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家の中からほんのりと明かりが漏れている。宴の会場となっている広い平原から戻ってきたキヌアは「おや」と首を傾げた。小さな窓から中を覗くとティッカが炉端で繕いものをしている姿が見えた。入り口に回ってキヌアは驚いた様子で声を掛けた。
「ティッカ、貴女は宴に行かなかったの?」
しかし驚いたのはティッカの方である。今宵こそはキヌアも観念して結婚を決めてくるのだろうと思っていたのに、まだ宵の口にひとりで家に戻ってくるとは。しかも、ティッカが苦心して飾り立てた姫君は、乱れた髪もそのままに、特別に仕立てた服も裾が裂け、襟元は伸びてはだけ、何とも無様な姿だ。あんぐりと口を開けてキヌアを見つめ、溜め息と一緒に呟いた。
「キヌアさま……またですか……」
まさかティッカがいると思わなかったので、キヌアは少し苛立った様子で逆に訊いた。
「貴女こそ、なぜ宴に行かなかったの? あれほど楽しみにしていたのに!」
するとティッカは勢いよく立ち上がり、つかつかとキヌアに歩み寄って半ば怒鳴るような勢いで言い放った。
「私は忌み日なんです! しかも満月の晩はいつも! 私の方こそ素敵な男性と一夜を過ごしてみたいものだわ! キヌアさまのお相手は女王さまの覚えも良い立派な方ばかりだというのに、どうしてそうわがままをなさるんですか! わたしにその幸運を分けていただきたいくらいだわ!」
そのあともあれやこれやとティッカの恨み事は続いた。今回の縁談は女王から直々に何とか成立させてほしいと頼まれていたのだ。その上、ティッカ自身は出会いの機会すら与えられない不満も相まって、キヌアの短慮な行動がどうしても赦せなかったのだ。
ティッカのあまりの剣幕にキヌアは段々弱気になり素直に謝った。
「貴女の気持ちも考えずにごめんなさい」
「分かればよろしいんです!」
すっかり立場が逆転して、キヌアはティッカの前で小さくなっていた。
キヌアは女王の館から離れてひとりで暮らしているが、正確には身の周りの世話をする侍女ティッカとのふたり暮らしである。王女といってもキヌアも自身である程度のことはこなすので、仲のよい姉妹がふたりで助け合って暮らしているようなものだ。しかしときにティッカは女王の命でキヌアの行動の監視や警護の役も引き受けなくてはならない。奔放な姫君の保護者役は大変だ。
ティッカの気苦労も知らずに、思うままに振る舞うキヌアにティッカはときどき怒りを爆発させることがあった。
「いったい何が不満だというのですか」
怒ることに疲れ、ティッカは炉端に戻って腰を下ろすと、今度は呆れたように深い溜め息を吐きながらキヌアに訊いた。
キヌアは、囲炉裏を挟んでティッカの正面に静かに腰を下ろすと、チロチロと揺れる小さな炎を見つめながら言った。
「相手に不満があるわけではないの。私の中の理想が大き過ぎるのかもしれないわ。私の中にあるお父さまの存在があまりにも大きくて、自分でもお父さまのようになりたいと思いながら、相手となる人にはもっと大きな存在であってほしいとつい思ってしまうのよ」
それを聞いて、ティッカはまたさらに長い溜め息を吐く。
「キヌアさま。カリさまのような方が今もいらしたとしたら、私たちは小さな敵に脅かされることなく暮らしていけるはずじゃないですか。カリさまほどの方ならばとっくにキリスカチェの王になっているはずです。カリさま亡きあとも、女王さまたちは必死でキリスカチェを護ってこられたのです。キヌアさまだけがいつまで経ってもお父上の幻を追い続けているのですよ。ご自分がそう成りたいと思うのは自由ですが、結婚のお相手にもそれを望むのは我儘以外の何物でもありませんよ」
ティッカは女王の代わりにキヌアにそう諭した。
ティッカにもキヌアの葛藤はよく分かっている。幼い頃から「父上のようになる」と言って鍛錬を怠らず努力してきた結果が今のキヌアなのだから。理想の相手はキヌア以上に努力家で確かな腕前を持っていなくては釣り合わない。しかしその理想像に当てはまる人物を、少なくともこの一族の中に探すことは不可能だろう。あとはキヌアの考え方がもう少し大人になってくれるのを待つしかないのだ。
「分かってはいるのだけど……」
キヌアは言葉を切って、立てた膝の上に顔を埋めた。
ティッカはそれ以上何も言わずに、再び繕い物に取り掛かった。
キヌアは膝に顔を埋めながら、自分の記憶の中でもっとも鮮明な光景を思い描いていた。
彼女はまだ幼く、隣に立つ人物の硬くて大きな手を握り締めている。周囲は自分の背よりもずっと高い草に囲まれていてその先に何があるのかはまったく分からない。ただ隣の人に引かれるままに草の林の中を分け入っていく。先が見えなくても大きな手と繋がっていることで彼女はすっかり安心していた。
やがてその手が彼女の両脇を掴み、彼女を肩に担ぎ上げた。視界が一気に草の丈よりも高くなり、鮮やかな紫の穂が風になびく広大な草原がその目に飛び込んできた。幼い彼女は思わず「うわあ」と叫んで、はしゃいだ。
「ご覧、キヌア。美しい風景だろう。この穂はお前と同じキヌアという名だ。キヌアは我々の命を繋ぐ大切な糧だ。この穂が実れば実るほど、多くの人が豊かになるのだ。命の糧を育むこの大地は誰にも荒らされてはならない。ここを荒らそうとする者たちからこの土地を護ることがわれわれの大切な務めなのだ」
キヌアは、股の間から彼女を見上げる日灼けした大きな顔に勢いよく頷いて見せた。大きな顔はそんな彼女をうれしそうに見つめていた。
しかし、その人の顔の色やおおよその表情は分かるのに、細かい造りは霧の中に霞むように曖昧だ。じっと見つめれば見つめるほど、その顔にかかる靄は濃くなっていく。
諦めて膝から顔を離し目を上げると、囲炉裏の向こうにティッカが黙々と繕い物をしている姿が目に入った。
父王カリは、キヌアの幼い頃に戦死した。ともに過ごした記憶も数えるほどで、ましてや父の戦う姿など見たことはない。この頃ではその顔がどの様であったかさえも分からなくなってきている。そんな父の姿に、未だに強烈に憧れているのは何故なのか。キヌアは自分でもその理由が思い当たらないことに、そのとき気付いた。




