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荒野に猛々しい声が響き渡る。背の低い草原に身を潜めていた動物が飛び起き、一斉に走り出す。鳥たちは一斉に飛び立つ。
一陣の風がその声をはるか彼方まで浚っていった。
やがて大地に地割れをつくらんとするように、大勢の戦士たちが力強くそれを踏みしめ駆け抜けていった。彼らの向かう先を示すように草が一斉になびく。追い風を受けて走り抜ける戦士たちの群れの先頭を往くのはまだ若い女戦士。彼女は捨て駒ではないかと思われるほど、後ろに従う戦士たちを大きく引き離してひとり先頭を走っていく。彼女に一歩遅れて頑健な体躯を持つ戦士が走り抜け、ふたりに無理やり引き摺られるような形で大勢の戦士が土ぼこりを立てて走っていった。
戦士たちはまるで一斉に獲物を追う野獣のようだ。何故ならその誰もが体に獣の皮を纏い、頭に剥製を被っているからだ。この大地で群れを成して獲物を追う猛獣はいない。穏やかな草食動物が群れを成して走っていくことはあるが。ゆえに彼らの姿はその地上で異彩を放っている。その集団に纏わり付くのはまさに狩りを生業とする猛獣の如き、血に飢えた殺気だ。
獣の皮で身体を覆っている戦士たちはもちろん、男女の判別が難しい。体つきといっても誰もがそれほど差異が無いからだ。
しかし先頭を往くのが若い女だということは遠目にもはっきりと分かる。何故かというと、彼女が他の戦士と違い、薄くなめした獣の皮を胸から尻の辺りに巻きつけただけの姿だからだ。まだ若く艶のある褐色の肌、赤みを帯びた頬や唇、纏う獣皮を押し上げている胸や尻、そこから露わになっているしなやかな四肢、そして細くいくつもに分けられて固く編みこまれた長い髪が背中で軽やかに弾む様は、彼女がうら若き娘であることを誰の目にも明らかにする。
肌を露出させれば必然、敵によって傷つけられる範囲が広くなる。敢えて防御をしないそのいでたちは、彼女が敵を傷つけても自ら傷を負うことは有り得ないという自信に満ちていることを証明するものだ。大勢の戦士が迷い無く彼女に従っていることから、その娘は若くても彼らを率いる立場、軍の大将なのであろう。大将であればしんがりを往くのが常であるのに、彼女は脇を護る側近も従えず、単身、真っ先に敵陣にその身を投じるつもりなのだ。その破天荒ぶりからも、自らの腕前に相当の自信を持っていることが窺える。
若い雌鹿がたくさんの猛獣を従えているかのようなその様は、異様どころか滑稽ですらある。
彼らの目標とする敵側の戦士たちは、相手の実力をある程度把握しているつもりであった。それなりの覚悟をもって彼らを迎え撃つ準備を整えていた。しかし、真っ先に姿を現した華奢な(もちろん、同じ年頃の娘たちに比べれば圧倒的に逞しいのだが)少女の姿に度肝を抜かれ、逆に戦意をくじかれてしまった。しかも少女は防護衣も身につけず、盾も持たず、まるで無防備な姿だ。すっかり馬鹿にされていると思わざるを得ない。
前衛の戦士たちは、敵を射程距離に捉えたらすぐさま槍を放つ予定だった。しかしその少女の姿を遠く目にした途端、みな槍を構えるのを忘れてしまったのだ。それどころか、呆れて武器を持つ手を下ろし、隣同士で囁き合って苦笑を浮かべた。「見ろ、やんちゃな娘を追いかける無様な獣連中だ」と。
前衛の戦士の間を縫って、陣の後方に控えていたはずの大将が姿を現した。大将でさえ、その様を目にした途端、緊張が緩み、武器を持つ手を下ろして鼻で嗤いながら言った。
「まあ、ゆっくりと迎えてやろうではないか」
大将の言葉で、軍全体からどっと笑いが起こった。
敵側の大将が姿を現す瞬間を、雌鹿の娘は待っていた。距離は自分の武器の射程範囲に入った。走りながら素早くそれを見極めると、速度を弛め前を向いたまま後方の部下たちに命令する。
「持ち上げよ!」
娘が走る速度を弛めたため、後方を追っていた戦士たちが呆気なく彼女に追いつく。上背のある戦士がふたり、速やかに彼女の両端に寄って屈み、それぞれの側の脚を抱えて娘を彼らの肩の上にまで担ぎ上げた。娘はずっと小脇に抱えていた細長い武器を担ぎ上げる。彼女を担ぐふたりの大男の歩調に合わせて視界は大きく上下するが、高い位置から狙う的は多少のブレがあっても格段に捉えやすい。
彼女が手にするのは、竹筒の尻に細い竹をしならせたものを取り付け、筒の中に短槍を籠めた『投槍器』である。筒の上に開けた穴にしならせた竹の先が僅かに出ている。それを押し込めば竹が戻る力に合わせて勢いよく短槍が飛び出す仕組みになっていた。
娘を抱えた男たちは全速力で敵陣へと突き進む。担ぎ上げられた娘が投槍器の狙いを敵大将へと定める。同時に、これまで彼女のすぐ後ろに従っていたあの頑健な戦士が後続の戦士たちに大声で呼びかけた。
「全軍左右へ!」
その合図で娘の後ろにいた全軍が、素早く左右に分かれ敵陣の両脇に攻め込む態勢となった。
無闇やたらと戦いを挑んだきたわけではない。すべては緻密な計算の上の襲撃であった。そのことに気付いて薄ら笑いを止めた敵大将の額には、すでに娘の放った短槍が突き立っていた。
大将が倒れ、すぐさま反撃に移るかと思われた敵の戦士たちは、その逆で一気に戦意をくじかれ呆然と佇むことしかできないでいた。やがて悲鳴とともに隊列が乱れ、逃げ道を探して右往左往し始めた。
しかし、左右に分かれた獣たちがすでに退路を絶っている。飛んで火に入る虫けらの如く、やすやすと獣たちの手に掛かって倒れていった。
勝敗が付いたのは、まさに瞬きひとつの間。そう言っても過言でないほどに呆気ないものだった。
『皇子クシ』より前のキヌアのエピソードです。
『皇子クシ』で書けなかった強烈な女戦士の姿を描きたくて創りました。
先が出来ていない状態での投稿ですので更新に時間が掛かると思いますが、よろしくお願いいたします。