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『地の女王』軍に先駆けて敵陣へと突進していくキヌア軍は、ひとりひとりの敵の姿がはっきりと目視できる位置までやってきて、速度を弛めた。遠方からは細い帯のようであった敵軍は、その後方にも幾層にも列を作って構えていた。そして奇妙なことに、彼らの身につける服の文様が微妙に異なっているのである。つまり単一の部族ではなく、幾つかの部族が寄り集まって成り立っている軍である。
しかし、ワスランが遠くから見極めたとおり、彼らを率いている大将はたったひとりであった。おそらく、あるひとつの部族が、同盟関係にある多数の部族から援軍を募ってキリスカチェに攻めこもうと考えたのであろう。しかし、そうまでしてキリスカチェを狙うことに利があるのだろうか。援軍を出した部族はこの戦いで多くの戦力を失えば、大きな打撃となるだろう。もしも勝利し、キリスカチェの土地を奪うことができたとしても、限られた土地を分け合えば、僅かなものにしかならない。連合を組んでまでこの土地を奪うことに、何の意味もないだろう。
キヌア軍の戦士たちは誰も、敵の様子を不審に思った。先頭を往く戦士たちは、いったん歩みを止め、一斉に後方にいるキヌアを振り返った。
戦士たちの様子に、キヌアはワスランを伴って軍の先頭にやってきて敵軍を見渡した。
ずらりと並ぶ敵の姿をひととおり見渡し、中心にいる敵将とその周囲の戦士に視線を固定すると、ワスランに呼びかける。
「……まさか、この連合を率いているのはフリカ族か」
ワスランはすぐには返事を返さなかった。何も答えないワスランをいぶかしく思い、キヌアは彼を振り返った。ワスランは、彼には珍しく驚きを隠せない様子で敵軍を見つめていた。
「信じられませんが、中心にいるのはフリカ族に間違いありません」
常に冷静を崩さないワスランの動揺した表情が、キヌアの不安を煽る。そのうえ、フリカという名は、キヌアにとって決して忘れることのできない不吉な名であった。
キヌアの最も敬愛する父の命を奪った一族。さほど大きくもなければ戦に長けているわけでもない。かつて周囲の強力な部族の顔色を窺いながら細々と暮らしてきたその部族は、湖の大部族とキリスカチェ族の間の雲行きが怪しくなると、真っ先にキリスカチェ族と手を結んだ。
数ある湖の部族の中でも辺境に暮らすフリカ族は、高原のキリスカチェと手を結んだほうが自分たちに有利であると踏んだのだ。ましてやその頃、キリスカチェはカリに率いられる無敵の一族だった。フリカの背後にキリスカチェがあり、さらにその背後にはキリスカチェと同盟を組む山岳の大部族ケチュアがある。湖の最も肥沃な土地に侵出することはできないにしても、強力な後ろ盾を得ることでフリカの土地だけは敵に侵入される危険が少なくなる。
そうして長年キリスカチェとともに侵入者と戦ったり、ときには遠征によって戦利品を獲たりしてきたフリカ族だったが、カリが年老いて若い頃のような勢いが無くなり、さらにはケチュアとの関係も脆くなってくると、突然キリスカチェを裏切った。それも正々堂々と攻めてきたのではなく、だまし討ちにしたのである。
フリカは、彼らに新しい首長が立ち、その祝宴に招待すると偽ってカリの家族を呼び寄せ、宴会の最中にカリと息子たちを討ち取ったのだ。
王妃と娘たちは、そのとき付き従っていた側近たちに助けられ、何とかキリスカチェに戻ることができた。
カリという柱を失い、危機に陥ったキリスカチェをフリカ族は執拗に狙ってきた。最早カリとその血を受け継ぐ男子がいなければ、キリスカチャは簡単に手に入るだろうと思ったのだろう。
しかし、カリの王妃とその娘はキリスカチェを死守した。さらに女王として立ったふたりに率いられたキリスカチェ軍は、カリが率いていた頃と変わらない勢いを取り戻し、裏切り者のフリカを徹底的に叩きのめしたのだ。よって、フリカ族は壊滅したのも同然と思われていた。
キヌアはそのとき、あまりにも幼く、身の回りで起きていることの意味を正しく理解することができなかった。ただ父と兄たちが亡くなったことと、一族が騒然としていたことしか印象に残っておらず、これらの出来事は、後になって語り部たちから学んだことである。
ただ、フリカ一族の身につける文様だけが、彼女の脳裏に鮮明に残っていた。彼らは蛇を守護神とし、二匹の大蛇が絡み合う文様を服の身頃に刺繍したり、身体にその刺青を施したりしているのだ。
見たところ、大規模な連合軍のなかで、フリカの戦士は僅かな数でしかない。しかし、その少数の部族がたくさんの同盟者を一手に率いているのである。湖で何が起きているのか、彼らが何故キリスカチェを狙ってきたのか、そして、壊滅したはずのフリカ族を率いる長が誰なのか、この場でいくら考えをめぐらせても理解することはできそうになかった。
しばし敵の様子を窺っていたワスランが、キヌアに向き直って言った。
「姫、敵が誰であれ、規模がどれだけであれ、率いているのはたったひとりです。当初の作戦どおり、われらは敵の心臓部を目指すのみ」
いつものように、活き活きとした光を取り戻したワスランの瞳を見て、キヌアは安堵した。
足を止めてキヌアの指示を待っていた背後の部下たちに合図を送るように、斧を持つ手を高く振り上げ、それを勢いよく振り下ろした。
ちょうど、キヌア軍の左右を護るように、後からやってきた『地の女王』軍が追いついた。
一丸となったキリスカチェ軍は、いよいよ正面から敵軍の壁に突進していった。




