セレスティア
僕はサミーに手をひかれながら、帝国騎士団に与えられていたギルドのエリアを抜けて憩いの広場まで戻って来ていた。そこに着くまでに数分かかったが、僕たちの間に一切会話はなかった。というのも、僕は未だに混乱していて話が出来る状況ではなかったからだ。
しかしサミーはそんな僕を心配して、ちらちらと様子を窺うようにしてこちらを見る。彼女は自分が死んでしまうという心配よりも、僕の心配をしているのだ。
そのことに気付いた時、僕はさらに苦しみを感じた。
その優しさが怖くなり、立ち止まって繋がっていた手を離す。
「カク?」
可愛く首を傾げるサミーを見ていられなくなって視線を下ろす。
「ごめんサミー。先に戻っていてくれるか?」
サミーと一緒にはいられない。居たらその優しさで自分が押しつぶされそうになる。
思えば、帝国騎士団の会議室から連れ出してくれたことも、手を繋いでいてくれたことも、心配そうに僕を見ていてくれたことも、一緒に居てくれようとしたことも、サミーの優しさだ。
でもそれは逆だ。僕がサミーに、大丈夫だ心配するな、と言ってあげなければならないのに、僕はそれが出来るほど強くなく、むしろどうしようもなく落ち込んでしまうほど弱い。だけどサミーは強すぎて優しすぎた。
「……そう?」
そっと頬に触れる手の感触。ほのかな熱が伝わる。
「わかった。でもフィールドには出ちゃだめよ」
サミーの注意に、それでも僕は顔を上げることができずに頷きだけで返す。
「それじゃあ私は戻っているから、晩ご飯までには戻るのよ」
「…………」
つっこみが出来るほどの余裕のない僕は、サミーのボケに対して首を横に振った。それを見たサミーは、頬に当てていた手の親指だけで僕を二、三度撫でてギルドルームへと戻って行った。
それを見送ってから、憩いの広場の隅っこにどっかりと座りこむ。
「はあ……」
情けない話だ。死んでしまうかもしれないサミーと、生き残れる僕。その違いのせいで、サミーと一緒にいるのが苦しい。
これは……、同情と言うべきものなのだろうか。
いや、まだ現にそれが決まったと言う訳ではない。
常識的に考えるのなら、帝国騎士団の幹部たちが自らの命を差し出してカトレアを死神にするとは考えにくい。……のだが、いくつか気になる点がある。ひとつ目は、すでにカトレアから出された条件を帝国騎士団が形の上では受け入れているという点だ。あの青い騎士、彼が土下座をしそうになったことは、カトレアからの提案を受け入れた上で、自分が助かろうというものだからだ。それを責めることは誰にもできないが、軽率な行動だったことには変わりは無い。
そしてふたつ目。カトレアが帝国騎士団を恨んでいるという点。犯罪ギルドであるスコッチーと帝国騎士団は互いに相反する者同士であり、様々ないざこざがあったことは容易に想像できる。だからこそ、その復讐として帝国騎士団の幹部を一掃しようと考えた。それにカトレア自身も言っていたことだ。ここにいるプレイヤー以外はPKしないと。
そしてみっつ目。これが最も気になっている点なのだが、カトレアの言っていることが絶対的に正論である、ということだ。そもそも今回の提案は、自分たち以外が犠牲になることを前提として考えて進められてきた。だからこそ誰よりも早くカトレアと接触したのだが、よくよく考えてみれば、提案した側が犠牲になるのが筋だ。もちろんこれは、ゲーム内の治安を守ってきたという信念がある帝国騎士団にしか通じないが。帝国騎士団の幹部がどう思おうが、周りの人間はそう思う、ということだ。
これらのことから、帝国騎士団が反論できる余地は少ない。だからカトレアの条件を受け入れる可能性はある。
しかし、やはり命に関わることをそんな理屈で決定することなどできない。いかに崇高な精神を持っていようが、自己犠牲の塊であろうが、自らの命を差し出すなど、正気の沙汰ではない。それは、どこか頭のおかしな人間がするようなことだ。
……予測できない。
「……ふう」
息を吐く。
今度は溜息ではなかった。これからの出来事をまったく予測することはできなかったが、それでも状況を整理することができた。それに、予測できなくとも、帝国騎士団がカトレアの提案を受け入れるかそうでないか、の選択肢しかない。
もし仮に、可能性は低いがカトレアの提案を帝国騎士団が受け入れた場合、サミーだけは生き残るチャンスがあると思う。カトレアが帝国騎士団の幹部をPKしたがっているのは、積年の恨みからきたものだから、帝国騎士団に所属していないサミーだけは、鈴が上手に交渉してくれれば生き残れるだろう。だが、鈴もセレスも大団長さまも死ぬ。
