第4話:白き狂宴と異界の証
深い眠りから揺り起こされたとき、隣にいたはずの朔夜の熱はすでになかった。
代わりに室内を満たしていたのは、肺が凍りつくような冷気と、どこからか聞こえてくる低い読経のような、あるいは祝詞のような、幾重にも重なる声。
(身体が……軽い……)
起き上がろうとして、自分の指先を見た私は息を呑んだ。
襦袢の袖から覗く肌は、もはや生きた人間の血色を失っている。透き通るほどに白く、その奥で微かに、真珠のような淡い光が脈動していた。
ふと、壁に立てかけられた古びた鏡に視線をやる。
そこに映っていたのは、私であって私ではない「何か」だった。
瞳の奥には、朔夜と同じ、冷たくも美しい三日月の燐光が宿っている。彼と深く交わり、その「気」を注ぎ込まれたことで、私の魂は現世の器を突き破り、あちら側の存在へと変質してしまったのだ。
「……花耶様、お召し替えを。皆様がお待ちです」
影から音もなく現れた狐面の侍女に促され、私は導かれるままに奥座敷を後にした。
長い回廊の先。
開け放たれた大広間には、十数人もの「一族」が、息を潜めて座していた。
全員が狐の面を被り、一点の汚れもない白い装束を纏っている。だが、その静寂は神聖なものではなかった。
面の下から覗く瞳は、飢えた獣のようにぎらつき、私の肢体を舐めまわすように検分している。
時折、チロリと覗く紅い舌や、カチカチと歯を鳴らす音が聞こえ、背筋に冷たいものが走る。
「朔夜様。この娘が、本当に……我らの『糧』となる器なのですか」
列席していた老齢の男が、濁った声で問いかける。
その言葉に、一族の者たちが一斉に身を乗り出した。品定めをされる恐怖に足がすくみ、私は思わず後退りしようとする。
だが、その瞬間。背後から伸びてきた力強い腕が、私の逃げ場を完全に塞ぐように腰を抱き寄せた。
「案ずるな、花耶。お前は私だけのものだ」
耳元で囁かれた朔夜の声は、甘く、けれど拒絶を許さない鉄の響きを帯びていた。
彼が私のうなじに深く指を沈めた瞬間、身体の奥底から制御しきれない霊気が奔流となって溢れ出した。
それは目に見える白霧となって広間を覆い、むせ返るような蕎麦の花の香りが空間を支配する。
一族の者たちが一斉にどよめき、平伏した。
私の肌に刻まれた朔夜の「痕」が、呼応するように赤く光り、彼らの疑念を力でねじ伏せていく。
「疑う余地はあるまい」
朔夜は冷ややかに言い放ち、私の顎を指先で強引に持ち上げた。
「花耶は本物だ。千年前の種子をその身に宿し、私の熱を完全に受け入れた。この娘こそが、我が一族を永遠へと繋ぐ、唯一無二の花嫁である」
その支配に満ちた瞳に見つめられ、私は初めて理解した。
彼は私を救ったのではない。
この美しくも悍ましい異界という檻に、永遠に閉じ込めたのだ。
泥に埋まったかつての自分は、もうどこにもいない。
——いや、最初から存在しなかったのかもしれない。
私は震える手で、逃げられないことを知っている逞しい腕だけが、今の私の拠り所だった。




