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狐の嫁入り

作者: 浮蔓宗水

 狐と狸は犬猿の仲である。

因縁は九百年も前、時の支配者鳥羽帝を、狐一族の長にして当代一の化け上手、金毛九尾の妖狐扮する玉藻之御前がたぶらかしていたのを、流れ者の狸が陰陽師に化け喝破したところに始まる。


 人を誑かして生計を立てるもの同士、互いに仕事の邪魔はせぬという取り決めであったのを一方的に破ったというので、狐の一族は激しく狸を非難した。

しかし狸は狸で流れ者のやったこと、知らぬ存ぜぬの一点張り。

そうこうするうちに殺生石は打ち砕かれ、豊臣についた狐一家が零落する一方で、狸は徳川家康に成り代わり、江戸の世に栄華を極めた。


 妬む狐、奢る狸。黒船が来航し、明治になっても状況は変わらず、狸が財を成し、戯れに紙幣を燃やす傍らで、狐は詐欺で細々食いつなぐ日々を送るのであった。

同じ狐でも稲荷の神使にはならず者と侮られ、頼りの綱の狼の親分一党は、ある者は山を降りて犬になり、ある者は狂犬病が流行るというので、人間に殺されてしまった。


 そんな中で、玉露(たまつゆ)が生まれたのは、一族にとって幸運と言うほかない。もちろん、当人にとってはまた別の話であるかもしれぬ。


 玉露は美しい狐であった。体毛は新雪を思わせる白さで、その艶やかなことは玉藻の再来と讃えられた。その上利口で術もよくこなし、かの葛葉のごとく、一度人に化ければどんな術達者でも変化を見抜くことはできなかった。

