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金魚

作者: 手羽 サキチ

金魚

私がレイカに出会ったのは小学六年生の時だった。クラス替えで仲の良かった友達全員と違うクラスになった私は困惑した。レイカも多分同じだったのだろう。レイカは教室の隅の席でうつむいていた。余り物の私たちは自然と一緒に行動するようになった。レイカは細く、色素の薄い子どもだった。自分と同じ人間に思えないほど繊細で、触れたら壊れそうだった。レイカの家は何代も前から医院を経営していた。長女のレイカも当然医学部を目指すように教育され、厳しくしつけられていた。レイカはクラスの誰よりも礼儀正しかった。レイカは学習塾とピアノのレッスンに忙しく、一緒に遊ぶことができるのは金曜日の放課後だけだった。ハルちゃんはいいなあ、とレイカは言った。習い事でがんじがらめにされたレイカはかわいそうだった。たくさんの習い事は小さなレイカには重すぎる。時々私はそんなレイカが囚人のように思えた。


金曜日になると私たちは校庭の裏でまつぼっくりを拾ったり鉄棒にぶら下がったりした。私が鉄棒でくるくると前周りをするとレイカはすごい、上手だね、と言って喜んだ。私はレイカが褒めてくれることが嬉しくて目が回って気持ち悪くなるまで何回も前周りをした。夕方になるとレイカの母親が学校まで迎えに来た。レイカの母親は神経質そうなきれいなおばさんだった。母親は私を見ると会釈してレイカの手を引いて帰った。私は一度もレイカの家に招かれたことはなかった。家においでよ、と誘ってもレイカはごめんね。と悲しそうな顔をした。私はいいよ、また今度ね、と言った。今思えば私はレイカの母親にあまり好かれてなかったのだろう。ひょっとしたらあの子ともう遊んじゃいけません、とも言われていたのかもしれない。

 

私たちは一緒に生き物係をしていた。その時教室で飼っていた生き物は金魚だった。金魚鉢で小さな和金を一匹飼った。金魚鉢の底にはビー玉を敷き、プラスチックの水草を入れていた。金魚が来たばかりの頃はみな興味津々で金魚鉢をつついたり、こっそりエサをまいたりしていた。和金は小さなひれを一生懸命動かしていた。しかし一か月も過ぎると金魚は飽きられ、誰も見向きもしなくなった。私たちは一か月に一回金魚鉢の掃除をした。ガラスに生えた藻をブラシでこすり、塩素を抜いたきれいな水に入れ替えた。レイカは手が藻にまみれ、爪先が緑色になっても気にすることなく自分の仕事に専念した。すっかりきれいになった水槽で元気に泳ぐ金魚を見てレイカはよかったねえ、と語りかけた。私は囚人のようなレイカと窮屈な金魚鉢に閉じ込められた小さな金魚が重なって見えた。そうだ、レイカは金魚なんだ。そう思ったのは一学期の終わりだった。

 

吐く息が白くなった頃、レイカは私立の中学校を受験することになった。受験の前日にレイカはそう告げた。月曜日の放課後だった。レイカはごめんね、ハルちゃん。と言った。私はレイカの突然の告白に驚いた。どうして言ってくれなかったのよ。なんで秘密にしていたの。と言いかけて、飲み込んだ。レイカは泣いていた。白い拳が震えていた。もうすぐレイカの母親が迎えに来る。心臓がどくん、どくん、と打つ。金魚鉢の窮屈な金魚。このまま行かせては、だめだ。私はレイカの手をとって走った。レイカも泣きじゃくりながら走った。校庭を走り、校門を出る。レイカと一緒に学校の外に行ったのは初めてだった。夕日が街をオレンジ色に染めていた。まだ走る。息が切れる。河川敷で私はしゃがみこんだ。息がはかはかする。水面がきらきら光る。草は枯れていた。レイカは座り込んでうつむいた。涙は乾いていた。レイカは立ち上がり、目をこすった。お母さんが待ってる。行かなきゃ。ごめんね、ありがとう、ハルちゃん。そう言って学校の方に歩いて行った。レイカの背が遠ざかったあAA。私はただ呆然と座り込んだ。そして気付いた。金魚は金魚鉢が無ければ、生きることすらできないということを。そしてレイカだけじゃない。私も金魚鉢の金魚だ。金魚鉢から取り出された金魚は鰓をぱくぱくと動かす。いくら鰓を動かしても空気から酸素を得ることはできない。

 

レイカは私立の中学校を受験し、合格した。レイカと私はいつも通りの金曜日を幾度も過ごした。私はもうレイカを学校の外に連れ出すことはなかった。私たち来年の話を避けた。来年の今頃は私たちは同じ金曜日を過ごせない。卒業式の後にお互いの住所を交換した。泣いていたレイカの背を大げさに叩き、大丈夫、また会えるよ、手紙出すから。そう言った。もう二度と会えないということを理解していたのに。

それ以来レイカには一度も会っていない。手紙のやり取りもどちらともなく自然に途絶えた。金魚は水槽に合わせて大きくなるんだって。大学の友達はそう言った。レイカはもう大人になっているだろう。医学部に進んだのかもしれない。それでも私は大人になったレイカの姿をうまく想像することができない。


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