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迷い家チケット

 オフィス街の一角。林立する高層ビルの中ではさして高くもなく、それでいて低くもないビルに、一人の少女が現れた。

 ロビーにいた社員の視線が一斉に少女へ集まる。少女の身なりは異様だった。赤いコートに黒いブーツ。黒蜜色の髪は腰元まで及び、白い生足がホットパンツから伸びている。オフィスビルにふさわしくないその少女は、しかし、どこなら合うのかと問われても答えようがない。それは単純に格好が、というだけではなく、少女の存在自体が、どこか人並み外れていたからだ。

 真っ先に少女に気付いた受付嬢は、隣にいた同僚に一声かけて、少女を迎える。

「いらっしゃいませ、どういったご用件でしょうか?」

 少女は応えず、迷いない足取りでエレベーターへと向かう。

 その先を警備員が遮った。

「お客様、誠に申し訳ありませんが、通行証を発行して頂けませんと社内には」

「チケット」

「……はっ?」

「切符はどこにあるんだい?」

 ロビーに沈黙が降りる。誰もが少女の一挙手一投足に注意を払っている。粘度の高い空気に合わせるかのように、警備員は静かに頭を振った。

「あの世行きならここに」

 ごく自然な動作で抜かれた拳銃が音速の真鍮を吐き出した。発砲音がロビーの防音設備に吸い込まれ、すぐさま元の静けさが戻ってくる。

 残響音の終りを繋ぐように、大理石の床から響く金属音、さらにそれを追うようにして人が倒れ伏す鈍い音。

「良い旅を」

 赤い少女は弾頭を噛み砕いて微笑んだ。

 警報が鳴り響く。ガラス張りの自動扉は映像装置に切り替わり、外に向けて平時のロビーを映しだす。その背面には分厚いシャッターが落ち、全ての照明が消灯する。直後に数十人の重い足音が聞えたかと思うと、嵐のような銃撃音がロビーを占拠した。


 

 暗転した画面を眺めながら、最上階のデスクに坐していた男は欠伸を零した。

「麻酔、致死毒、対物ライフル、それから銀の銃弾を手向けに用意した――――良い旅を、怪物」

 男は両の掌に収まる電子金庫をなでつけ、うっとりとした表情を浮かべる。金庫の中に入っているものを思えば、それは自然な事だった。何しろ手に収まるたったそれだけのもので、額としてなら国が買えるのだ。実際は、統一国家となった今の地球で国を買うことなど不可能だが、同等の権利を買えることに変わりはない。

 男は今、国を手中に収めている。

「こんなものを使わねば自由も手に入れられんとは、心貧しき者は全くもって憐れな事だ」

 男は金庫をデスクに置こうとし、しかしそれは叶わなかった。

 肝心のデスクが上方に弾け飛んでしまったからだ。

 三メートルはある天井に突き刺さったデスクと、綺麗に開いた床の穴を見比べ、男は状況の理解に努めるが、開いた口をふさぐことが出来なかった。

 上下を往復する視線が、五度目に下で止まったとき、ひょこりと少女が顔を覗かせた。男は悲鳴を上げて後ずさりし、背後のガラス張りをひっかく。

 少女はそれを気に留める風もなく、優々と穴から抜け出し、コートについた埃を払った。左右に跳ね折れた前髪を整えると、無邪気な笑みを浮かべる。

「ヤ(↑)ーハ(↓)ー、オッサン、アンタいい趣味してるよ、ロケランだの手榴弾だのは今までたらふく頂いてきたけど、銀の弾丸は初めてだ!」

「ば、化け物めぇ!」

「おいおいおい、私には銀が効かない、つまり私は化け物ではない」

「だまれ!!」

 男は拳銃を抜き、少女の胸に向けて発砲する。しかし弾丸は少女に着弾することはおろか、服を乱すこともできず、少女と男の間に転がった。

「なぜだ! なぜ当たらない!!」

「アーハァン、なぜか、なぜかを問うてくれるかい」

 少女が男に近づくと、男はガラス張りに背中を擦りつけた。左右に逃げればよいのだと気づき、右を振りむけば突如としてガラスが割れ、左を向いても同様にガラスが破砕する。とうとう男はその場にしゃがみ込み、少女は見下ろすようにして男の眼前に顔を寄せた。