そんな玉露であったから、彼女が年頃になると、その姿を一目見ようと、狼のなれの果てや人間、鴉に百足に宿敵の狸の若衆までもが里に押し寄せてきた。

これを商機とみたか父狐、嫌がり恥じらう娘を説き伏せて、硝子越しに来客に見せ、見物料を取り始めた。

額は決して安くなかったが、見物客は皆満足そうに帰って行った。噂にたがわぬ美しさであった。


 玉露を嫁に欲しいという声は、かねてから父の耳に届いていた。中でも熱心だったのは、例の狸一族の跡取り息子と、狐一族が住んでいる山の支配者である竜神である。

父狐は、どちらに嫁に遣るか、慎重に見極めようとしていた。よもや自分の一族に娘と想い合う若者がいようとは露ほども思わなかった。


「よし」

と、ある日の昼下がり、父狐は手にした扇子をパチンと閉じて言った。


「狸にくれてやるとしよう」

決めれば行動は早い。彼はすぐに玉露をよび出した。


「露や、嫁に行く件じゃがな」

と父は切り出す。玉露は長いまつげを伏せて、ただ聞いている。


「お前を、狸の茶釜右衛門殿の元へ嫁がせる腹づもりじゃ」

「……はい」


「お前も、茶釜右衛門殿のことは見知っておろう。連日此処へ通い詰め、お前に喝采を送っておられた」

「存じ上げております」

「では、異存ないな」

「御座いませぬ」

「左様か、よし」


父狐はほんの僅か、憐れみの篭もった目つきで、平伏する娘の姿を見ていたが、やがて扇子を開き、話を打ち切った。


 この次第を聞いて、玉露と密かに想いを通じ合っていた玉三郎は、開いた口が塞がらない。

居ても立ってもいられず、稲荷の社から賽銭をちょろまかす指揮もほっぽり出して、長者の屋敷へ向かった。


「玉露さん、玉露さん」


玉三郎は屋敷の裏手から呼びかける。するとやや間があって、彼にとって心が洗われるような声が返ってきた。


「玉三郎さん、聞いたのね」

「あアそうだ、ついさっき聞いた。玉露さん、逃げよう僕と一緒に」

「逃げるって、何処に」

「何処だっていいさ。此処でさえなければ、構うものか。さア、早く」

「無理よ、今の時代、他にどんな場所があるというの。それに私が逃げたりなんかしたら、お父様達がどうなるか」


玉露の乗り気でないらしい返事を聞いて、玉三郎は苛ついたように言う。


「構いやしないよ。君をあのぶくぶく肥って醜い狸なんぞに売った男だよ。嫌がっているのに、君を見世物にもした」

「それでもお父様はお父様よ。他の皆だって」

「他の皆だってそうさ。君のお蔭で、これまでぬくぬく出来ていたんだ。文句を言える筋かい」


玉三郎は冷たく言い放った。彼はその後も、何とかして玉露を説得しようとしたが、彼女はなかなか了承しない。

とうとう彼の声はすがりつくような響きになりはじめた。


「お願いだ玉露さん、どうか、どうかこの玉三郎を助けると思って。君を他の男に渡したくない、君無しでは生きていけないんだよ」


 玉三郎が必死の懇願を続けている頃、山上に驚く男がもう一人いた。いや、ただ驚いているのではない。この男は激怒してもいた。


「もう一度申してみよ。玉露が、この儂を袖にしたと」

「は、恐れながら」


竜神は、事を伝えた配下の蛙がみるみる色を失い縮こまるほど、ありありと怒りをその顔に浮かべた。

目は血走って飛び出し、みしみしと音を立てて口が裂け、長く鋭い牙が口元から伸び始めた。


「御屋形さま、どうぞ御心をお鎮め下さいますよう。御本性がお出でになりかけておられまする」


勇敢にも自制を促した井守いもりの大臣を、即座に雷光が打ち据えた。

瞬きする間に黒焼きになった大臣を見て、その場にいた配下は一様に震え上がった。


「これが落ち着いていられるものか。あの駄狐、神であるこの儂との縁談をことわり、事もあろうに妖怪風情を選びおったのだぞ。あのどうしようもない狸の放蕩息子などを、玉露が好むはずがない。きっと父親の差し金に違いないわ。ああ、哀れな玉露よ」


意に沿わぬ婚姻を強要される玉露の姿を想像し、こみ上げるものがあったのか、竜神はしくしくと泣き始めた。

感情の起伏が激しく、誇り高く、そして寛容と言うものが一切ない。その結果、彼はこれまで娶った三百人の妻をみな食い殺している。

実の所、狸が嫁ぎ先に選ばれたのもそのあたりの事情があるのだが、彼は自分に欠点がある等とは考えもしない。


 父狐はこれまで、玉露との結婚をちらつかせ、竜神と狸をうまく手玉にとってきた。

それがこの二人も近頃になり、玉露がますます美しさを増すにつれてしびれを切らしてきたらしく、やや強引な手段をとるようになりはじめたので、いよいよ嫁がせざるを得なくなったというわけである。

