現実世界
赤貝に閉じ込められていたゲームプレイヤーが帰還を果たして、もう二週間が経った。その頃には過熱していた報道も落ち着きを取り戻し始めて、病院に担ぎ込まれていた赤貝のプレイヤーも、大半が退院して失われた筋肉を取り戻すために、リハビリを開始している。
また、この騒動の原因を作ったカラクサは逮捕され、動機を『ゲームの中に閉じ込めることのできる技術があるからしただけであり、それ以上の目的など無い』と語ったらしい。科学者か技術者かプログラマーかは知らないが、なんともそれらしい言い分である。
そう繰り返されるテレビの報道を、僕はいまだ病院のベッドの上で見ている。退院の日取りは決まっていない。
目の前には、白くぬるぬるした味の無い山芋のようなものをすったもの、べちゃべちゃのご飯、ぬるい味噌汁、茹でて歯ごたえを失ったキャベツに名前の分からないやたら骨の多い焼き魚。見るのも嫌になってベッドに寝転がった。またご飯を残して、点滴が増えて、退院できなくなる。
でも仕方が無いと思う。
甘えではなく、本当にそう思う。
生きるために誰かを殺した人間に、生きる権利があるのか。
こればかりを一日中考えている。
生きるために誰かを殺した人間にこそ、生きる権利があるのか。
分からない。生きるために誰かを殺してきた人間には、到底分からない。
ただ、生きるために誰かを殺した人間に、生きる権利がないと言われたとしても、僕はそれを受け入れることはできないだろう。だって生きるために誰かを殺したのだから。
結局、なにをどうあがいても僕は生きていくという選択しか得られない。死んだ人間の分まで生きなければならないとか、そうやって悩むことが罪滅ぼしになるとか、そんな感じの体のいい思い込みでやっていくしかないのだ。
死ぬことを拒んだ人間の生きる末路。
なんとも滑稽な話だ。
「……ふう」
だけど食欲はわかない。点滴で栄養を取っているからか、尿意や便意はあっても食欲はない。いっそのこと全部取り外して、限界まで空腹にしてくれれば食べるよりほかないのだけど。それにあまり眠れていない。お昼に寝ているから睡眠自体は問題なくとれているのだけど、やはり僕の体は正常とは程遠いように思う。
でも、誰かを殺したあとの自分が正常であることの方が、よっぽど正常ではないようにも思える。
カトレア――古参のプレイヤーであり、数多くのPKを行ってきたゲーム内でも有名な人物。その一般プレイヤーからすればルールを大きく逸脱した行為が、結局はこのゲームから素早く、そして犠牲も少なくする結果となっていたわけだが、その行為自体がカトレアを貶めることとなった。
その原因となったのが、帝国騎士団をPKするということ。自分よりも強く、巨大な組織を選んでしまった。発案した人間が死ぬべき、という圧倒的に正しい論理も、強者の前では通らない。なぜなら弱者には与えられない選択肢が、強者には与えられるから。
強者は、みんなのために誰かが死ぬことを強要することはできたが、みんなのために自分達が死ぬことを容認できない。弱者も容認できないという点では同じだろうが、容認しないということを強者が許すことはない。
ぐるぐると。
考えても答えの出ない問答を、続ける。
思考の無駄だとも思うほどだ。
生にしがみついて生きてきたわけでもない。だというのに、死が迫ったと分かった瞬間、だれよりも安全な場所で隠れるようにして生きた。そして生還した途端に、生きることに疑問を持つ。
もう、どうでもいい。
眠ろうか。
その時、コンコンと病室の扉がノックされた。この病院の看護婦さんかと思ったが、彼女らはノックした後、返事も待たずに入って来るから違うし、お見舞いに来た人でもないだろう。なぜならこの病院は家から大分離れた大学病院だからだ。友達や親戚が来てくれるとは思えない。……それ以前に、クラスのみんなが僕が入院しているということを知っているかどうかすら分からないわけだが。
「はいー?」
体を起こしながら扉の方を見て返事をすると、おそるおそるといった風に扉が少しだけ開いた。見えたのは、ぎょろぎょろと動く瞳。病室を観察しているようだが、しばらくしてこちらと目が合った。青く綺麗な瞳。
向こうも僕を確認したらしく、目が合った瞬間に扉がブチ壊れる勢いで開かれた。
そこに立っていたのは、金髪を肩ほどまで伸ばした蒼い目の若い女の子。淡いピンクのワンピースがよく似合っている。
「……サミー、なのか?」
僕がそう言うと彼女はニコリと笑って、ベッドの横に備え付けられていたイスに座った。近くで見ると顔立ちは端正に整っており、まるでハリウッドの人みたいだと思った。
