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隠れ神公園

作者:しまもよう



 ―――う〜ん、もう一度、検査してみようか?

 困ったような顔をして、先生がしゃがんで私を見ていた。ここは、保健室。私だけ呼び出された。どうやら、検査結果が悪かったようで……。

「聴力検査?」
「そう。ちょっとだけね、確認したいのよ。もう一度やってみてくれるかな?」
「うん……」

 ピッピッピッピッピッ

 機械的な音が大きくなったり小さくなったり、高くなったり低くなったり。私は聞こえたと思うと同時に親指を動かした。
 これをもう一度やらされるということは耳が悪くなっているのだろうか。そんな考えを振り払って集中すると、『今日は遊べない。ごめんね』って言ったときのあの子の顔を思い出してしまう。残念だと思っているような、しかし断った私を奇妙に思っているような…いつもとは違った嫌な顔。ああ、嫌だ。みんなと違うのは嫌だ。そう強く思う。

 そのうちに、廊下をパタパタ走るあの音までも聞こえてくるような気がしてくる。ヘッドホンを付けているのにあれが聞こえるものなのだろうか?私は、やっぱりどこかおかしいのかもしれない。

 そんな風にぐるぐると考えていて、検査のことをすっかり忘れてしまっていた。

「もういいわよ」
「あ……」

 そう声を掛けられて気が付く。やっぱり聞こえなくなっているな、と。去年よりもずっとボタンを押す長さが短かった。

「ありがとう、ございました」
「はーい」

 教室に戻って、改めて私は昼休みに遊べなかったことを謝る。

「ごめんね」
「ううん、いいよ。何だったの?」
「えっと…聴力検査を受けてたの」
「またぁ?大変だったねー」

 その日はそんな風に会話して、聴力検査のことなんて忘れてしまった。しかし、完全にそのことを忘れた頃に話題は舞い戻ってくるものだ。

「どうしたの、まま」
「ああ、先生に呼ばれたのよ。ほら、あなたも一緒に行くわよ」
「ええー」
「わがまま言わないの。さ、準備しなさい」

 家に帰ってくると母がバタバタしていた。気になって何かあったのか聞いてみたら、先生に呼ばれたという返事が返ってきた。それなら学校にいる内に言ってくれればよかったのに。
 友達と遊ぶためにさっさと教室を出て行った自分のことを棚上げしてそう思った。

「実はですね…お宅のお嬢さんなんですが、どうも耳が悪くなっているみたいなんですよ」
「えっ…あらまぁ。どうしましょう」
「一度耳鼻科へ行くことをおすすめします」
「そうですねぇ。わざわざありがとうございます」
「いえいえ」

 母と先生が話しているとどうしても私は他のことをしていたくなる。前にしっかり聞いてみたらほめる言葉ばかりで恥ずかしかったからだ。しかし、今日はその時とは別の意味でちゃんと聞いていたくなかった。聞いてしまうのが怖かった。

「今日は?児童館によっていい?」
「だめよ。今日は耳鼻科に行くの」
「耳鼻科?ってどこ」
「ほら、児童館よりもう少し行ったところにあるわ。さぁ、自転車の後ろに乗って」
「うん……」

 謎の行き先、耳鼻科。母と先生が話していた時に出たその単語は私の頭からすっかり抜けていた。だから、何をしに行くのか不思議に思ったのだ。

「あれ、ここって……」

 耳鼻科は少し古い建物だった。昔からあるそうで、壁がくすんでいる。私はいつもそこを避けていた。お化けが出そうだから。

「耳鼻科よ。病院。今日はここで検査するからね」
「だから昨日は耳掃除耳掃除ってうるさかったんだ」
「前から言っているのにやらせてくれないから。まったく」

 検査は簡単に済むものだった。しかし、私はしばらくそこへ通うことになった。

「今日は総合病院へ行くよ」
「ええー」
「紹介状をもらったからね。一回行ってみよう?」

 渋々と私は新しい病院へ行くことにした。受け付け方法も慣れなくて右往左往していた。総合病院は色々な『科』がある上に、初めてなので地図を渡されてもよく分からない。……我が家の者だけかもしれない。

「うん…まず、検査してきて。二階の……」
「はい」

 ああ、どこに行っても検査。
 ……どこで検査したってどのみち同じ結果だというのに。私は耳が悪いのだと突きつけてくる残酷な結果しか病院からはもらえないのだ。

 ピッピッピッピッピッ

 検査のときの無機質な音にも慣れてしまった。それに、最近はその音がいつも私を追いかけてくる。おそらく幻聴や耳鳴りなど、そういった類いのものだ。どうすればいいのか分からないから放っておいている。

