死神が教えてくれたこと
「あぁ、やっと終われる……」
都内のとある高層ビルの屋上に一人の青年がスーツ姿で立っていた。
目にかかるくらいの長さの黒髪に、明らかに栄養が足りてない細くて白い腕。
死んだ魚のような目で猫背で前傾になりながら歩く姿は現世に彷徨う幽霊のようだった。
「……思ったより高いな……」
青年がそっと身を乗り出して下を眺めると、道を歩く人々が蟻の群れの様に小さく見える。
ふと脳内に某アニメのセリフがよぎるが、これからすることを思うと自分の方がゴミの様に感じ青年は下を向きながらそっと失笑する。
「……何もいいことが無い人生だったな」
青年は雲一つない青空を見上げながら自分の人生を振り返る。
(世界は僕が死のうとしてるのに、涙も流してくれないんだね……)
この青年、椿野歩の人生は正に不幸の連続だった。
小学校の頃に両親を亡くしたことから始まり、学校でも引き取られた叔父の家でも暴力を振るわれ続ける毎日。
社会人になってからも、上司からのパワハラに毎日の長時間労働。
元々少ない給料も叔父夫婦に半分以上持っていかれ、貯金する余裕もなく極貧生活を送っていた。
辛い思い出しかない人生を振り返ると、歩はビルの縁へ足をかける。
誰もビルの屋上にいる歩に気付いていないようで地上を行きかう人々はいつも通りである。
そんな街の人々を見ながら、歩は重心を前方に傾けていく。
(……もし生まれ変われるなら、次は幸せな人生を送りたいな……)
「そんなつまんない人生で、よく終われるね」
歩がビルの屋上から飛び下りようとした瞬間、どこかから少女の声が聞こえる。
「え?」
歩は飛び下りようと前に掛けていた体重を後ろに下げて振り返る。
しかしそこには誰もおらず、虚しい風が通り抜ける。
誰かの声が聞こえるとすれば背後からしかないが、そこに誰も立っていなかったので歩は首を傾げる。
「……幻聴か?」
声のことが気になりながらも、歩はもう一度飛び下りようとして体をビルの外に再び向ける。
「やぁ」
「うわ!」
体を向けると正面に少女の姿があり、急に正面に現れたので歩は腰を抜かして後退る。
「……あなたは……?」
突然歩の前に現れた少女は、この世の物とは思えないほど妖艶な空気を纏っており思わず見とれてしまうがそれよりも目を引かれる所があった。
(……と、飛んでる!)
突然現れたことに先に驚いてしまったがそもそも歩の正面は空中であり、目の前に人がいることは有り得ない。
そのことに気付いて彼女の足元を見ると、空中に浮いていた。
死の恐怖から幻覚を見ているのかと思ったが、少女の手が歩の頬に触れたことでそれは否定された。
「初めまして、椿野歩君」
少女は妖艶な笑みを浮かべながら自己紹介を始めた。
「えーと、私は……アネモネそう、アネモネ。死神だよ!」
「……死神?」
アネモネの言う通り、彼女が人間ではないのは確かなのだが死神というのはいまいちピンと来なかった。
切れ長の目に海外のモデルのような鼻と顔立ち、白く輝く長い髪、その全てから妖艶さと同時にどこか冷徹な雰囲気を感じる。
そこだけ見れば死神と言われても納得できるのだが、彼女の格好はへそや足を大胆に出した黒い服を着ており背中からは黒い翼が生えている。
どちらかというとアネモネの見た目は、死神と言うより悪魔のようであった。
「そう、死神」
いまいち状況が飲み込めないが、不敵な笑みを浮かべるアネモネに視線を向けて歩は質問をする。
「……それで、死神様が僕に何の用なの?」
歩が質問するとアネモネが何かを思い出した様にはっとする。
「あぁ、そうそう用事を忘れる所だった……君には私の仕事を手伝ってもらいたいんだ!」
アネモネはそう言うと歩に手を差し出す。
白い髪をたなびかせ、不敵に笑うその姿はとても美しく思わず手を取りそうになる。
しかし歩は何とか思いとどまり、詳しい説明を聞くことにする。
「……仕事って? まさか人殺しをしろって言うんじゃないよね」
「ぷっ、人殺しなんてさせないよ」
歩が質問するとアネモネは噴き出して死神の仕事について話始めた。
「死神の仕事はね……」
◇
次の日
歩はアネモネに連れられて郊外にある病院に来ていた。