「どうして分かったの?」
「いや、だって……。外国人だから?」
「そう。でもね……」
一転して深刻そうに顔を伏せたサミーは、僕の目の前に紙袋を置いた。
「私がナクドナルドの紙袋を持っているからって外国人だって決めつけるのは、少し早計じゃないかしら?」
「誰もそんなところに目をつけてねーよ! 今初めて気付いたわ!」
置かれた紙袋からふわりと懐かしい香りがする。
「これ、お見舞いの品。ビッグナック」
「ビッグナックをお見舞いに持ってくる奴は初めて見た」
「それとコーラにポテト。もちろんLサイズ」
まったく手のついていない入院食を端っこに寄せて、ビッグナックセットを僕の目の前に置くサミー。これを看護婦さんに見られたら確実に怒られるな……。
しかし――。
触るとほのかに温かいビッグマック。しなびたポテト。ひんやり冷たそうなコーラ。
「……ゴクリ」
口の奥の方からじゅるると唾液が分泌される。
「い、いや、そんなことよりサミーはなぜ日本に?」
「リハビリがてら観光をね。日本の病院でもいちおう検査を受けておいたほうがいいと思ったし。それに私ね、日本の大学に進学したいと思ってるから、両親に日本の紹介したかったのよ」
「ふーん。そういえばなんで僕の病室が分かったんだ?」
「受付の人に英語でまくしたてていたら教えてくれたわ。顔が青くなっていたようだけど」
「なにやってんだよ!」
だが、仕方ないじゃなーい、と僕のつっこみを軽くいなしてしなびたポテトに手を伸ばすサミー。ここは大きな病院だけに警備員が常駐していそうだが、よくもまあ騒ぎにならなかったものだ。
まあ、別にどうでもいいけど。と思ってサミーを見ると、むしゃむしゃとポテトを貪っている。止まらなくなってんじゃんか。それ僕のだぞ。
放っておくと全部食べられてしまいそうなので、ビッグナックに手を伸ばす。これを食べる時に気を付けなければならないことはただ一つ。汚れることを恐れないこと。かぶりつける程度まで手で圧縮して、タレが口のまわりに付くことを前提として食べる。男らしく!
「もぐもぐもぐ…………んまい!」
一口目を飲みこんでいないのに、二口目三口目とかぶりつく。
「はい、コーラ」
口の中がビッグナックでいっぱいになったところを見計らってか、サミーがタイミングよくコーラを渡してくれる。それを受け取り、口の中のものを全てコーラで流し込む。
「…………うまい」
ゲームから生還してから、いや、ゲームに閉じ込められてからずっとまともな食事がなかった。もちろん入院食はカロリー計算された素晴らしい食事だが、高校生が満足できるような代物ではないし、ゲーム内に閉じ込められていた時はずっと点滴だったのだろう。ようやく年相応の、健康な人が食べるようなものを摂取することができたことの喜びは、体だけでなく心まで満たしてしまった。
ここにきて、ようやく生を実感している。
否。
ビッグナックではない。サミーが来てから僕は生を実感している。
思い出す。僕はなんのためにカトレアを殺したのか。自分が生きて帰るため? もちろんそれは大きな理由だが、もっと大きな理由があった。
サミー、セレス、鈴、大団長さま。僕はこの人たちを失いたくなかった。だからこそあの決断をし得たのではないのか。
だから僕は――カトレアを殺したことを後悔してはいけない。後悔してしまえばそれと同時に、彼女らを助けたことを後悔したことにもなる。
そうだ。
生きるために殺したのではない。生かすために殺した。
違いなんてないのかもしれないけど、僕の中では重要なことだ。
ビッグナックをコーラですべて流し込む。
カトレアのことは忘れない。彼女が極悪非道なギルドのマスターであろうが、大量のプレイヤーをキルした人間であろうが、カトレアのおかげで僕たちが今ここにいることができるのだから。
「そういえばカク」
いまだポテトを美味しそうに食べているサミーは思い出したように言う。
「カクってゲーム内でヒヨピー一匹しか倒してないわよね」
「…………」
「あれ、覚えてない? 私が布団を作ろうって言った時のことなんだけど。あれ以降になにかモンスター倒した?」
「…………」
「あとこれ。現像してみたんだけど」
差し出された一枚の写真。そこに移っていたのは二頭身の白い服を着たキャラクターが地べたに這いつくばっている姿。察するに、僕とサミーが出会って一緒にPKをしようと鈴を襲った際、返り討ちにあい土下座で許しを請うているヒーラーこと僕。
「これあげるわ。焼き回ししてあるし」
「お前なにやっとんじゃ――い!」