「はい、終わりです。下へ持っていって耳鼻科のカウンターに渡してね」
「はい…ありがとうございました」

 そして…そのままでは学校生活が満足に送れないかもしれないと言われてしまった。私の耳は思ったよりも悪かったらしい。だから、補聴器をすることになった。

「……ですので、先生。よろしくお願いします」
「はい、分かりました。そのことは、他の子にも教えた方が良さそうですか?」
「そうですね…機械なので…ほら、あなたからも言いなさい、お願いしますって」
「……お願いします」

 私はそっぽを向いてそう言った。

「すみません、態度悪くって」
「いえいえ」

 夏休み明けだった。私は補聴器を持って学校に行くことにした。朝の時間に先生が皆に説明をしてくれたのだが、どうしても注目されるので少し居心地が悪くなる。

「こういう、補聴器というものをすることになったそうです。壊れちゃうと困るから、みんな水とか気を付けてね」
「はーい」

 補聴器は高価だから壊しちゃいけない。母からはうるさく言われていた。しかし、先生の言葉は自分でも気を付けようと思わせるようなものだった。

「……聞こえねーの?」
「うん……」
「どんくらい?今しゃべってるじゃん」
「分かんない。これくらいならギリギリ聞こえる」
「先生の言葉、聞こえなかったら言って。教えてやるから」
「ありがと」

 初めの頃は皆『聞こえない』というのがどういうことかまだ分かっていなかったのだと思う。しかし、だんだん分かってくるにつれて色々なことが面倒くさくなっていた。私自身も補聴器をする前と違う感覚があって戸惑っていた。

 そのうちに、人と話すのが怖くなった。聞き取れなかったらどうしよう。何か話している音は聞こえるのに内容は分からない。いちいち聞き返すのも面倒くさいし、メモを出そうとしても、他愛ない話題だったら『やっぱいいや』と言われて終わる。手間のかかるコミュニケーションに、私は誰かと話すのを極端に怖れ、避けるようになってしまった。

「最近、友達の話をしないわね。遊んだりしないの?」
「……しない」

 私はまったく外に出歩かなくなって――学校以外は、だが――もっぱらやるのはゲームと読書…どちらかと言えば読書の方が多かった。本の中には台詞が全てある。自分が主人公になったような気分で本の中の相手と打てば響くような、今の自分には到底出来ない会話を楽しめるから好きだった。

 そんな風に内向的になってしまった私を心配したのか、母はよく私を散歩に連れ出すようになった。時には川沿いを、時には山の中の抜け道を。何の言葉も話さない自然の中なら私は安心することができた。草が話していたとしても、花が話していたとしても、人間である私がその言葉を聞ける訳がない。その点において、私は皆と同じだ。そういう考えが浮かんで、壊れそうな心が辛うじて形を保っていた。

「今日は裏道いこっかな」

 ぽつりと呟いて、私は母が教えてくれた山の中の抜け道を通って帰ることにした。たまに蜘蛛の巣に引っ掛かったりするが、それでも裏道は惹かれる場所だ。誰もいない、誰とも話す必要の無い場所はどこも魅力的に映るようになっていた。

「あれ……?」

 ふと、慣れた裏道の途中で覚えのない分岐があることに気が付いた。細い道が(たけ)(やぶ)の向こうに続いている。こんな道があっただろうか?細いから見落としていたのかもしれない。

「どこに繋がっているのかな」

 道があるならばどこかに繋がっているはずなのだ。私は空を見上げた。まだ日が落ちていないので辺りは明るい。少しだけ行って戻ってくるくらいなら大丈夫だろうか。

 サクリ…と枯れ葉を踏みしめ、細い道の先を見ようといつもの道から逸れていった。



 サクリ、サクリ……。道は少しだけ上り坂になっていた。山を登っているのだろう。しかし、それにしてはゆるやかな気がした。

「本当に、どこへ繋がっているのかな」

 風が竹や樹の枝を揺らし、サワサワという音が聞こえてくるようだ。耳がよければ本当の音として聞こえたのだろうか、とどうしても暗く考えてしまう。そろそろ自分でも受け入れなくてはならないと分かっているというのに。しかし、この思いは一生向き合わなくてはならないだろう。健常者として過ごしていた時間があったからこそ、余計に割り切れないのだから。

 そのとき、ようやく道の終点が見えた。藪の向こうに広い空間があると分かったからだ。私はそっとその先を覗いた。

「ここって…公園?」

 新品同様に新しいブランコにジャングルジム、登り棒、雲梯、滑り台に砂場…一般的な公園なら大体置いてある遊具があった。そして、広場の中心には大人でも抱えきれないであろう太い幹を誇る大樹があった。

