9,
うぅむ。
吾輩、どうやら気に入られてしまったらしい。
無理せぬ範囲で動くことを許可すると、ヴィスは吾輩と共に行動したがるようになった。
薬を煎じていれば興味深そうに側でじぃっと眺めているし、見られてばかり居てはムズムズするので「やってみるか?」と問えば、嬉々として手伝うようになった。
庭先に出て動物達に餌をやりながら使いを頼んでいると、気付けばロッキングチェアに座って剣を振っていることもある。
しかしその視線は時折こちらに向いていて、純粋な好奇心と抱いた疑問や違和感を暴こうとしている。
そんな様子で常に側に居ようとするものだから、少し一人になるべく畑へと逃げてきた。
裏庭の畑に来ることは許しておらず、ヴィスは耳を下げた犬のようにしょんぼりとしていた。
ヴィスがこの畑を見てもすぐ気付くことはないだろうが、植物や野菜の栽培時期に詳しい者が見れば卒倒するほど奇妙な畑のため、極力見られるわけにはいかないのだ。
何かあった時の見張りも兼ねて、リンデンを置いていくと言うと、一人と一匹から猛抗議された。
あぁもう知らぬ、仲良う待っておれ!と、カッと目を見開いて一人と一匹を注視し、目を合わせながら裏口を開け、そして視線を逸らさぬまま後退して扉を閉めた。
熊と遭遇した時の対処法のようではないか。
あやつらは猛獣の類か何かか?と一人で笑ってしまう。
「……あまり他者に介入せぬと決めていたというのにな」
一人ごちりながら雑草をえっさほいさと引き抜く。
少し八つ当たり気味にブチブチと抜いて、残ってしまった根を見て溜息を吐き、結局丁寧に土を掘り返していく。
それもこれも、あの男……ヴィスが悪いのだ。
あやつ、絶対にいいところのお坊ちゃんだというのに、礼儀正しく感謝や謝罪の言葉を厭わない。
この国の貴族達は、王侯貴族ではない人間など下賎な生き物だと思う者達も多いというのに、そんな様子は一ミリも感じられない。
貴族というのは猫の被り物と二枚の舌を常備させているような恐ろしい者達だから、あれも見せかけだけかもしれないが。
仮にそう演じているのであれば、超人気の劇場や舞台で花形にも抜擢される演技力だろう。
横暴で厚顔無恥な男だったなら、薬師と患者として距離を保ち、突き放してしまえるというのに。
あの「今からは何をするの?」と輝く深い紫の瞳を見て、断れる者が居るのなら是非とも教示願いたい。
何せ顔がいい。顔がよすぎるのだ。
しかも美形のわんこ系(間違いなく血統書付き)である。
そこは自身の顔面ポテンシャルを熟知しているのか、小賢しいことに純粋無垢そうであったり、断り辛くさせるような子犬のようであったりと、その場その場でコロコロと表情を変えるのだ。
顔の使い方が非常に上手い……そこは貴族らしいのかもしれんな。
そうは言っても、吾輩は見目に騙されたり左右されることはないので適当にあしらっているが、その様にどんどん磨きがかかっているように思う。
空恐ろしいことこの上ない。
「何の因果だというのだ、全く」
金の髪、もしくはそれに近しい色の髪色を持つ者は、王族またはその血を引く、上位貴族に多い髪色である。
市井でもくすんだ金色の髪が居ないわけではないが、王族や上位貴族の愛妾や、お手付きにあった女が産んだ子や子孫だろうと言われる。
過去、吾輩はヴィスのような明るい金の髪色の者に酷い目に合わされたことがあり、その結果、こうして人と関わることなく山奥でひっそりと生活をしている。
リンデンに何と言われても、倒れているヴィスを見なかったふりをすることも出来た。
――だというのに。
「おぉ、カモミールやフェンネルは頃合だな。
バーベインは……まだか。
ケシもそろそろ良さそうだ。
空いた所に、エニシダとスベリヒユ……あとはディルでも植えておくか」
吾輩はほくほく顔で立派に育った薬草達を摘み、籠に入れていく。
ふと山の向こうで、雄叫びのような獰猛な声が轟いた。
近くもないが、そう遠くもない所に魔獣が居るらしい。
魔獣はただの動物以上に凶暴で、何より己の魔力を使って攻撃してくる。
火を吐くもの、雷を穿つもの、魔獣の種類も攻撃手段も様々だが、内包した魔力を発散させたいのか、一様に凶暴なのだ。
人間も動物も魔力を保有しているのだが、その活かし方を知らず産まれてくる。
