黄泉様
いつからだろうか。森の奥深く、山間に生える木の根元にそれはいた。
握り拳程のそれは、一見ただの石のようだ。いや、もともとはただの石だったのかも知れない。
幾年、幾十年、幾百年。少しずつ少しずつ、それは大きくなっていった。
鉱物なのか生物なのか。鼓動のように時折それは、とくんとくんと波打つ。
いつしかそれは、眠っている熊のように大きくなっていた。
意識があるのか定かではないが、それの周りには不思議なことが起こる。
雨の中、それの周りだけ乾いている。
日差しの強い夏日中、それの周りには霜が降りる。
雪が積もる真冬日、草花が生き生きと咲いている。
雨も降らず湧き水もない筈なのに、それから滲み出た水で、小さな泉ができた。
木の根元に収まりきらないそれは、木の横にコロリと存在している。
親と子のように寄り添いながら。
泉はけっして木の根を腐らせず、それの横に小さく広がっている。
いつしか泉は森の獣達の憩いの場になっていた。
鳥も鹿も熊も狼も、争うことなくそれの周りで寛いでいる。
小さな泉はそれでも枯れることなく、時折それから流れ出る水を湛えている。
ある時ふらりと旅人が現れた。
旅人は喉が渇いており、泉を見つけると嬉しそうに喉を潤した。ありがとうございます、と言って去っていった。
獣を追って猟師がやってきたが、それの周りで寛ぐ獣達を見て、何もせずに帰っていった。
生まれつき目が見えない男が山に捨てられ、迷いの末にそれの場所まで辿り着いた。泉の水を飲んだ男は目が見えるようになり、泣きながら感謝を口にしながら去っていった。
足の悪くなった父のために、水を汲みにきた男がいた。
腰の悪くなった祖母のために、水を汲みにきた娘がいた。
元気な子供が授かりますようにと、夫婦がそれに拝みに来た。
いつしか人々はそれを奉るようになった。
それの横には小さな祠が建てられ、時折供え物が置かれるようになっる。人々はそれを黄泉様と呼ぶようになった。
ある日、目つきの悪い男がそれを訪ねて来た。男はそれの噂を聞きつけ、商売にならないかと思った。男は泉の水を樽いっぱいに汲み、帰っていった。
男は万病に効く霊水として街で水を売った。水は瞬く間に売り切れ、男は大層喜んだ。
男は何回もそれの所まで来て、水を汲んでは運んでいった。
暫くすると、男はそれを削り出した。しょりしょり、しゃりしゃり、かりかり、ごりごり。
男は寿命の伸びる霊薬として削ったそれを売り出した。それは飛ぶように売れ、男は街一番の金持ちになった。
それは大層小さくなっていた。とくんとくんと波打つことも無くなった。水が滲み出ることもなくなった。
寄り添うように生えていた木は朽ち、泉も枯れた。
人々が訪れることも無くなった。
最期の時を過ごすために訪れた老婆がそれを小さな祠の中に置き、祠の横で息絶えた。
今でも森の奥、朽ちかけの小さな祠が建っている。