「…………」
頭からその思考を振り払うように首をぶんぶんと横に振る。
そんなことを考えてなんの意味があるというのだ。
ならば、カトレアの提案を帝国騎士団が断った場合、状況はまったく進展しなくなるが、だからといって状況そのものが悪化するわけではない。ただ単に死神というクラスを作れず、ラスボスを倒せないためにこのゲームから脱出できなくなるというだけ。現実世界のことを考えると悠長に事を構えている暇は無いが、与えられた時間というものは、現実世界のことを抜きにして考えれば、まだ猶予はある。なにしろデスゲームが始まってから、まだ一週間程度しか経っていないからだ。
そう考えると、帝国騎士団の行動を予想できる。おそらく――デスゲーム終了期間ぎりぎりまで他の脱出方法を帝国騎士団が探す。そしてそれが見つからなかった場合、帝国騎士団が責任をとってPKされる。僕ならばこの妥協案を提示するだろう。
さて、そうなってくるとその妥協案をカトレアが受け入れるか、ということが重要になってくるが、受け入れざるを得ないはずだ。元はと言えば、帝国騎士団がカトレアに死神になってくれと提案し、それにこたえる代わりにカトレアは幹部をPKさせろと言ってきた。カトレアの発言から分かるように、カトレア自身には帝国騎士団の幹部をPKするほどの実力はないため、この事態を利用してPKしようとしている。力関係は、帝国騎士団のほうが圧倒的に上であることがわかる。さらに、それを受け入れたカトレアが脱出できないことにしびれを切らして、他のプレイヤーをキルして死神になれば、帝国騎士団としてはおいしいことしかないことになる。
つまり、今この現状において考えなければならないことは、帝国騎士団幹部をPKさせずに死神を作る方法。
振り出しに戻った感が否めない……。
まあいいや。
振り出しに戻ったついでに、死神について最初から考えてみよう。死神になるためには五百人という途方も無い数のPKをしてきたプレイヤーでないとなれず、それにもっとも近いのがカトレア。ならば二番目に近い人物は誰だろうか、と考えたところで出てくるのはスコッチーのメンバーになるのだろう。PKを楽しんでいるような人間でないと五百なんて数には到底及ばない。
他に……、他に誰か……。
「……カク」
不意に呼ばれて、声がした方を見る。僕のすぐ横、体育座りをしている一人のプレイヤーは、自分の膝に額を擦りつけるようにして丸まっている。
「セレス……」
熟考していたため彼女が僕の横に座ったことすら気が付かなかった。
「さっき」
セレスはひざに顔をうずめたまま話し始めた。
「亜妃さんがカトレアの提案を受け入れることを決定した……」
「……はあ!?」
「三日後の正午に、帝国騎士団幹部の七人とわたし、それとあなたのギルドのサミーって子。みんな殺される」
「ちょ、ちょっと待てよ! 鈴がそんなことを受け入れる筈が無いだろ!」
今までの鈴を見ていればわかる。彼女はギルドマスターとして誰よりも僕たちのことを心配してくれていた。その鈴がサミーに死ねという命令を出す筈がないのだ。むしろ、その部分が、カトレアの提案を拒否するという考えの拠り所になっていたと言ってもいい。
「どういうことかちゃんと説明してくれ、セレスティア」
とにかく声を落ち着かせてセレスに問いかける。彼女を責めたところで意味は無い。
それに、もしかしたら鈴にはなにか考えがあってのことなのかもしれない。大団長さまや帝国騎士団幹部の判断だって、きっとなにか対策を考えた上でのものなのかもしれない。
「セレス、順序立てて説明してくれ」
僕は極力優しい声を出してセレスに再び問いかけた。するとこちらをちらりと見て、また膝に顔をうずめて、とつとつと話し始める。
「カク達が出て行ったあと、誰もなにも発言しなかった。だから……、誰かがサミーの意見を聞こうと言い出したの。あの子も、本来会議室にいなければならない人だったから」
「……つまり、自分たちは答えを出せないのに、サミーには答えを要求したってのか」
「うん、鈴さんもそう言っていたけど、結局押し切られる感じになってメールしたら、すぐに返信があった。内容は、『私はカトレアの提案を受け入れても構わない』って」
「な……」
「なんかそのままの流れで、カトレアの提案を受け入れることに……」
……その状況は容易に想像できる。
