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 キリスカチェ……獣の一族として恐れられる部族の名である。


 かの部族が住処としている土地は果てしなく天に近い。そしてその周囲はどこも、終わりが見えないほどに広大である。天に近いゆえに、気温の変化は激しく、水に乏しく、生命には過酷な場所でもある。その広大な高原(プナ)にはよほど生命力のある植物しか育たない。地面は、水分をそれほど必要としない(イチュ)に覆われており、たまに目にする木といえば、ささくれた肌と棘を持つ、やっと人の背丈ほどになるかならないかの潅木だ。あとはところどころに乾いた大地を好むサボテンがぽつぽつと生えているくらいだ。


 太陽を背にした南の方角の果ての果てには湖という巨大な水の原が存在するという。湿気をよく含んだ風の吹くその周囲の土地は不毛の高原(プナ)とは違い、多くの生命を育む豊かな大地だ。それゆえに古代から湖の周囲には多くの文明が花開いた。しかし人が集まり増えていけば、その僅かな場所を巡って争いが生まれる。湖の周囲に暮らす部族は、豊かな暮らしが手に入るものの、互いの土地を奪い合って戦いに明け暮れ、休戦状態であっても常に他者の攻撃に怯えていなければならなかった。


 それに比べて高原(プナ)の暮らしはつつましいが穏やかなものだ。大半が人の生活できる土地ではなかったが、キリスカチェ族の暮らす場所だけは違った。大きな河に面しており、水を手に入れることができたからだ。

 広大な大地を切り裂くように走る河の流れは、そのほとんどが断崖の下にあったが、キリスカチェの近辺だけ大地の上に顔を出している。その辺りの土地が低いため河の流れに近いのだ。水が手に入れば人は暮らしを維持することができる。

 かつてキリスカチェ族の先祖たちは争いの多い湖を離れて高原(プナ)をさすらった末に、水辺と接するその土地をようやく見つけ、居を構えたのだろう。

 水を欲するのは人間だけではない。喉の渇きを潤すために大勢の野生動物たちがその周囲に集まってくる。だからそこでは狩猟によって豊かな糧を得ることもできた。また河の周辺では水を引き入れて作物を育てることもできた。

 決して広い土地ではないが、一部族が生計を立てるには十分であり、乾いた高原(プナ)一帯でそのように恵まれた土地はほかに多く見当たらなかった。


 こうして湖畔の文明の地とは隔離された場所で、長いことささやかな生活を営んできたキリスカチェは、やがて他部族に脅かされることとなる。湖畔の覇権争いに敗れた少数部族たちが高原(プナ)へと逃れ始めたのだ。不毛の高原にも多少なら人々が暮らしを営むのに適した場所もあるが、やはりキリスカチェの暮らす土地ほど豊かな場所は無い。湖畔で強大な国に脅かされながら暮らすより、小さな部族を追い払ってその土地を奪えればその方が遥かに楽だ。そう考えて湖畔を逃れ、キリスカチェの土地を狙おうとする部族が出てきたのだ。

 湖畔の領土をめぐる争いが激しくなればなるほど、キリスカチェの土地を狙う部族も増えていった。

 必然、キリスカチェ人は自分たちの土地を護るため、戦い方を覚えなくてはならなくなった。やがてキリスカチェに生まれる子どもたちは歩く前に武器の持ち方を教えられるようになったのだ。


 獣の一族……広くその名が知られるようになるには、それほど時間は掛からなかった。彼らは好戦的な部族として恐れられるようになった。

 そしてその最たる時代が天の王カリの君臨した頃である。カリが治める時代、湖から様々な部族が新天地を求めて北上し次々と戦いを挑んできた。偉大な首長カリはそれらの部族をことごとく打ちのめしたのだ。ときにはわざわざ湖畔に遠征して敵の本拠地を奇襲し敵部族を根絶させたこともあるほどだ。南への遠征に留まらず、北の強大な敵にも戦いを挑んだ。

 そのとき同じ敵に悩まされていた北の大部族ケチュアと同盟を組む。ケチュアの王ビラコチャはカリの才能に惚れ込み、それからしばらく、ケチュアとキリスカチェは協力して同じ敵に立ち向かう盟友となったのだ。

 カリの輝かしい功績によって、さらにケチュアという強力な後ろ盾を得て、キリスカチェを相手にしようとする部族はほとんどいなくなったと思われていた。しかし……。




「オカ族が先ごろより大規模な軍を組んでふたたび攻めてきました!」


 キヌアが初めて軍を率いてオカ族を撃破してからわずか数日後に、部落にそんな報せがもたらされた。敵の大将と主だった者を倒し、もう僅かな兵力しか残っていないだろうと思っていたキヌアは耳を疑ったが、ワスランはまったく驚く素振りも見せず、むしろ「矢張り」という表情をしていた。


「どういうことなの?」


 そう問い掛けるキヌアにワスランは当然のように答える。


「オカ族は小集団がいくつも寄り合って成り立っているのです。それぞれの集団に長がいるので、軍を率いることができる者はひとりではない。われわれが倒したのはその一集団に過ぎない。もしかすると先ごろの軍はわれわれの実力を試すために送られたもっとも小規模な軍だったのかもしれません。今や仲間の命を奪われた奴らはわれわれに恨みを抱いている。今回は以前よりは数段手強い相手となるでしょう」


 部落の中心にある広場に、伝令の声を聞きつけて民がぞろぞろと集まってきた。

 天の女王も、そして天の女王の館とは対にある館に住む地の女王もやってきた。ふたりの女王の姿を目にしてキヌアは早速訴えた。


「お母さま、お姉さま! どうかいま一度私に軍をお任せください。今度こそ大将の役割を十分に考慮して慎重に軍を率いていきます。そして敵を残らず倒してみせます」


 天の女王は縋り付いて訴える娘の姿を黙って見ていた。厳しい眼差しを向ける天の女王にキヌアは何度も「どうか」と訴えた。母が何も答えないままでいると今度は、姉であり天の女王とともに部族を治めている地の女王にも同じように訴えた。


 父王のように偉大な戦士となることを目指す彼女に、この好機を逃す手は無い。先ごろの戦いが一軍の大将としての資質に欠けると、ふたりの女王に誤解されたままではあまりにも悔しい。そんな思いからキヌアは必死だった。

 やがて天の女王は静かに口を開いた。


「敵は先ごろの惨敗の雪辱を果たすため、また仲間の復讐のためにやってきたのだ。決して侮ってかかってはいけない。それを肝に銘じておくのだ」


 天の女王の言葉にキヌアは真剣な面持ちで頷いたが、ふたたび軍の指揮を執らせてもらえる喜びで心の中では舞い上がりたいほどだった。自分は十分に大将の役割を果たすことができるのだと、今度こそ母と姉に認めてもらうのだ。そしてそれは幼い頃から抱き続けていた夢に近づくための大切な一歩だ。

 まだ十六になったばかりの娘が、己の身を盾にしてでも部族を護るという意識に薄いことは、母にはお見通しだった。ただ、この末娘は戦いの技術にかけては天賦の才能がある。いずれは部族を背負って立つ者となれるよう、多くの経験を積ませてやらなくてはならない。その足がかりとして丁度良い機会になると、実は母のほうでも密かに期待を寄せていたのだ。





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