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狐の嫁入り―千年の執念を飲み干して、私は神を飼い慣らす―  作者: もふおのしっぽ


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第6話:白昼夢の終わり

 食事が終わると、朔夜は私の手を取り、屋敷の奥へと連れ出した。



 重い木戸が開かれた先には、月の光さえ届かぬ、静寂に包まれた広大な庭が広がっていた。



「……ここ、は……?」



 そこは、見渡す限りの「白」だった。



 現世では九月にしか咲かないはずの蕎麦の花が、この幽世かくりよで、雪のように一面を埋め尽くしている。



 だが、その美しさはどこか不気味だった。

 花びらひとつ動かない。

 まるで時間が凍りついたかのような、死臭さえ漂う清浄さ。



 庭の奥へ進むにつれ、蕎麦の花の絨毯から、何かが突き出ていることに気づいた。



 最初は、ただの石柱かと思った。



 けれど、近づくにつれ、その輪郭が、あまりにも生々しい「人の形」をしていることに、私は息を呑んだ。



「……これ、は……」



 それは、無数の石像だった。



 苔むすこともなく、ただ白く、冷たく固まった、女の子の石の像。



 よく見れば、彼女たちは全員、私と同じ「白無垢」を纏っている。



 うつむき、顔を覆い、あるいは天を仰いで絶叫する間際のような姿で、固まっているのだ。そのどれもが、私と同じ、十八歳前後の若い女たちだった。



(あの、祠……)



 私の脳裏に、夢で見た村のお稲荷様の横にあった、名もなき無数の祠がフラッシュバックした。寄り添うように並んでいた、あの小さな祠の数と、この庭に立ち並ぶ石碑の数は、驚くほど一致していた。



 あそこは、彼女たちの「現世での墓標」だったのだ。



(じゃあ、この石像は……)



「気づいたかい、花耶」



 背後から、朔夜の冷ややかな声が、私の耳朶を打つ。彼は私の肩に顎を乗せ、逃がさないように抱きすくめると、愛おしげに石像のひとつを見つめた。




「彼女たちは、私の『気』に耐えられなかった。……千年の間、私の為に連れてこられた『花嫁』の成れの果てだ」




 朔夜の指が、天に向けて手を伸ばしたまま石化した女の、恐怖に歪んだ頬をなぞる。



 

 その女の顔は、どこか私に似ていた。




「この子は珍しく三日持った……。私の気は、人間には重すぎるのだ。愛されるほどに、彼女たちの身体は強張り、魂は削られ、最後には声も出せぬ石になった。……今でもこの世界を安定させるためだけの成れの果てだよ」



 その残酷な告白に、私の背筋を、ゾクゾクとした震えが駆け抜けた。



 恐怖ではない。



 それは、もっとおぞましく、けれど甘美な、歪んだ「満足感」。




(彼女たちは……私に、なれなかったんだ。だって私は、この成れの果てになどなっていない)



 朔夜の指が、今度は私の頬に触れる。その感触は、僅かに熱を帯びていた。



「……だが花耶、君は違う。君は私を、蜜のように飲み干した。私の激しい拍動にも、魂を灼くような熱にも、壊れることなく応えてくれた」




 朔夜の三日月の瞳が、歓喜に濡れて私を見つめる。



「お前こそが、千年の時を超えて現れた、私の、私だけの唯一の花嫁なのだ」



 その言葉を聞いた瞬間、私は自分の中から、最後の人間の心が崩れ落ちる音を聞いた。この庭の石像たちは、私の未来の姿ではない。



 私が唯一無二の「完成品」であることを証明するための、犠牲に過ぎない……と。



「……はい、朔夜様」



 私は震える腕で、自分を唯一と認めた怪異の首に、自らすがりつくその時だった。



 不意に、視界の端で、何かが動いた気がした。



(……え?)



 縋り付いた朔夜の肩越しに、石化した女の一像を、凝視する。



 絶叫する間際のような姿で固まった、その白無垢の女の、石の唇。



それが微かに、ほんの微かに、動いたように見えた。



『……に……げて……』



 声は聞こえない。けれど、その唇は確かにそう動いた気がした。




 その瞬間、脳内の、固く閉ざされていた記憶の扉が弾け飛んだ。




(……あの唇の、端を少しだけ歪める癖。……どこかで……)



 それは、古いアルバムの隅っこ、切り取られそうになりながらも残っていた、若かりし頃の父の隣で笑う、一人の少女。父の妹。セーラー服を身にまとった、私にとっては会ったこともない叔母さん。



 十八歳のお天気雨の日。

 「ちょっと蕎麦畑を見てくる」と言い残したまま、神隠しに遭ったように消えてしまった、村の禁忌。



 ((――秘密だよ、花耶。あの子もね、狐様に連れて行かれたんだってさ))



 いつか、村の誰かが耳元で囁いた、毒のような秘密。



「花耶? どうしたんだい、震えて」




 朔夜が私の背中をなぞる。その指先が、今は愛おしい蜜ではなく、這いずり回る毒虫のように感じられた。



(ああ……おばあちゃん。おばあちゃんは、知っていたんだ)



 おばあちゃんが、九月になるたびに私を外に出したがらなかった理由。



 「連れて行かれるよ」と、あの掠れた声で何度も、何度も、呪文のように繰り返していた理由。



 それは迷信なんかじゃない。おばあちゃんは、自分の娘を奪ったこの「白き庭」の怪物を、その悍ましい執念を、ずっと、ずっと恐れていたのだ。



 そして今、その娘の、姪である私が、同じ男の腕の中で「唯一無二」だと持ち上げられ、悦に浸っている。



(……私は何をしていた? この白昼夢のような世界で)



 朔夜の冷たい体温が、急に薄汚れた「捕食者の温度」に変わる。異界の蜜で溶けかけていた私の脳が、急速に、氷水を浴びせられたように冷えていく。



 視界を埋め尽くしていた美しい蕎麦の白が、今はただ、犠牲者たちの骨の色にしか見えない。



 (この男は私を手に入れるために、何をした?)



 おばあちゃんは。お父さん、お母さんは。

 今、どこにいるの!?



「……いいえ、何でもありません、朔夜様」



 私は彼の胸に顔を埋めたまま、奥歯を強く噛みしめた。腕の中に伝わる私の震えを、彼はきっと、歓喜によるものだと誤解し続けるだろう。



 けれど、今の私の頭は、生まれて初めてというほど、澄み渡るようにクリアだった。



 (そうだ……。あの行列に惹かれたのは、白無垢の花嫁への憧れなんかじゃない。ただ、村ではないどこかへ行きたかっただけ。)



 こんな、村以外の、墓標に囲まれた檻に捕らわれるためじゃない。



 ――逃げる。

 どうやって? 分からない。

 でも、ひとつだけ確かなことがある。



 (私はもう、この男を愛していない。)



「この雨は、我らの祝言を祝う、永遠の祝福だ」



 朔夜は満足げに笑うと、私を横抱きにした。



 石の花嫁たちの涙を、九月の天気雨がいつまでも洗い続けていた。

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