今まで誰もどちらにも一票を入れることが出来なかったのにもかかわらず、サミーは即答でカトレアの提案を受け入れるに票を投じたのだ。それにサミーのことをどれだけ幹部達が知っていたかは知らないが、十六歳の女の子であり、このゲーム内に置いては初心者でレベルは1。あきらかに自分よりも弱い立場の人間が難しい決断をして、さらに自己犠牲の精神まで見せつけられたのだ。大勢が提案受け入れに偏るのは仕方が無い。
でも、そんなことで全員が納得するとは到底思えない。
「他に、なにか他に言っていなかったのか?」
「……どうせニートだから現実に帰っても意味ない、とか。ここで死ねば英雄になれる、とか。教科書とかにも載るのかなあ、とか。そんなこと言ってた。亜妃さんと鈴さんは黙って聞いてただけだった」
「…………」
バカが、そんな軽いノリで決めやがって。
大団長さまがずっと黙っていたというのは気になる。鈴が黙っていたのはサミーの事柄について考えていたからなのだろうけど、大団長さまのそれは、おそらく他のみんなの判断に任せるというものからきたのだと思う。つまり、死ぬ覚悟はできているということ。
死に対する恐怖というものは、状況によって変わってくる。いまは剣を突き付けられた状態でもないし、死が差し迫っているかと言えばそうでもない。だからこそ、軽いノリで決めることができたが、実際に死ぬ直前になれば死の恐怖から逃れることはできないし、これから三日間、その恐怖と闘いながら生きていかなくてはならない。
だけどもし僕が大団長さまの立場に居て、死ぬ覚悟が出来ているのだとしたら、その幹部たちが正常な判断ができるまでに落ち着いて、やはり死ぬのは嫌だ、と言い出したとしてもそれを受け付けることはしない。意地でも一緒に死んでもらうだろう。おまけにギルドメンバー同士ならば、どこにいようとすぐに分かる。どうあがいたとしても、この決断が覆ることはなく、そしてそれから逃げることも叶わない。
「……たくない……」
「ん?」
セレスの声に思考が中断される。
「死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!」
突然大きな声で叫び出したセレスに驚きながらも、なんとか落ち着かせようと肩を掴むが、逆に胸ぐらをぐいっと掴まれて、僕の胸の中で泣き喚く。
「こんなところで死にたくない! こんな訳の分からない場所で、訳の分からない理由で、死にたくない! まだやりたいことも、やってないこともいっぱいあるのに……。なにも悪い事、してないのに、わたし……。大体なんでカクだけは殺されなくて済むわけ? 不公平じゃない! まさかカトレアと裏で通じてるんじゃないでしょうね!」
「お、落ち着けセレス。そんなわけがないだろうが」
断言するとセレスは僕から手を離して、再び膝を抱えるようにしてすんすんと泣きだした。それを見てどう声をかけて分からず、しばらく沈黙が続いたが、セレスはそのままの格好で、ごめんと言った。
取り乱したことについて謝ったのか、それとも僕を疑ったことについて謝ったのか、僕には分からなかった。
「わたしね、本当はこのゲーム辞めるつもりだったの」
「辞める……?」
「うん、わたしはもう二、三年このゲームをプレイしてるんだけど、始めたばかりの頃は帝国騎士団の人たちに何度も助けられて、それで帝国騎士団に入りたいって思い始めたの。みんな憧れているし尊敬もしている。わたしもその一員になりたかったから。だからレベル上げ頑張っている人たちとフレンドになって、毎日のようにログインして、毎日のようにレベル上げして……、その頃は凄い楽しかった。そのあと、ようやく帝国騎士団に入れるようなレベルと技術を手に入れて入団したんだけど、現実は違った」
「…………」
「高校生なんだからこの時間はインしろとか、何曜日の何時から何時まではインしろとか、まるで働かされているみたいだった。それに団員は必要な時に必要な人数しか採用しないから、わたしはいつまで経っても下っ端で、自由な時間なんてほとんどなかった。だから、このゲームをするのが憂鬱で堪らなかった」
そう言ってセレスは、おかしいよね、と涙を流しながら淡く笑った。
それを見た瞬間、僕の中でなにかが音を立てて崩れ落ちた。
なにも悩む必要なんてなかった。優先順位が自分のなかでしっかりと分かっていれば、何も悩む必要はなかった。
そう、僕の大事なひとたちを失わずに済む方法はある。常識に囚われすぎて、それを考えることを無理やり放棄していた。
僕は立ち上がる。
残された時間は多くない。




