狐の嫁入り 残り香の九月
ホラー書いてみました!
それはいつからだろうか。
物心ついたときには、毎年「天気雨」の日に見る景色があった。
祖母は決まって、縁側の戸を閉めながら言った。
「天気雨は狐の嫁入りだから、早く家に入りなさい。じゃないと、この村の女の子は連れていかれてしまうんだよ」
九月中旬。
蕎麦の花が、村の斜面を真っ白に染め上げる時期だ。
小さな、星のような白い花。
その可憐な絨毯に隠れるようにして、私は毎年、畑の隅にかがんでいた。
天気雨が降れば、彼らが来る。
遠くから聞こえる、しゃらり、しゃらりという鈴の音。
最初は最後尾の「稚児」の中に、君を見つけた。
泥遊びをした後のような、あどけない顔の男の子。
手を振ると、君は狐のお面を少しだけずらして、振り返してくれた。
それが、何年続いたのだろう。
年月が経つにつれ、私は大きくなり、かがむ体も重くなった。
けれど、行列の中の君もまた、少しずつ前へと進んでいった。
稚児から、提灯持ちへ。そして、供の衆へ。
少年だった君は、年を追うごとに凛々しく、青年の姿へと変わっていく。
毎年、君は私を見つけ、口元だけでにっこりと笑う。
その三日月のような笑みは、年々、どこか艶やかで、人間離れした美しさを帯びていった。
そして……18歳で迎えた、あのお天気雨。
蕎麦の花が激しい雨に打たれ、頭を垂れている。
私はずぶ濡れになりながら、生い茂る葉の陰で息を殺した。
行列の「二番目」。
花嫁のすぐ後ろ。
主役となる「婿」が歩くべき特等席に、君はいた。
けれど、そこに花嫁の姿はない。
先頭は空席のまま、泥に汚れることもなく、君は静かに歩を進める。
私と目が合った瞬間、君は今までで一番深く、愛おしそうに目を細めた。
その唇が、声もなく動く。
「ま、た、ね」
その直後だった。
緊急ニュース速報
テレビの画面が切り替わり、赤い文字が躍る。
「昨夜から続く大雨により、斜面が崩れ土石流が発生。××村が飲み込まれました。現在、行方不明者は……」
ヘリコプターからの映像には、昨日までそこにあったはずの蕎麦畑も、祖母の家も、すべてが茶色の泥に呑み込まれた光景が映し出されていた。
生存者の絶望的な数字が読み上げられる。
けれど、私は知っている。村の女の子たちが、どこへ行ったのかを。
土石流が村を襲う数時間前、君はあの行列の二番目にいた。
まるで「誰かの席」を空けているかのように。
君は、村が消える前に、死にゆく者の手を取って「あちら側」へ導く先導役だったのだ。
窓の外では、ニュースの喧騒をあざ笑うかのように、空が急に晴れ渡り、日が差してきた。
それなのに、パラパラと乾いた音を立てて雨が降り始める。
「お天気雨だ……」
ふと、玄関のチャイムが鳴った。
警察か、避難の知らせか。
震える手でドアを開けると、そこには誰もいない。
ただ、玄関先に一房だけ。
泥ひとつついていない、真っ白な蕎麦の花が落ちていた。
その花を手に取った瞬間、不意に視界が歪んだ。
ノイズのように響いていたテレビの音、アナウンサーの悲痛な声、泥の匂い。
それらが急速に遠のき、代わりに圧倒的な静寂が私を包み込む。
足元を見ると、泥にまみれたはずの私の足は、見たこともないほど清らかな白に変わっていた。
重たい雨合羽の代わりに、肩には真新しい絹の重み。
気づけば私は、あの日からずっと憧れていた「白無垢」を纏っていた。
私は、あの土石流で死んだのだ。
村の女の子が「連れていかれる」というのは、こういうことだったのだ。
視線を上げれば、目の前にはあの「二番目」にいた君が立っている。
稚児だったあの日から、君はずっと、私がこうして「嫁」として死に、隣に並ぶ日を待っていてくれた。
君はもう笑っていなかった。
ただ、深く、深く、私を迎え入れるように跪いている。
その背後には、しゃらり、と鈴を鳴らして進む白い行列。
私はもう、畑の隅で隠れる必要はない。
ニュースの向こう側で泥に埋まったのは、私が脱ぎ捨てた「生きていた頃の抜け殻」だ。
前を行く君が、ゆっくりと歩き出す。
私の手には、あの真っ白な蕎麦の花。