 声を失くした男を覗き込み、少女は自信に満ちた声で答える。

「私が、最強だからだ」

 男の手から金庫を奪い取ると、少女はそれを片手で握り潰す。扉の部分が音を立てて地面に落ち、少女は中から一枚の紙を取り出した。

 紙には次のような二つの文だけが記載されていた。

『  

                       

                    迷い家入居申請書

                 名前:            

 

                                              』

 少女は文面を認めると、一瞬だけ笑みを刻み、何事もなかったかのように去っていく。

「待て、お前はそれが、何か理解しているのか!?」

「むしろ、アンタはこれが何かわかっているのかい?」

「当たり前だ! それは、別世界への切符、この不自由な世界に残された唯一の救済だ! 楽園への切符をお前のような小娘が、いや、怪物が手にすることなど許されない! それは未来を持った人間の手に渡るべきだ!」

「……はん、真っ当な国土に真っ当な城、そこに真っ当な国民を住まわせた真っ当な国王様が真っ当な文句を吐く、小悪党にしては上出来だが、もうお目覚めの時間だぜ、アンタは所詮、流通会社に扮した運び屋一味の頭領でしかない」

 事実を言い当てられ、男は苦悶の表情を浮かべた。

「………………とっとと消え失せろ《赤い怪物》、ここは人間の世界だ」

「ヤーハー、言われずとも知ってるさ、そのためのチケットだ」

「お前の居場所など、どこにもありはしない」

「なぁに、それを探しに行くのさ」

 男はようやく少女と視線を交じり合わせた。生気に満ちた瞳にさっと引かれた柳眉、薄い唇は濃い喜色を浮かべ、何か確信を感じさせる。控えめに言っても少女は美しい。その内実を知らなければ良家の娘とでも勘違いしただろう。

 しかし、所詮は怪物なのだ。

「早く行け」

 男があしらうように手を払うと、少女は少しだけを間をとって頷いた。白い手袋に包まれた繊手が振られ、少女の髪先が宙に軌跡を残して消える。

 男は深く息を吐く。築き上げた城は一瞬で瓦解した。たった一匹の怪物の侵入を許したばっかりに、夢想の国は手中から滑り落ち、ささやかな領地すらも失った。少しすれば騒ぎを嗅ぎつけ、大国の犬が彼から全てを奪うだろう。整然としたこの世界に過度な汚れは似合わない。彼が活動を許されていたのは、小悪党であったからこそ。しかしことは既に、その域を越えている。

 男は懐から豪奢な万年筆を取り出した。後頭部を背面に預け、目を瞑り、静かに万年筆を握り込む。親指を万年筆の腹に沿えると、絞り出すような声を上げた。

「――――死にざまぐらいは選ばせてもらうぞぉッ!!」

 親指に力が籠り、万年筆が半ばから折れる。

 直後、建物は爆発した。


 

 少女は背後からの爆風に髪をなびかせながら、手元の紙を見つめる。

 既に名前の欄は埋まっていた。

「……ようやくだ」

 声の色は複雑で、そこから感情を読み取ることは出来ない。

「師匠との約束、ようやく果たせそうだよ」 

 少女は紙の上端を両手でつまみ、一息に引き裂いた。すると宙にドアノブが現れ、それを中心にして木の扉が現れる。最後に少女の目線にプレートが掛かり、流麗な筆跡で一つの名前を浮かび上がらせた。

『 赤神 茜 (あかがみ あかね)』

 少女はドアノブを掴み勢いよく引く。漏れ出た光が彼女を飲み込んだ。

「まってろよ、私の家族」


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