 現実味のない光景だ。今までこんなに大きな樹を見たことがあっただろうか。麓から毎日この山を見上げていたが、ここまでの大樹があるとは思わなかった。

「すごい……」

 大きな樹が見守っている公園。自分しかいない…今はまだ、自分だけがこの場所を独占している。それが嬉しかった。ここならば人目を気にせずに遊べる。ずっと公園で遊びたかったが、友達と会うのが怖くて行けなかった。

 私は、時間を忘れて遊具で遊んだ。昔に友達と遊んだときのように…そのときの記憶を追いかけて遊んでいた。

 ふと気付けば辺りが暗くなってきていた。

「そろそろ帰らなきゃ」

 大樹の根元に座って本を読み終えたところでそう呟いた。久しぶりに外でゆっくり過ごした気がする。思いきり体を動かしたあとの心地よい疲れと僅かな寂しさを持って、公園を後にした。


 そのあと、私は何度もその公園を訪れた。放課後に私がどこかに行っていることを周りの皆は感付いていたようだ。しかし、彼等との間にはもう大きな壁があった。話そうにも話し方を忘れてしまったように…私自身も誰かと話すことを避けていたから余計に会話する機会が見つからなかったのだろう。

「最近はよく出掛けているわね。どこへ行っているの?」
「ヒミツ!」
「まぁ、ずいぶんと前の調子を取り戻しているようだからいいけど」

 客観的にはともかく、主観的には隠れた公園に通う日々は充実していた。しかし、そんな生活にも変化が現れる。

「……伝うる…はうつつかな」

 誰もいないと思っていた公園から歌が聞こえてきたのだ。とうとうどこに行っているのかばれてしまったのだろうか。そう考えて心臓がドキドキと音を立てているのを聞きながら私はそっと藪から向こうを覗き見る。

「いやいやそうとは…んぞ……」

 そこには、見慣れない服を着て、髪を三つ編みにした少女がいた。ただ分かるのは彼女が着ている服がだいぶ古いものだということだ。

「み…に…にゆれ動く……」

 どうしようか、と迷った。ここまで来たのならいつものようにあの大樹の根元に座って静かに過ごしたかった。もし彼女も自分と同じように一人になりたくてここに来ていたとしたら?この空間に踏み込んでいいものだろうか。

「……着物の袖…あなたの…に今届く」

 二つの気持ちがせめぎ合っていた。行くべきか、行かざるべきか。このまま進んでしまったらあの子と話さなくてはならないかもしれない。初対面の人の言葉はあまりよく聞き取れないから怖いと思っていた。しかし、このまま隠れているのも大変だ。あの少女と空間を共有するその覚悟を決めよう。

 私は、ガサリと藪をかき分けて公園へと入っていった。その音に気が付いたのか、少女はついていた鞠をサッと止めるとこちらの方を向いた。そして、目をこれでもかというくらい開く。誰かがこの場所に来ることを全く想定していなかったというような反応だ。無理もない。こんなに山の奥にある公園は知らなければ誰も来ないだろう。少女のその驚きようはこちらの方が申し訳なく思うほどだった。

「あ、ご、ごめんなさい」
「あ、あ…た、…やって…ん?」

 驚きついでに動いた唇はおそらく疑問の声を紡いでいたのだろう。しかし、やはりと言うべきか、その音は声として聞き取れなかった。だから私は泣きたくなりながら言い慣れてしまった言葉を口にする。

「えっと、あの…もう一度言ってもらえますか?」
「え…どうやってここまで来たのか聞いとる。……あ、もしかして聞こえへんの?」

 事情を話す前に少女は私がどういった問題を抱えているのか見抜いた。

「……」
「どうしたん?」

 思わず黙り込んでしまった私を少女は不思議そうに見ていた。その瞳には私を面倒だと思っている光はなかった……今はまだ。

「うん、私、耳が悪いんだ。それより、一緒に遊んでもいい?」

 勇気を出してその一言を告げた。秘密の場所が秘密でなくなってしまったのは残念だが、秘密を共有する仲間ができたと考えれば嬉しいと思えた。

「うん、ええよ。今日は鞠しか持って来てへんけど。二人でできる遊びって何かあったっけ……結構あんね」
「うん。あ、そうだ。私の名前は――」
「あ、アカン!」

 私が自己紹介しようとしたら少女は焦ったような顔をして止めに入ってきた。私は驚いて視線で理由を問い掛けた。

「えっ?」
「ここじゃ名前を言っちゃあかんの」

 口の上に人差し指をのせて少女はそう言った。名前を呼べないので私達は互いに渾名を付けた。私が少女へ呼びかけるときは『み〜ちゃん』、少女が私へ呼びかけるときは『る〜ちゃん』と言うことにした。