「ほんとに誰にも見えて無いんだね」
二人は病院の中を歩いているがすれ違う人々は歩はともかく、羽をしまっているとは言え奇抜な格好をしているアネモネにすら気付いていない。
「はは、すごいでしょその首輪」
歩の首には切れた鎖が繋がっている黒い首輪が付いている。
「本来は亡者の魂を運ぶ時に使うものなんだけど……生きてる人間に使うと一時的に霊体化させられるんだよね」
「ビルの屋上で勝手に首輪を付けられた時は何事かと思ったよ」
そんな事を話しているとアネモネが、入院患者の個室の前で足を止める。
「着いたよ、気持ちの準備は出来てる?」
アネモネに聞かれて歩は生唾を飲み込む。
「……いいよ」
歩が頷くとアネモネはそっと微笑んで扉をすり抜けて中に入っていった。
壁をすり抜けるのに慣れてない歩は、深呼吸をして目を瞑りながら部屋に入っていく。
「やぁ、初めまして!」
部屋には十歳前後くらいの男の子がベッドに横たわっていた。
短髪黒髪でつり目、一見するとどこにでも居るやんちゃな小学生に見える。
しかしよく見ると、男の子の顔は青白く少し見えた腕も爪楊枝の様に細かった。
歩が男の子を眺めているとアネモネが声を掛ける。
「うわ! だ、誰!」
声を掛けられると男の子は一瞬飛び上がって声を上げる。
「しー、私はアネモネこっちは……」
アネモネは顔の前で人差し指を立てながら男の子にそう言った後、歩の方に視線を向ける。
「あっ、僕は椿野歩……よろしくね」
男の子は突然入ってきた不審な人物に警戒している。
歩はどうにかして警戒を解いてもらおうと、部屋を見渡す。
(……あれは)
壁に着いていた男の子のネームプレートが目に留まる。
「えーと、一旦僕たちの話を聞いてくれるかな……雪ノ下ヒロト君」
突然自分の名前を呼ばれベッドに横になっていた男の子、雪ノ下ヒロトは目を丸くする。
「な、何で俺の名前知ってんだよ! 幽霊のくせに!」
ヒロトは同様しながら歩に聞き返す。
(……幽霊って……まあいいや)
「名前はネームプレートを見ただけだよ。それよりも話を……」
歩が事情をヒロトに説明しようとするが、自分でも状況をよく分かってない事を思い出してアネモネに視線を向ける。
「どうしたの?」
急に視線を向けられアネモネが首を傾げる。
「……いや、説明しようと思ったんだけど……僕もいまいち分かってないなって……」
「あー、そういうことね」
そう言うとアネモネはヒロトに近づいていく。
「ヒロト君、私たちはね君と話をしに来たんだよ」
「は?」
ただ話をしに来たというアネモネの言葉にヒロトは困惑している。
「私たちはねぇ、いつもこの病室で退屈そうにしてる君をずっと見てたんだ」
困惑しているヒロトのことなど気にせずアネモネは話を続ける。
「それで君があまりにも退屈そうだから話相手になってあげようと思って、こうしてやって来たんだよ」
アネモネが笑顔でヒロトに話をするが、それを歩は暗い表情で見つめる。
(……やっぱりアネモネは肝心な所は伝えないか……)
歩が昨日アネモネから伝えられた死神の仕事は二つである。
一つは死んだ人間の魂をあの世へと送り届けること。
そしてもう一つは、死が近い不幸な人間の元へ訪れ後悔を残さないようにさせることである。
どうやら後悔を残して人が死ぬと怨念や呪いとなって現世に残ることがあるらしく、そうなると対処が非常に面倒なのだそうだ。
そこで病気や自殺志願者などある程度死ぬことが予測できる人間の元へ行き、後悔や未練を残させない様にするらしい。
近年自殺者の増加している事が原因でその仕事が増えてきているらしく、アネモネは自分の仕事が楽になるように協力者を探しておりちょうど自殺しそうだった歩に声を掛けたらしい。
(……アネモネが連れてきたってことは……ヒロト君の寿命は……)
当然ここに来たという事はヒロトの人生は残り僅かであるが、アネモネは説明の中で一切そのことについて話さなかった。
「私達がここに来た理由は分かってくれたかな?」
「理由は分かったけど……あんた達は一体何者なの?」
ヒロトは一応納得したようだが、まだ歩達を警戒しているようだった。
「私はね……神様だよ、そっちの歩君は人間だけどね」
