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気が付けば、どこかの歯車が狂ったかのように、日常の何もかもがうまくいかなくなっていた。必死にもがいているときはそれに気付かないのだが、ふと我に帰り、己の最近の不幸を思い返してみると身の毛がよだつ思いがして、いま自分は何のためにわざわざ苦しんでまで生きているのだろう、という問いに即座に自信を持って答えることが出来なくなった。そうやって打ちひしがれていればまだ良いのだが、毎日毎日嫌でもやって来る時間の荒波のような勢いに飲まれてその絶望的な疑問は意識の彼方に押しやられ、やがて見えなくなった。しかし、あるとき急にそのクエスチョン・マークは不死鳥の如く蘇り、ウイルスのように増殖し僕の心を蝕んだ。自分がそいつに喰われている間、僕は自分が何者なのか判然としなかった。そして、いつしか時の流れを恨めしく思うまでになっていた。
六月二十四日午前零時頃(特に記憶力が良い訳ではないが、そのときの記憶はやけに正確である)、またしても例の絶望の渦中にいた僕は、ちょうど数日前に恋人から唐突に別れを告げられたこともあって普段より増して苛立っていて、酒に酔ったみたいに取り乱していた。自宅への道を歩いていたときに、目が不吉に鈍く光る猫と目が合ったり、ベトベトしたチューインガムを新品の革靴で踏んだりして、更に苛立ちが募った。六月なんだから、あらゆる音を奪うくらいの土砂降りの雨が降ってこの嫌な心を綺麗に洗い流してくれはしないか、とさえ考えた。しかし、すぐにそれは逆効果だと悟った。