 私達は日が落ちる頃まで一緒に遊んだ。少女は私が知らない遊びをたくさん知っていた。しかし、不思議なことに私が知っているような遊びを知らなかったようだった。所変われば遊びも変わる…のだろう。



「あたしはね、ここへは逃げてきてんの。この場所は誰にも見つからへんから」

 ある日、少女はポツリとそう話してくれた。私達は大樹の根元に二人ならんで座っていた。

「私も…騒がしい公園じゃ楽しめないからここに来てる」
「静かでええよね、ここ。あたしの母さんは一人にならないようにってうるさいんや。万が一の時、友達といた方がええやろって言うけど四六時中一緒にいるんは向こうもあたしもキツいんや」
「万が一の時って?」
「んー、万が一の時は万が一の時やろ。ほら、一生会えなくなった場合とかや」

 少女には少女の、人目から逃れたい理由というものがあるのだろうと悟った。そしてそれは私が迂闊に触れていいものではないということも何となく理解した。


 その後、二週間ほどして私と少女の中にもう一人遊び仲間が加わった。

「初めまして。本名を言えないのでとりあえずじぞーさんとでも呼んでください。実は、み~ちゃんとは何度か会ったことがあるんですよ」
「うん、久しぶりやね、じぞーさん」

 その男の子は着物のような服を着ていた。少し線が細い印象を持つ。人懐っこい笑顔を浮かべているが、私は同じように笑いかけることはできなかった。新しく人と出会う時はいつも怖いからだ。聞き取れなかったらどうしよう、うまく話せなかったらどうしようとぐるぐる考え込んでしまう、その癖はどうしても抜けない。だから、決まりきった挨拶さえもおどおどとした様子になってしまう。

「は、初めまして……」

 しかし、男の子はすぐに馴染んだ。いや、馴染んだのはむしろ私かもしれない。少女と男の子は前から知り合いだったのだから。

「る~ちゃん、知っている遊びを教えてくれませんか」
「ええっと……」
「遊び。何か知りませんか?鞠とかです」

 そして、彼もまた私が難聴だということに配慮してくれたようだった。ゆっくりと、そしてはっきりと発音して話してくれていたのだ。それは少女も同じだった。だからだろう、私は彼等が好きになった。

 彼等の前では私は「難聴であることを受け入れた私」でいられる。聞こえないと言う愚痴を漏らすことが出来た。ずいぶんと後ろ向きの考えをしていたものだと思う。しかし、彼等…特に少女の方は(男の子の方はそう頻繁に現れるわけではなかった)根気よく付き合ってくれた。

「音が聞こえないんならね、自分で勝手につければいいんやないの」
「音を?」
「そ。覚えてるんやろ?こんな音がするって分かっていれば簡単や」
「でも、本当の音じゃないじゃん」
「どうやろうな。あたしが聞いている音は本当の音だとどうやって証明するん?何が本当で何が嘘なのか…そんなん、その人の判断次第や。何かを恐れる必要はないで。る〜ちゃんの世界はいくらでも書き換えが出来る世界や。話したくない人でもな、もう一度話してみれば案外嫌な奴やなかったりする。あたしの中では『嫌な奴』が『そんなに嫌ではない奴』に書き換えられたってことや。る〜ちゃんだって出来る」
「そうかな……」
「……話せるうちにな、溝は埋めとくべきや。話せなくなってしもたらなぁんにもならん。後悔しきりや」

 噛み合っているような、噛み合っていないような会話もした。あのとき、少女の方は何か辛いことがあったようだった。それでも私を気遣う態度に…もう少し頑張って他の人と話してみようか、という気持ちを持てるようになった。


 ☆★☆★


「今日の昼…をやろうぜ!」

 私のクラスでは給食の時にたまに誰かがこうやって声を上げる。こういう日はグラウンドでクラスの皆が一緒に遊んでいるのを見ることができる。ただ、大きい音も早口で言われたら聞き取れないのでこれまでは私は聞く努力を放棄していた。しかし、この日は心機一転、何を言ったのか近くの友達に聞いてみることにした。

