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自分殺し

作者: 雉白書屋
掲載日:2025/10/20

「なぜ、あんなことをしたんだ……?」


 とある警察署の取調室。天井の白い蛍光灯の光が、無機質な灰色の壁と机の上に冷たく落ちている。

 机を挟んで向かい合う二人の男。そのうちの一人、年配の刑事は机の上で両手を組み、眉間に深い皺を寄せていた。

 対する男はうつむき、しばし沈黙していたが、やがて少し顔を上げ、ため息をついた。


「だから、もう何度も話したじゃないですか……」


「そう言うな。聴取ってのはそういうもんだ。いいからもう一度話せ」


「ですから……自殺しようと思ったんですよ」


 男は乾いた声で語り始めた。すでに何度も繰り返し口にしているだけに、言葉に淀みはなかった。


 人生に疲れ果てていた――。何年も親のすねをかじり、働きもせずにだらだらと過ごしていた。こんな現状を変えたい。変えなければならない。そう思うものの行動には移せず、またそのたびに、頭の中をミミズが這い回るような不快感に襲われた。時が容赦なく自分から若さと活力を奪い、何の役に立たない、ただの萎びた種子に変えていく。

 だが今度こそ決意した。自殺することを。

 とはいえ、人間そうやすやすと死ねるものではない。少なくとも、自分はそうだ。包丁を手首に当てても震えて押し込めない。高所から飛び降りようとしても足がすくむ。駅のホームから電車に飛び込もうとては、何度ただ見送ったことか。

 いっそ人を殺し、死刑になってやろうか。そんな考えが自然と頭に浮かんだ。社会への恨みもあったし、人間にも散々嫌な思いをさせられてきた。殺人への興味もなくはない。

 だが同時に抵抗もあった。自分は良くも悪くも凡人なのだ。相手が悪人なら良心の呵責もないかもしれないが、探す気力もなければ返り討ちに遭って怪我をしても面白くない。

 誰でもいいから殺そうかという気になったが、それはあまりにも使い古された理由だ。「またか」と世間に呆れられるだけ。自分がみじめでつまらない人間に思えて空しくなる。また、この期に及んで人からどう思われるか気にしている自分にうんざりした。


「でも、結局殺したんだな。しかも、子供を」


 刑事は語気を強めた。男は小さく頷き、淡々と続けた。


 とりあえず包丁を隠し持ち、夜の街をさまよった。ひょっとしたら、強盗にでも遭遇するかもしれない。うまいこと殺し合いに持っていき、殺し、そして死んでやるのだ。きっと、英雄扱いされるだろう。

 だが都合よくそんな事件に出くわすはずもなく、ただ「死にたい」と呟きながら歩くばかりだった。

 しかしそんなとき、見つけた。


「子供を、か」


「ええ、子供時代の自分をね……」


 取調室はしんと静まり返った。刑事は一度目を閉じ、大きく息を吐いた。


「ああ。子供時代の自分に似ていたから殺したってわけだな」


「だから違いますよ。似てたんじゃない。あれは、子供時代の僕そのものでした」


「ああ、そうだったな。“自分はタイムスリップしてきた”って話だったか?」


 男は静かに頷いた。刑事は小さく舌打ちし、床に視線を落とすと、指で机をとんとん叩いた。しばし沈黙したのち、顔を上げて「よし」と呟いた。


「いいだろう……。ひとまずそういうことにしておこう。で、お前はその自分を見つけて、まずは後をつけたんだな?」


「はい。最初は確信が持てませんでしたから。まあ、そう時間はかかりませんでしたけどね。顔も服も、何もかもが昔の自分そのものでしたから」


「それで、なぜ殺したんだ?」


「だから、自殺したかったんですよ。わかるでしょ? 過去の自分を殺したら現在の自分――つまり、僕は消えてなくなる。そう思ったんです」


「ふん。じゃあ、なぜお前はここにいる? あの子は確かに死んだんだぞ」


「僕にもわかりませんよ……。過去を変えても、未来には影響しないってことじゃないですか? 別の未来、つまり僕が幼少期に殺された世界に分岐したのかもしれません。まあ、その辺は頭のいい学者さんにでも聞いてくださいよ」


「お前がやったことだろう! 他人事みたいに言うな!」


 刑事が机を叩いた。男は反射的に顔を逸らし、しばらく床を見つめた。だがやがて、小さく笑い始めた。


「ふふっ、自分事ですよ。だって、自分で自分を殺したんだから。ははは!」


 刑事は深く息を吐き、背もたれに体を預けた。


「もううんざりだ。タイムスリップだの、過去の自分だの、タイムマシンだの……馬鹿馬鹿しい」


「いや、だから違いますって。タイムマシンじゃありませんよ。歩いてたら偶然見つけたんです。あれはなんていうか……空間のひずみ? みたいなものを。そこに入ってみたら過去に、つまりこの世界に来られたんです。夜だったのに昼間だし、ちょっと歩いたら、ずっと昔に取り壊されたはずの家が何軒も建っていて、すぐに現在とは違うと気づきましたよ。それで、とりあえず自分の家に行くことにしたんです。そしたら見つけたんですよ。子供の頃の自分をね」


「ああ、そうだったな。だが! そんなもの全部お前の妄想に――」


「先輩、ちょっと」


 突然、取調室のドアが開き、若い刑事が顔を出した。年配の刑事は不機嫌そうに立ち上がり、部屋を出た。


「まったく……なんだ? これからってときに」


「その、ありました……」


「なにが?」


「奴の言ってた“空間のひずみ”みたいなものが……」


「は?」


「本当にあったんですよ……。この町の小山にある祠。その近くの茂みの奥にあったんですよ! 試しに入ってみたら繋がってたんです……。風景は似てるんですけど、建物も店もまるで違ってて。携帯電話の形も今とは全然違って、それに駅前に大きなショッピングモールがあって」


「落ち着け! まさか、そこが未来だなんて言うつもりか?」


「たぶん……それに」


「いい、これ以上空想なんか聞きたくない。こっちまで頭がおかしくなりそうだ……」


「いえ、違うんです。鑑定の結果が出たんです。被害者のDNAと、あの男のDNA……完全に一致しました」


「じゃあ、まさか本当に……」


「ええ……それでどうします?」


 刑事は黙り込んだ。未来と過去を自由に行き来できて、しかもそこに因果関係がないとすれば……。


「裁判でこれが公になったら、世界がひっくり返る……。あいつには留置所で“自殺”してもらうしかない。未来ではどうか知らんが、この時代じゃよくあることだからな……」

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