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傍らには、上座を見据える血塗られた首級がいくつも並べられている。それらに苦悶の色は無く、何故そこにその姿を晒すことになったのか未だ見当が付かないといった表情だ。首から下が失われたことを、まだ信じていない者もいるだろう。屈辱すらも感じることなくその魂の宿る先を失くした者たちばかりだ。
たったひとりの少女の奇怪な行動に気を取られ、部族の将来を託された猛者たちは揃ってその屍を敵の長の前に晒す羽目になろうとは。後悔と屈辱を感じる頃には、もうすでにその魂は還る肉体を失っているのだ。
屈辱を覚えた魂が悪霊となって取り憑くことを恐れ、敵の屍をことごとく喰らい尽くす部族もいる。しかし、例え敵であっても戦士の誇りを重んじる少女の部族では、戦勝の証としてその首を持ち帰り、彼らの守護神へと捧げるものの、その遺骸は自然に大地へと還っていくのを待つ。それらが腐敗して土に還るのもよし。もしも部族が崇拝する獣の王者ピューマがそれを喰うのならば、彼らは戦いの勝利によって神へと最上の供物を捧げたことになるのだ。
そのような慣習から、少女と彼女の率いていた戦士たちは、敵の大将や最後まで果敢に戦った敵戦士数名の頭部を持ち帰った。そしてそれらは戦利品とともに女王の御前に並べられた。
並んだ首級の横でかしずく少女は女王から労いの言葉を掛けられるのを待っていた。首だけになった敵たちの表情からも、この戦いが圧勝に終わったことは明らかだ。
普段、何かと自分の行動に難癖をつけ、眉間に皺を寄せ呆れたように溜め息を吐く母でさえ、このときばかりはその働きを褒めそやし、「さすがわが娘よ。偉大な夫カリの血を引く者よ!」と感嘆の声を上げるに違いない。さらに少し悔しげに「これまで私は見立て違いをしていたのだ」と、娘を見る目を変えるに違いない。
そんな先走ったことを想像し、頭を垂れた姿勢で地面を見つめる目を細めていた少女に降ってきたのは、これまで以上に遺憾だといわんばかりの盛大な溜め息だった。
娘はその耳を疑い、はっと顔を上げて母王の顔を見据え、その溜め息が母から漏れたものではないことを確かめようとした。しかし、少女の期待は虚しく崩れ落ちる。母は呆れるような、いやむしろ憐れむような表情を浮かべており、少女と目が合うと再び大きく溜め息を漏らしたのだ。
「なぜ」と、その無言のまま責めるような視線を送ってくる母に詰め寄りたかった。しかしぐっと堪えて母が何か言葉を発するのを待つ。
やがてふたたび似たような溜め息を残さず吐き出して、女王は口を開いた。
「そなたは、そなたを信じ、そなたに従った部下たちの命を何と心得る」
敵を倒した手柄よりも、自身の率いていた部下の立場を問われ、少女は戸惑った。
戦いの最中、彼女の頭の中には敵軍にいかに素早く楔を打ち込むか、そして何人の敵を倒すことができるのか、正直それしか無かったからだ。もちろん率いる軍の戦士たちは迷わず自分に従ってくれるという確信があってのことだ。軍の統率をまったく無視していたわけではない。ただ、彼らひとりひとりの動きに気を配っていたかといえばそうではないのは確かだ。
予想だにしなかった女王の問いかけに、少女は言葉を失って俯いた。
「一軍の将たるものが、配下の戦士たちに気を配ることができなくてどうする。それほどに自分の腕に自信があるのなら、最初からひとりで敵陣へ斬り込んでいけばよい。
聞けばそなたは、無防備な姿でわれ先にと敵軍へ向かっていったそうだな。後ろに従っていた戦士たちがどれほどそなたの身を案じたことか。勝手に先を往く大将に遅れを取らないようにと、どれほど必死になったことであろうか。運よく敵将を一撃で倒せたから良いものの、そうでなければ一軍はもろともに敵に包囲され逃げ場を失っていたであろう。ワスランが機転を利かせて軍を分けなければ、一網打尽になっていたのだ。己の力を過信するのではない!」
女王の厳しい指摘に、少女はきりっと唇を噛み締め、膝に置いた拳を血の気が失せて白くなるほどに握り締めていた。
彼女の少し後ろに跪いている屈強な体躯を持つ戦士、少女の側近であり、軍の参謀であるワスランは、女王の厳しい叱責にすっかり小さく縮こまってしまった主の姿を憐れに見つめた。
「天の女王、そのおっしゃり様はあまりにもご無体にございます。キヌアさまは部下たちを信用して彼らを率いていかれたのでございます。私はキヌアさまが確実に敵将を射止めてくださると信じておりました。それゆえ頃合を見計って軍の編成を指揮したのでございます。この戦いの勝利はキヌアさまと戦士たちの信頼の上に成り立ったものでございます」
必死になって取り繕うワスランの言葉も、女王の耳の前を虚しく通り過ぎただけのようだ。ワスランの言葉が終わるか終わらないかといううちに、女王は忌々しげに言い放った。
「もう良い! ふたりとも下がれ」
日干し煉瓦を積み上げて、萱を葺いただけの簡素な家が建ち並ぶなか、女王の館だけは、煉瓦の表面が真っ白な漆喰で塗り固められ、色鮮やかな幾何学模様が施されている。屋根を葺く萱も非常に質の良いもので、厚みがあり艶やかだ。他の家には無いが、部族の長に相応しい立派な門も備わっている。
