置く部分があると見てる。最大の問題は最も大きな勢力だろう0話切りに利用されてしまうと見てる。
ここまで来ると何故なろうがバッシングされるか?はそれほど難しくない。レッテル貼りが容易なため、たたきやすいからって理由になる。つまらないよりそっち。人間おかしいと感じる事に違和感が沸くからになる。おかしいと感じるレベルが高すぎて凡庸な平均的人間はそれが分からない。誰しもが反論をしたくならない叩きやすさがある。
私は単純に好きだから擁護したいわけじゃない。私はそういう無駄が嫌いだ。そんなの勝手にやってくれとなる。そもそも自分自身が軽く楽しんでるので、まあそういう作品じゃ何か強く言張る動機もねーなとなってしまうからになる。私はそのたたきやすさが正しさを伴ってない。これが腹が立つのであって、好きなものが叩かれる事にはさほども感じるものは無い。感じ方は人それぞれなので。
まず前回やったのが、登場人物の知性についてこれも漫画やアニメでのずれた平均値ならさほど目立つほどじゃないと書いた。1つ1つこうして見ていくと、リアルさについて以前触れた。それもさほど目立つほどじゃない。根底にあるのは、根本的にこういった平均値に対する敏感さが足りないって事になる。
他にも自己投影、現実逃避、承認欲求だが、これもオタク系ってのは大体そうだし、それにそもそもの古典的なファンタジックな英雄伝説にはこの気がある。そういったものが、近代小説のリアリズムの薫陶にとって常識が入れ替わったのが大きい。これについてアニメ漫画どころではない。そもそも物語全体で見るとそれほど不味いか?となる。
結局無知と、把握するのが困難な曖昧な漫画アニメらしさってものを把握し切れてないのが原因になる。しかもだ、誰しもがこれを把握して無いので、レッテル貼りをされてしまったら、そうじゃないといえるようなものにならない。なんと言うか、思考の抜け道のような部分を使っていて多分意図的じゃないが、結果論的に狡猾なやり口になってしまっている。
まだ他にも俺TUEEがある。これは周りの知性を下げられるのと似た部分がある。ちょっと違うのは、知性はリアルさと複雑に絡んでいて、強さはそれほど調整が難しくない。それゆえファンタジー要素が加味されやすいと見てる。誰が創ってもそれほど目立つものが創れないため逆に言えば、非現実的な要素で差別化が必要とされる。
作者が意図的にコントロールしやすい。ドラゴンボールの様に長期連載で整合性が取れなくなるものもあるが、それはどの作品も人気作は長くなる傾向があるので抱えているが本質的な問題ではない。俺TUEEEのバランス調整はそこまで難しくないので、なろうだけが突出してそうだってさらに言えない。
大体の物語主人公が強い。強敵が現れないって点だけど、以前から書いてるが、上位の作品はそのあたり適当。何故かアニメ化されたスマホがそのあたりしっかり作りすぎていただけって点で、あれむしろ上位では珍しいんじゃないか?と見てる。どちらかと言えばバトルがキーとなってるなら、大体の作品少年漫画の方が作りが近い。
主人公がどちからと言えば強めならなろうだけ特別違うってのは無い。これはアニメ化されたものって条件付になる。なろう系って点で無知だとは思う。だが、アニメ化されたものって限定ならなろうアニメは俺TUEEが目立つか?なら目立つ部分がある。これについて困った問題だ。なろう自身が持ってる問題じゃない。
これアニメ化した関係者がやった事になる。アニメ化限定ならこれはバッシングが仕方ないかもしれない。だがなろう自体に詳しい人間が、これを撒き散らしてるなら不愉快だとは書いておきたい。私はその疑いを持ってるからこれを書いてるのが大きい。
他は多様性だと思う。なろうがたたき易いのは、ランク上位の多様性は無いからになる。なろうは多様性が高い。それは読者数が多いので、小さなサイトに較べればよっぽど不人気も読んでもらえるからだ。比較が不満になるだけで、絶対的な読者数は多い。ただアニメ化と密接に絡むランク上位は多様性は無いだろう。
この点は先ほども書いたが文字だからが大きい。馬鹿な話しだが、文字物語ゆえのランキングの結果が、アニメ化によって文字が取れた物語の内容だけで評価されるからだ。これじゃ多様性が無くなるに決まってるんだ。文字物語ゆえになろうの多数派読者は特定の物しか読まない。
アニメの視聴者と根本的な好みの違いがあると私は思わない。アニメの視聴者で文字物語なんて興味が無いって人が圧倒的多数を占めるので、本来この全く違う2層を繋ぐのはとても危険なんだ。
何故なろうはこんなのばかりなんだ?と言われたら、それは違う。上位だけだと。じゃ何故上位はこんなのばかりなんだ?文字だからだと私は答える。アニメ側のバッシングがずれてるんだ。アニメ側のなろうの多様性の無さへの否定は全く意味が無い。これは分かる人は居ないんじゃないか?と思う。
多くの分かる人はいなくても過去私が書いた物を楽しんでくれてる人には伝わると思う。これに対する意味の無さは論理なのか?が把握しずらい。ただの自論なんじゃないの?なら違う。これ分かる人にはすぐ分かるから。これ無意味な言及なんだ。もっと分かりやすいほかの実例があれば良いのだが。
今回は、以前書いた事のまとめになる。その軸は基本的には誤ってる、間違ってる、なろうに対する経験不足、漫画アニメ全般への無知。などなどが一本筋の通った軸としてまとめられるから書いた。
その中でもこれは全く新しい新規の発送になる。かつ最大のものだと思う。なろうの中で多様性への言及があるが、あんなレベルじゃない。物語を内容で見る人と、物語が表現されるメディアでみると、そこには複雑な問題がはらんでいて、アニメ側でなろうの内容に対する多様性中の批判的、否定的見解って理屈としては全く意味が無い。
ただの個人的な感情論に過ぎない。分かりやすくなるか?分からないが、もし文字でないもので表現できれば、なろうの内容はがらっと変わる。それは無料漫画サイトなどを見ればすぐ分かる。私はそういう経験知識があるから、異世界ファンタジー以外も出来る可能性はあると見ている。困難では有るが。