狸を選んだなどということが気の短い竜神の耳に入れば、まず無事では済まないが、そこは狸に無理に奪われたと虚言を弄する積もりだったのである。

しかし……。


 狸一族次期当主、人呼んで放蕩三昧の分福茶釜右衛門。

すべては、この男が玉露を手に入れた嬉しさに、結婚のことをあちらこちらで触れ回っているからであった。


「おう、やっとるかね」

「アラ狸の若様、いらっしゃい。最近来て下さらなかったから、寂しかったのよ」

「へへ、すまんすまん。いや実は今度、結婚することになってな。その準備で忙しかったのよ」

「あらまア、それは御目出度い。お相手は何方。あ、分かったあの娘でしょう、あの、猫の」

「ちっちっちっ、違うんだなこれが。いいか、聞いて驚け、なんとあの噂の……」


と、このような具合に、節操もなく言いふらすものだから、玉露が狸の家に嫁ぐという悲報は、すでに近隣の山々にとどろいている。


「あの婿殿にも困ったもんじゃ。これは竜の旦那が恐い」

 どこで聞きつけたのか、早くも挨拶にやってきた百足の大将が帰った後で、父狐は深いため息をついた。

「たしか、明後日までは、竜の旦那は雲の子を散らすのに忙しかったはず。うまく晴れることだし、こうなったらさっさと婚儀を済ませてしまおう」


父狐は即決した。玉露さえこの場にいなければ、単純な竜神ひとり何とでも出来る自信があった。

こうして、話がまとまって二日後の早朝に婚姻がなされる運びとなったのである。


 そして当日。


「露や、目出度い日にふさわしく、今日は一段と美しい」


父狐は上機嫌であった。花嫁衣装に身を包んだ玉露は、いつものように静かにまつげを伏せている。

父もそれを、いつものように受け取った。


「いい天気だねえ、雲一つない」

「こんな日に曇ってちゃいけない。こうでないとね」


長者の屋敷の下女達が、天気の良いことを話し合っている。

敢えて花婿のことを話題にする者はなかった。


「いらっしゃいました。分福茶釜右衛門様で御座います」


召使いの一人が声を上げると、参列者は視線を動かし―― 一斉に顔を引き攣らせた。


「へへ、へへへ」


狸はすでに、へべれけに酔っていた。

丸々とした巨体が、ころころと転がるように、覚束なく花嫁の元へ向かっていった。


 婚姻の儀は、狐の棲む山と狸の山(狐の山と違い、これは狸の所有物である)の間にある河原で催されていた。

それを高みからじっと見つめる、一対の目。言うまでもなく竜神のものである。


「もう始まるとは、いくら何でも早すぎる。さては儂に手を出させぬためか、おのれ」


本性に返った竜神が表情を険しくすると、にわかに空が曇りかけ、彼は慌てて尾を振るい、雲を払った。

今日は太陽の神が地上を照覧する日である。万が一、ひとかけらでも雲が日を陰らせるようなことがあれば、竜神はすぐに天帝の裁きをうけ、打ち首になってしまうのだ。


「ああ悔しい、おのれ悔しい。この儂が、玉露が狸のものになるところを指を咥えて見ているとは。しかも狸の山に一度連れて行かれれば、もう手を出すことができん。かくなる上は、あやつらすべて水の底にしてくれる。見ておれ、竜神が雲なしで雨も降らせぬと思ったら、大間違いよ」


 この時、嫉妬と怒りに狂った竜神が凝視するのとは逆方向の山中に、忍びながら山を下る影が二つあった。


「さ、急いで。もうすぐ麓だ」

「はい」

玉三郎と玉露である。結局、一緒に逃げてくれなければこの場で死ぬとまで言い出した玉三郎に、玉露が根負けしたのである。


「大丈夫だ。あの化粧が取れてしまわない限り、術が見破られることはない。身代わりだって心得ているはずさ」

「玉三郎さん、私、嫌な予感がするのよ」

「不安になるのも無理はないが、今は急がないといけない。足元に気を付けて」


この二人は、昨日のうちに、共通の知り合いである若い下女を身代わりに仕立て上げている。

さすがにここまで早く事が進むとは思っていなかったため、変化の術は完全ではなかったが、それでも化粧道具を使えば十分に誤魔化せた。

裏を返せば、化粧がとれてしまえば、さすがに玉露とは言い難い顔になってしまうのだが、狸の山に行きさえすれば、素顔を見られてもただの化粧上手で済む話である。

下女ははじめ乗り気でなかったが、玉三郎がいかに安全な計画であるか説明する内に、玉の輿に目が眩んだか協力を決めたのであった。


「きっと大丈夫だ。何もかも上手くいく。この晴れの天気だ。雨で化粧がおちる心配もない」

「……あら」


 誰よりも自分に言い聞かせるような玉三郎の隣で、玉露は何かに気付いて空を見上げた。

天空は、雲一つなく、青く澄み渡っていた。


 その後、彼らがどうなったのか、知る者はいない。

古文書には、狐の山で大きな水害があったこと、茶釜右衛門が命からがら逃げ出したこと、そして竜神が、私用で雨を降らせた罪で成敗されたことが断片的に記されているのみである。

だが、今日でも狐の家から嫁を貰う時には、必ず雨を振らせて貰う風習があること、それが人間にも伝わるほど徹底して守られていることが、この結末を暗示しているように思われるのである。

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