そして自身の魔力を活用する術を知らないままでは、一生その力を使うことが出来ずに終わるのだ。
だが、魔力の存在に気付いた人間は、素質・素養が少ない者でも魔力を引き出す方法がないか模索し続け、そうして生み出されたのが魔術である。
魔術の発展のおかげで、人間は魔力を発現する知識と技術を身に付け、力を発揮することが出来るようになった。
しかし、魔獣との力の差は大きい。
魔獣には、知識や技術を身に付ける知性がない。
しかし奴らは人間や動物と違って、先天的に己に眠る魔力の存在とその使い方を知り得ているのだ。
後天的に身に付ける魔術とは違い、根本的な魔力の理解と引き出し方が異なるそれは、最早魔術ではなく魔法に違いなかった。
魔獣は人間よりも身体能力が勝り、猛獣のような牙や爪を持ちながら、桁違いの魔力量で本能のままに力を振るい襲ってくる。
近距離攻撃も遠距離攻撃も関係なしに躊躇いなく暴れ、その圧倒的な強さで己以外の生き物を蹂躙していく。
だからこそ、人間はそれに数と知略で対抗した。
国と民を守るため、各国それぞれ魔術師や魔剣士を育てているのだ。
――それが本当に、国と民を守る力であるかは……また別問題であるが。
「何にしても、魔獣に近くを彷徨かれては堪らんな。
仕方がない……久々に処理してくるかね」
吾輩は作業を終えて一度帰宅し、裏口を開いて家の中に摘んだ薬草の籠を置くと、再び山の奥へと足を向けた。
帰る頃には夜も更けていた。
小さくお腹がくぅと鳴る。
ヴィスやリンデンも食事はまだだろう。
少し申し訳ないことをしたなと思いながら裏口を開け、足元に置いていた籠を持ち上げた時、
「エルミルシェ殿!?」
という慌てた声と、バタバタと近付いてくる音がした。
「おい、怪我人がそう慌てるでないわ」
「慌てるに決まっているじゃないか!
こんな時間まで何をしていたんだい!?
危ないだろう!?」
温厚だと思っていた男が吾輩の両肩を掴み、凄い剣幕で怒っていた。
その背に、小さく爆ぜるように散る紅と、深く広大な青のオーラが立ち込めるほどに。
流石の吾輩も驚いて、籠を手にしたまま固まってしまった。
「……なに?」
「エルミルシェ殿が普通の子供ではないのだろうと、分かってはいる。
けれど、そう分かっていたとしても、こんな夜遅くまで外に一人で居るのは……心配、するだろう」
「……しんぱい」
「そうだよ、心配した。
本当に……無事で良かった」
目線を合わせるように屈み、吾輩の両肩を掴んだヴィスの手は、微かに震えていた。
安心からか、くしゃりと歪んだ笑顔を向けられ、吾輩は言葉に詰まった。
あぁ……全く。
これが演技であったなら、どれほど良かっただろうか。
近くに寄ってきたリンデンにも「心配したよね」と話しかけているヴィスを見て、ぽつりと言葉を零した。
「お主はいつもそうなのか……?」
「……?何か言ったかい?」
「……いいや、なんでもない。
あーー腹が減ったな!飯の支度をしよう」
「エルミルシェ殿、もうちょっと言葉を上品に」
「時間が遅いからな。
サッと、パッと、出来るものにしよう!
となれば、やはり麺か?」
ヴィスを華麗にスルーしながら、吾輩はキッチンへと向かっていく。
そんな彼は後ろからパタパタと追ってきた。
「無視?ねぇ、僕の話を聞いて?」
「トマトとチーズと卵白を使ってスパゲティでも作るか。
卵黄は明日のデザート用に、プリンにでもしておこう」
「うん、凄く美味しそうだけどさ。
無視しないでってば、ねぇ?」
「君のご主人様、都合が悪いとすぐ無視をするんだけど」などと、リンデンに文句を言ってむくれつつも、ヴィスは吾輩の後ろを付いてくる。
リンデンは必死で鳴いて、ヴィスを励ましているようだ。
……伝わってはいないだろうが。
ヴィスに座って待っているように言い、吾輩はキッチンで料理をする。
ヴィスとリンデンがテーブルでじゃれているのを見ながら、スパゲティを茹で、トマトソースを作り、卵白をメレンゲにする。
カシャカシャと泡立て器で卵白を混ぜていると、ふと先程のヴィスの言葉を思い出した。
『心配、するだろう』
歪みそうになる顔にぐっと力を入れ、吾輩は口角を上げる。
そうしなければ、不意打ちのせいで潤んだ雫が、ぽろりと溢れてしまいそうだった。