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小田的思考

無感情の感情

作者: 小田虹里

 何が私を変えたのか……。


 それは、定かではない。


 気づいたときには、私は……泣いていた。



 小さな、小さな、白い花。


 電信柱の隣にひっそりと顔を出す、白い花を見て。

 私は、ひと目も気にせず涙を流した。




 私は無感情な人間であった。


 何を見ても、何も感じず。

 何を聞いても、何も感じず。


 読書感想文なんてものは、苦痛のほか無かった。


 「何も感じません」なんて、誰が書けよう。

 先生が「怖い」という感情があったようだ。

 優等生のフリをしていた当時の私には、為せぬこと。


 それなりの言葉をはべらせて、その場しのぎで事なきを得ていた。



 祖父が亡くなったのは、まだ、私が子どもだった頃。


 「死」を理解できないのは仕方が無かったとも思える。

 三つ年上の従兄は私を見て、弟を指した。


 「あの子は、まだ死なんて分からないんだな」


 まだ、幼稚園児だった弟。


 分かるはずがない。


 既に小学生にあがっていた私ですら、分かっていないのだから。



 お骨になっても、何も思わなかった。


 箸でお骨を入れるとき、落とさないかという心配だけがあった。


 そう。


 たった、それだけ。




 小学五年生。


 突然、涙はやってきた。


 祖父の「死」が、とてつもなく悲しいものとなり、襲ってきた。

 どのタイミングでそうなったのか。

 まるで思い出せないけれども、その日のことは覚えている。


 会えない悲しさ、当時の未熟すぎた自分への怒り。


 色々な感情が入り混じって、とにかく泣いた。


 泣いた夜が明けても、まだ、涙を引きずるくらいに……。



 でも、まだ「完璧」じゃない。


 映画を見ても、本を読んでも、お芝居を見ても。

 何をしても、感動が来ない。


 さらに言えば、私は文字を書くことも好きではなかった。

 今の私を見たら、当時の私はきっと驚くことだろう。


 中学二年。


 中学二年の夏休みの課題で、私は読書感想文を避けた。

 変わりに、課題の「作文」を選んだ。


 それが、はじめて賞をとった。

 「奨励賞」という、小さな賞ではあったけれども、形あるもの。

 確かなもの。


 はじめて「評価」されることによって、自分を見出せた。


 「自分は、文が書けるのかもしれない」


 そんな自惚れが生まれた。




 人間とは、案外簡単な生き物であり、自分の居場所を探している。

 見出せたそこが、どんな世界なのかは人それぞれ。

 ただ言えることは、その世界を求めているということ。


 世界を求めているから、出会えない間は無感情。


 でも、出会えて世界が彩りはじめたら、ひとのこころはコロコロ変わる。


 そう、「感情」が生まれて連鎖をもたらしていく。




 私はずっと、負い目を感じていた。


 才能ある母、父、弟に、きっと、負い目を感じていた。


 自分には、何もないと思っていた。


 だからこそ、褒められるのはいつも「弟」という現状から、離脱したかった。

 私だけの「世界」を探し求めていたんだ、きっと。


 弟には出来ないことを、私はずっとやってきた。


 でも、弟は天才肌。


 私は弟には勝てないと、悟っていたんだ。




 大人になった今でも、そう。


 弟は、いつでも私の何歩でも先をゆく。




 それでも、いいじゃないか。


 今の私なら、言えるよ。



 私には、私だけの「世界」を見つけたから。


 無駄なことなど、ひとつもなかった。

 無駄なものなど、ひとつもなかった。




 無感情、無感動な世界もまた、私には必要だった。


 だって、今。

 私はこんなにも「文」に飢えている。


 「文」を愛しく思っている。


 「文」の世界で生きたいと思っている。


 「文」に恋をしている。




 涙脆くなったのは、もっと最近の話。


 白い花を見ては泣き、アジサイの花を見ては泣き。


 昼間は青空、夕方には沈み行く太陽を。

 そして、夜には星空を眺めながら涙を流す。




 大切なものは、ひとつじゃない。


 大切じゃないものは、ない。




 だから、色々なところに目をつけて、目を向けて。

 ゆっくり、ゆっくり、歩いていく。




 急いでも、きっと見逃すことが多いから。

 ゆっくり歩いて着実に、物事を見届けながら生きていたい。




 さぁ、「今日」は私に何をプレゼントしてくれるのだろう。

 私は何を、「今日」へ向けてプレゼントできるのだろう。




 母が亡くなる前日。


 私は、一生分の涙を流したと思う。


 「パパ、ぎゅってして」


 そう、ねだって抱きしめてもらった。


 「ママは、此処からが強いから」


 そう、なだめてくれた。



 でも、翌日やっぱり……天に召された。



 それからしばらくは、また、ぽつんとしてしまった。

 ひとりっきりかと思っていた。


 でも、また、歩き出す。


 母の死を受け止めながら、歩き出す。


 

 母がまた、私の「感受性」の「ねじ」を巻いてくれた。




 聞こえますか、これまで私と関わってくれたひとたち、ものたち。




 私は今日も、元気です。



 あらためまして、はじめまして。小田虹里と申します。


 このような作品となりましたが、最後まで読んでいただけまして、ありがたく思います。そしてあとがきまでお付き合いいただけることを、こころより、嬉しく思います。


 小田は今、とても寂しくなることが多々あるのです。


 それは、大概、家にひとりきりでぽつん……と居るため、「孤独」なのだと思います。これまでなら家に帰ってきたら、よく笑い、よく喋る母が居ました。でも、今はもう居ません。あるのは、「立派」な仏壇と遺影です。変わらぬ姿で笑顔でこちらを見ているひまわり畑での一枚が、母の遺影となっております。癌だった為、写真はかつらを着用し、さらには弟が母へプレゼントした、帽子を被っているものです。

 

 とても、とても素敵な笑顔です。


 でも、その写真を見るたびに、悲しくなるのです。


 私は、「小説家になりたい!」と思う前は、現実的な夢では「教師」。もっと夢溢れるものでしたら、「漫画家」や「声優」という職業をあげておりました。さらに遡れば、「考古学者」という道も、目指そうと思ったこともありましたが、その夢たちは消えていきました。

 「教師」という夢だけは、今でもなろうと頑張ればなれる夢かもしれません……でも、私はもう、「小説家」という夢以外は追うことをやめております。


 着実に、自分の夢をつかみたいと、こころから願っているのです。


 こころが、荒んでいたのでしょうか、昔は……でも、そんな時代があったからこそ、こころが未成熟である頃の話も分かりますし、書こうと思えば、私にも書けるんだと、自負したいのです。

 これまで、回り道をして此処まで来たとは思いますが、無駄なことは、本当にひとつたりとして無いと、私は信じています。

 人間なのだから、失敗して当たり前なんだとも、思います。言い切ります。だけど、失敗から学ばないのならば、それは勿体無い。小田は、タダで転んではあげません。


 ここまでありがとうございました。また、別の作品でもお会い出来ますように、こころから願っております。また読んでいただけるよう、努力を続けます。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 小田さん、今日は。 今日も凄いヘルパーさんに来てもらい、午後から、パソコン打っています。 「無感情の感情」と言うこの、エッセイ、不思議な題名を持ったエッセイですが、いざ、読み始めるとホント…
[良い点] ご自身の現在位置を確めるような、静かだけれど力強い文章ですね。 どの作品から拝見しようか、迷いましたが、こちらを選んでよかった。 何度も頷きながら読んで、勇気を頂きました。 [気になる点]…
[良い点]  ためてきた迫力が胸に来る「だって、今。 私はこんなにも~」からの四行が好きです。
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