アネモネにそう言われ、ヒロトは歩の方を向く。
「噓だ! 人間ならそんなことにならないもん」
歩は気付いていなかったが、病室のカーテンが少し風で揺れており歩の右手を繰り返しすり抜けていた。
「僕は人間だよ、今はアネモネから貰ったこの首輪で幽霊みたいになってるけどね……」
ヒロトは歩の言葉を信じるかどうか迷っている様子で黙ってしまった。
静まり返っていた部屋に扉をノックする音が響き渡る。
「ヒロト君、診察の時間よ」
診察に来た医者と看護師が扉を開けようとする。
「うわ、ちょ!」
突然アネモネが歩の手を引っ張る。
「ヒロト君、また明日も来るからね」
そう言うとアネモネは歩を抱えて、窓から外へと飛び立った。
「何だったんだあいつら……」
医者に声を掛けられるまでヒロトは二人が飛び立った方を見つめていた。
◇
それから毎日、歩はヒロトの病室を訪れた。
アネモネは他の仕事があるとかで、二日に一回のペースで来ていた。
最初は警戒して何も話さなっかったヒロトだったが、三日目くらいから徐々に口を開くようになり歩とお互いに好きな食べ物や趣味の話をするようになっていた。
そして初めて会った日から一週間が経つと歩はある疑問を抱いていた。
(一週間経つけどヒロト君の両親や家族が一度も来てない……)
基本的に歩達は一日のほとんどをヒロトの部屋で過ごしている。
しかし部屋を訪れるのは診察に来る医者と看護師だけで、見舞いに来る人間は誰もいなっかった。
「ねぇヒロト君、ヒロト君のご両親って何してる人なの?」
歩が質問すると、ヒロトは表情を暗くして下を向く。
「……父さんは……車の会社の社長してる……お母さんは……よく知らない」
ヒロトの言葉と苗字から、歩は両親に心当たりができた。
(恐らくヒロト君の両親は……)
「そうか、すごいお父さんなんだね」
「……うん、でも俺には興味ないみたい……」
ヒロトの落ち込んだ表情を見て歩はあることを決心する。
それからしばらく話をした後、歩は病室を出てとある場所へ向かった。
「まさかここに戻ってくるなんてね……」
歩が来たのは自殺しようとしていた高層ビルであり、勤めていた会社でもあった。
そのビルは『雪ノ下モータース』の本社であり、社長はヒロトの父親である。
歩はビルの中に入ると社長室を目指して歩いていく。
「やっぱり、まだいた」
社長室には四十代くらいの男性が座っており、何か作業をしている。
オールバックで高級そうなスーツを着こなすその男こそヒロトの父親であった。
霊体化している為歩は社長からは見えず、しばらくの間社長の様子を観察する。
(……そろそろか)
社長はスマホを取り出してどこかに連絡すると、荷物を持って部屋を出ていった。
歩も後を付けて部屋を出ると、社長はエレベーターに乗りロビーへと向かった。
ロビーからビルの外に出ると、高級そうな車が止まっており運転手が扉を開ける。
(何とか乗れた)
後を付けていた歩は社長と同じタイミングで車に乗り込み、そのまま車は発進した。
しばらくして車は広い豪邸の前で止まった。
歩は車を降りると家の中へと入り、ヒロトの部屋を探す。
部屋はすぐに見つかったが、部屋の様子に歩は驚愕する。
「……なんだ、この部屋……」
ヒロトの部屋には段ボールや使っていない家電などが無造作に置かれている。
完全に荷物置きとされていたが、子供用の学習机とヒロトの名前が書かれたノートが引き出しに入っていたことで辛うじてヒロトの部屋と分かる事ができた。
歩はしばらくヒロトの家の様子を見ていたが、徐々に怒りと虚しさがこみ上げてくる。
年の離れた兄も両親も誰もヒロトのことを離さないどころか、食事は別々に行い会話など一つもない。
父親は仕事や取引先との電話ばかりであり、母親はブランド物のバックや服を買いあさり夫の金で他の男と不倫しているようだった。
ヒロトの兄も自分の部屋に籠り勉強をしており、家族というよりは同じ家に住んでいるだけの他人のようだった。
(ヒロト君……君は……)
次の日までいるつもりだったが、この家の空気に耐えられず歩は家を出た。
◇
次の日、歩が病室に行くとヒロトはボーっと窓の外を眺めていた。
「おはよう、ヒロト君」