「ね…今何て言ってたの?聞き取れなくて。ちょっと書いてもらっていい?」

 その子は少し驚いたように私を見たが、ニコッと笑って私が差し出したメモ帳に書いてくれた。

「あのね、皆でキックベースやろうって」

 書いてくれたのは『キックベース』という単語だけだったが、それだけで分かった。

「ああ、そう言ってたんだ……」
「うん。どうする?一緒にやる?たまにはおいでよ」
「あ、ごめん。聞こえないから書いて……」

 目の前にいても、捲し立てられると聞き取れない。泣きそうになりながらまたメモ帳を差し出した。話の流れからして誘ってくれているのだと判断していたが、念のためだ。すると、予想通り、『いく?』と書いてくれた。

「うん、たまには行きたい」
「オーケー、じゃあ行こっか」

 それから、私は少しずつ他の人とも話すようになった。よく話す友達の言葉は割と聞き取れるようになり、聞き取れないまでも話の流れから何を言ったのか推測する術を手に入れた。


 そして、あの山の公園に行く頻度が減っていった。


 その日は、ふと山の公園で出会った少女と男の子を思い出し、行ってみようと考えた。学校の途中で山の方へ登っていき、竹藪の向こうへ続く道を選択する。一時は私が通いつめていたからかはっきりしていた道が、草の侵入によって細く、ともすれば見えなくなっていた。だが、辿れないわけではない。

 サクリ、サクリ…笹の葉が立てる音は聞こえない。しかし、このような音がするのだろうなと思い浮かべることは出来る。そうやって音を感じることを私は教えてもらったのだ。そして、ガサリと藪をかき分けて公園へ出た。

「ああ、る〜ちゃん。まだ、辿り着けたのですね」
「……じぞーさん?」

 珍しいことに滅多に姿を現さなかった男の子が一番に公園へ来ていたようだった。ただ、私を見る目の端に光るしずくがあったのが気になった。彼はぽつんと立って大樹を見上げて涙をこぼしていたのだ。

「どうしたの?泣いているの?」

 彼もまた何かを抱えていたのだろうか。いや、何も抱えていない人などいないだろう。つらいのならば、苦しいのならば助けになりたい。そう考えて私は近付いて力の入っていないその手をそっと握った。

「嬉し涙なんですよ。み〜ちゃんがここを卒業したんです」

 彼は私の手をキュッと握り返してそう言った。

「そつ、ぎょう……」

 この場にそぐわないその言葉を私は呟いた。その意味が分からなかったからだ。そんな私の思考を察したように、今度ははっきりと告げた。

「彼女はもうここへは来ません。未来を見つけたからです」
「未来…私も、少し考えるようになったよ」

 まだ納得していなかった私が言えたのはそれくらいだった。

「……そうですか。それはよかった」

 どうして彼女がもうここに来ないと断言できるのかはさっぱり分からなかったが、もう少女とは会えないということを理解した。そして沸き上がったのは複雑な気持ちだった。同時に何故か彼女と最後に話した言葉がすぅっと浮かんで来た。

 別れというものはこうも唐突なのか。

 その後、私はどうやって家に帰ったのか全く記憶になかった。しかし、母が何も言わないことから表面上はいつも通りだったと思う。そうしている中で私は考えていた。あの公園を卒業するというのはどういうことだろうかと。男の子はみ〜ちゃんが未来を見つけたのだと言っていた。未来は私も考えるようになった。まだ将来というほど遠い未来を考えることは出来ないから、とりあえず私が考えたのは「明日」という「未来」だったのだが。

 未来を見つけたら、公園へ行けなくなる?
 もしかしたら、私もまた……。


 ☆★☆★


「あれ……?」

 忙しい人混みから外れようと通い慣れた路地に踏み込んだと思っていたのだが、気付けば私はサクリ…と枯れ葉の敷き詰められた竹藪の道を歩いていた。現実から逃げたいと最近よく思っていたからこんな所にまで来てしまったのだろうか。アスファルトで固められた平坦な地面ではないこの場所はハイヒールではかなり歩きにくい。足元に注意していないとすぐに転びそうだ。そう思って私はメールを送り終えたスマホをスリープさせてバッグにしまった。

「それにしても、どこだろここ……」

 夢でも見ているかのようだ。どうしてビルの狭間から竹藪の中に来ているのか。ふわふわとした気分で私は歩を進めた。ふと、この場所に見覚えがあることに気が付いた。大人になった今よりもずっと小さかった頃、難聴に苦しみ始めたあの頃に何度か通った道だと。いつの間にか道がなくなってしまい、諦めたあの場所へと続く景色にそっくりだった。


 ―――ならば、この先は―――


 小さい時は十分隠れることができた藪の裏にしゃがんで、私はそっとその先を覗いた。

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