しかしそれはあくまで女王の館であって、いくらその娘であってもそこに一緒に住むことは許されていない。まだ成人を迎えていない王女は一介の庶民と同じ、いや一家を構える庶民よりもずっと質素な造りの狭い家に住んでいた。
女王の館を正面に臨む小さな家へと帰るべく、王女キヌアは母の館の立派な門をくぐり抜けた。意気揚々とこの門を入っていったときとは違い、がっくりと肩を落としてその足取りも重い。
キヌアの数歩あとを、ワスランが黙って従っていた。ワスランの心配する表情が背中に見えるようだが、それをまったく無視して、いやむしろワスランが気に掛けることを期待するかのように、キヌアは真っ直ぐに自分の家に向かわず、女王の館の門に沿って右手に歩き出した。勿論、ワスランは黙ってそれに従った。
歩きながらキヌアは振り返りもせずに後ろを付いてくる側近に問い掛ける。
「お母さまのやり方は卑怯だと思わないか。私にすべてを一任したように見せかけて、軍の中に監視役の兵士を紛れさせていたに違いない。そこまで信用できないのなら、何故私に軍を任されたのだ。お母さま自ら出陣すれば済むことではないか。我らに無益な小競り合いを仕掛けてくることしかできない臆病なオカ族など、天の女王が率いる軍でいちどきに叩き潰してしまえば済むことなのに」
「血を分けた娘だからこそです。女王さまは姫の成長を望んでおられるからこそ、全てを任せるのはまだ不安でありながら、しかし一軍の将として立派な働きをなしていただきたい。そんな葛藤をいだいていらっしゃるのです。親とはそういうものなのです」
ワスランの言葉を聞いて、キヌアはくっくと肩を震わせた。やがて天を仰ぐようにして大声で笑い始めた。歩く速度は弛めずにひとしきり上を向いて笑い飛ばすと、ワスランの方を振り返って言った。
「何を知ったようなことを。子も居ないそなたに何が分かる? 子はおろか、妻さえも居ないというのに! 親の気持ちが分かるという前に、さっさと妻を見つけてはどう」
ワスランは、「なっ」という声が聞こえてきそうな唖然とした表情を浮かべている。それを愉しむかのように意地悪く嗤うと、キヌアは街中を外れて部落のはずれを流れる河へと走っていった。
部落のある高原から渓を一気に下っていくと、太陽の光を乱反射させている大きな流れへと辿り着く。
光る流れの中には水しぶきを上げてはしゃぐ女たちの姿が見えた。誰もが一糸纏わぬ姿で無邪気に水をかけ合って黄色い声を上げている。岸には戦士の纏う毛皮や剥製が乱雑に脱ぎ散らかされている。戦に加わっていた女戦士たちだ。戦の汚れと汗を流すためにここにやってきて、そのまま遊んでいるのだろう。
丘を下ってくるキヌアの姿を見つけた若い娘がひとり、急いで岸に上がり駆け寄って来ようとした。しかしキヌアの後から現れたワスランの姿を目にして慌てて岸に戻り、麻の貫頭衣をざっくりと被ってふたたびキヌアの方へと駆け寄ってきた。
「キヌアさま! 女王さまは何かご褒美をくださいましたか? 此度のご活躍をさぞかし喜んでくださったでしょう!」
嬉しそうに問い掛ける娘は、キヌアと同じ年の頃の側付き侍女ティッカだ。侍女とはいえ、キヌアとともに幼い頃から武術の手ほどきを受けてきたティッカは、キヌアが戦に出るときには必ず主に従って参戦してきた。
今回はとくにキヌアが一軍の将を任されたとあって、ティッカの方が本人以上に興奮していたのだ。
キヌアが女王に謁見する前に、敵将の首や戦利品を女王の玉座の前に並べたのはティッカと数名の兵士である。数々の戦利品を見て感心した女王は戦況をティッカに尋ねたのだろう。ティッカは主の勇姿を自慢げに女王に語って聞かせたのだ。しかし女王は無謀な娘のやり方を、親として心配せずにはいられなかった。つまりはそういう経緯だったのだ。
キヌアは、期待に目を爛々と輝かせてこちらを見つめているティッカの姿を、返って微笑ましく見つめた。そしてワスランを振り返り、困ったような笑みを浮かべ肩を竦めて見せると、再びティッカの方に向き直って言った。
「いいえ。まだまだですって。でも当然よ。数え切れないほどの戦を経験しなければお父さまのような戦士にはなれないんですもの。お母さまに認めてもらえるのもまだまだ先のことよ」
ティッカは、キヌアの言葉に不満げな色を見せ、「まあ、随分とお厳しい」と呟いたが、すぐに笑顔になって答えた。
「そう簡単にはお父上のようにはなれないんですものね。お父上のような立派な戦士になられるまで、私はキヌアさまを支えていきますわ!」
純粋にキヌアのことを気に掛けてくれるティッカの気持ちをありがたく受け取ってキヌアは大きく頷くと、
「さあ、私も早く汚れを流してしまいたいわ」
と言ってティッカの腕を掴んで河へと走り出す。走りながら丘の中腹に突っ立ったままのワスランを振り返り、キヌアは大声を張り上げた。
「ここから先は女だけの水浴び場よ。無粋な男はさっさと戻りなさい!」
戦場ではあれほど頼もしく勇壮であったキヌアは、戦場を離れればまだ若く奔放な娘に過ぎない。戦場で疲労を感じることなどまったくないワスランも、少女の気まぐれには形無しだ。
急激にひどい疲労と頭痛を覚えて、大男はとぼとぼと丘を上って行った。