「あ、歩。やっと来た!」
歩達と話すことが唯一の楽しみのヒロトは、歩を見た瞬間顔を明るくする。
歩は病室に置いてある椅子に座ると、真剣な顔で話をする。
「……ヒロト君、実は昨日君の家に行ったんだ……」
歩の言葉を聞いてヒロトの表情が暗くなる。
「行ったんだ……なら分かっただろ、俺は家族に必要とされてない……いや家族どころか誰からも必要とされて無いんだ!」
家族のことを思い出して、ヒロトの語気が強くなる。
誰からも必要とされて無いというヒロトの言葉で、歩は自分の過去を思い出す。
「……ヒロト君、君の気持ちはよくわかるよ……」
「お前に分かるわけないだろ!」
ヒロトが声を荒げるが歩は落ち着いた様子で話を続ける。
「ヒロト君……僕はね……」
それから歩は自分のことについて話をした。
幼い頃に両親を亡くしたこと。
引き取られた叔父の家で日常的に暴力を受けていたこと。
学校でもいじめられ何処にも居場所が無かったこと。
大人になってからも会社で嫌がらせや長時間労働をさせられたこと。
そして全てが嫌になり、自殺をしようとしたこと。
ヒロトは最初は聞く気が無い様子だったが徐々に耳を傾け、黙って歩の話を聞いていた。
「……だから、誰からも必要とされて無いっていう君の気持ちは痛いほどわかるんだ」
「……だからって、理解された所で必要とされてないことに変わらないじゃん……」
二人はしばらくの間沈黙する。
「その気持ちを持っているのが、自分だけじゃないって分かっただけで十分じゃない」
気が付くとアネモネが窓から病室に入って来ていた。
「……アネモネ」
「世界のどこかに自分と同じ思いを抱えてる人がいるってだけで、人は孤独じゃなくなるんじゃない……特にその人が目の前に居たらさ」
そう言うアネモネはいつもと違う穏やかな表情をしていた。
「そうだよヒロト君、僕は君に生きていて欲しいと思ってるよ」
「……俺、生きてていいのかな?」
ヒロトが目を潤ませて聞いてくる。
「うん、君は生きてていいんだよ」
「当たり前じゃん、この世に生きてちゃいけない人間なんていないんだから」
二人がそう言うとヒロトは今まで見せたことのない笑顔で笑った。
◇
その五日後、ヒロトは病状が一気に悪化し亡くなった。
しかし亡くなるまでの五日間は、ヒロトにとって最も充実した時間だった。
その五日間、常にヒロトは笑っており友達と過ごす時間は空っぽだった心を満たしてくれた。
そして人生を終える瞬間まで傍にいてくれる友人ができた事は、ヒロトにとって何よりも嬉しいことだった。
ヒロトの死を看取った歩は自殺しようとしていたビルの屋上に来ていた。
「これからどうするんだい?」
「アネモネ……」
街を眺めていた所にアネモネが声を掛けてくる。
「もうそろそろ首輪の効果が切れて、霊体化が解ける」
歩に付けられていた首輪は今にも見えなくなりそうなほど透けていた。
「そしたらどうするの、また苦しい日常に戻る? それとも前しようとした様にそこから飛び降りる?」
そう聞いてくるアネモネの声はいつもよりどこか寂しげだった。
「そうだね……」
歩はそっと空を見上げる。
「ねぇアネモネ、どうしてあの日僕を助けたんだい?」
「質問の答えになってないよ」
アネモネはそっと首を傾げる。
「いいから答えてくれないかな」
「そうだね……君が死のうとしてるのに、どこか幸せを望んでいる顔をしてたからかな」
アネモネの答えを聞いて、歩はそっと微笑む。
「……そうか聞けてよかった。僕決めたよ」
歩は振り返ってアネモネの目を真っ直ぐ見つめる。
「アネモネ! 僕を死神にしてくれないか」
「え?」
歩の言葉にアネモネが困惑する。
「ヒロト君みたいな人たちを一人でも多く救いたいんだ。だって言ってたでしょ、最近後悔を残して死ぬ人が増えているって」
「確かに言ったけど……」
アネモネは断ろうとするが、歩の目を見てそれを辞める。
「ああ、もう分かったよ、天界に連れてってあげるよ。でもその後は歩君次第だからね!」
「ありがとう、アネモネ」
歩に感謝されてアネモネは顔を赤くする。
「分かったから、早く行くよ!」
そして二人は天界へと向かって行くのだった。




