8,sideヴィス
そうして僕はエルミルシェ殿に拾われ、救ってもらった。
命の恩人であるエルミルシェ殿は、このバルメクノ山脈の山奥に一人で暮らしているとは思えない、小さく幼い少女だった。
身長で推定するなら十歳前後の子供だが、エルミルシェ殿を知れば知るほど、彼女のことは不可思議としか言い表せなかった。
まずは見た目だが、深い海の底のような美しく艶のある濃藍色の髪で、瞳は透明度の高い琥珀のように煌めく、大層美しく可愛らしい美少女だ。
僕は多くの貴族令嬢を見てきたけれど、美貌というものだけを取り上げて言うのであれば、彼女はこれまで見てきた中でも群を抜いている。
国内の貴族で近しい顔立ちが居ないかと考えてはみたが、これほどまでに美しい遺伝子を持つ家系であれば、見ただけですぐに分かるだろう。
だから僕は、訳ありで隣国か何処かから逃げてきたご令嬢なのだろうかと思ったのだ。
だが、すぐにその言葉遣いで首を傾げることとなる。
エルミルシェ殿は美しく可愛らしい見た目から想像出来ないような、老師を彷彿とさせる話し方だった。
『エルミルシェ嬢』と呼ばれるのを嫌がり、自ら『殿の方が性に合う』などと言う令嬢はそう居ないだろう。
年齢にそぐわない達観した物言いと、口の悪さ。
そして何より、あの顔から『吾輩は』と聞く度に、一人で勝手に残念な心持ちになっていたことは、本人には内緒である。
しかも、危険な山奥に一人で住み、薬師として生計を立てているという。
どうやら薬の知識は相当なもののようで、多くの薬の原料や効能を熟知し、自身の手で薬を煎じて作っている。
僕の受けた毒への処置も的確だったのだろう。
目覚めた時には毒による熱や手足の痺れなど、ほぼ快癒に近かった。
ただ、僕の認識では薬師はあくまで薬師……なのだが、エルミルシェ殿は怪我への処置も手馴れていた。
薬師は怪我人や病人を診るというよりも、症状に合った薬を処方するのが役目だ。
診察や治療も請け負っている薬師でなければ、傷口を見るのも嫌だという薬師も居ると聞く。
しかしだ。
エルミルシェ殿は怪我や症状の診察は勿論、包帯の巻き方も丁寧かつ正確だった。
実地訓練で後方支援を学ぶ時、治療や手当ての方法を教えてもらったが、教わったからといってすぐに上手く出来るものではない。
だからその慣れた手つきを見て、本当にただの薬師なのだろうかと思えてきたのだ。
更には魔術が使えるのか、どうやらテイマーのような力も持ち合わせているらしく、目の前に大熊を呼び出され「礼がしたいのだろう?」と言われた時は、本当に理解が追い付かなかった。
魔術を使える者は少ない。
そもそも魔術とは、魔力をどう扱えばいいか習える環境下で育った者でなければ、おいそれと身に付けられる力ではない。
そのため、この国では魔術師のほとんどが貴族出身なのだ。
しかもその魔術を使うにも、才能のあるなしで出来ることが人それぞれ大きく変わる。
魔術を習える環境下で育った貴族の令息令全員が、魔術師になれる技量を身に付けられるわけでは決してないのだ。
だというのに、エルミルシェ殿が使うそれは、その中でも一般的かつ単純なものも多い四大元素の魔術……火水風土の属性でもない、動物を従えるという精神系に作用するような、高度な知識と技術を要する力ではないだろうか。
僕はエルミルシェ殿がその力を先天的に持って生まれてきたのだろうかと考えた。
そうして魔術を学ぶ経験を得ずとも、動物と心を通わせられる力がエルミルシェ殿に備わっているのだとすれば、なるほどこんな山奥で平穏に暮らせるわけだと納得した。
もしかしたらその力のせいで、人から狙われたり差別されてしまった結果、この山に隠れ住んでいるのかもしれない。
……と、そう思っていたのに、どうやらエルミルシェ殿の力はテイマーだけではないらしい。
立派な猪肉を出され、理由を聞いたら虚ろな目をして「吾輩が狩ったのだ」なんて言うから、これまた意味が分からない。
テイマーの力で、他の動物に助けてもらったのだろうと思ったが、あっさりと否定されてしまった。
エルミルシェ殿曰く、この小柄な少女自身が猪を倒し、しかも血抜きや処理までしたのだそう。
いくら魔術が使えたとしても、こんな幼い少女一人で猪が狩れるほどの力とは、一体どれほどのものか。
いや……寧ろ魔術が使えないとなれば、それこそどうやって倒したのか全く分からない。
そうなれば先天的な力などではなく、いよいよ自力でそれらの力を身に付けたということになる。
どうやって?
疑問は尽きることなく、日に日に増していく。
そして、平民が所有しているとは思えないほどの、驚くほどの量の書物を所有していた。
僕にとって本は決して珍しいものではないが、その価値は理解している。
だというのに、ジャンル問わず様々な書物が壁一面にびっしりと並べられ、部屋に置かれたこじんまりとした机にも多くの本が積まれていた。
盗んできたと言われた方が納得出来る量だ。
趣味で集めているのかと問えば「全部軽く一度は目を通しているぞ」と答えられ、この量をたった十歳ほどの少女が読んでいることに驚かされた。
もし読むことができたとしても理解するのは難しいだろう本ばかりだが……きっとエルミルシェ殿は理解しながら読んでいるのだろうなと乾いた笑みが盛れた。
挙句、僕のためにロッキングチェアと木剣を自作してくれたらしい。
それらはとてもよく出来ていて、素人が作ったとは思えない出来だった。
きちんとヤスリがけされ整えられたロッキングチェアや木剣は、撫でても引っかかりなどなく指を傷つけることもない。
風に揺られながら剣を一度振ってみると、僕の持っていた剣と同じ太さの柄にしたと言っていたからなのか、とても手に馴染み振りやすかった。
さながら意匠を凝らす職人のようだった。
褒めた時の自慢げにする様子は年相応なのに、見た目は美少女、話し方は老師、各方面への能力は玄人を感じさせる未知数さ。
一体このちぐはぐさは何なのか。
もしやエルミルシェ殿は、滅多にお目にかかることの出来ない、希少な存在だったりするのだろうかとさえ思えてきた。
例えば精霊や妖精、亜人や魔法使い、天使や悪魔といった、物語でしか知らないような種族――。
僕は初めて、こんなにも不可思議な人と出会った。
そうしてよくよく観察していると、話し方は令嬢らしからぬのに、エルミルシェ殿の所作がとても綺麗なことに気が付いた。
食事作法、歩き方、姿勢……違和感がなさすぎたせいで気付かなかったが、この少女は僕が何も思わないくらいのレベルのマナーを身に付けているということだ。
なのに、貴族らしい上っ面だけの会話や、婉曲な腹芸をするでもない、自然体のままで居られる会話。
(この子は一体、何者なんだろう……?)
やはり何処かの令嬢では?と思っては、しかし笑い方や話し方を聞いて、違うのか?と考え直し……僕はいつの間にか、そんな不可思議で面白い少女との生活を楽しんでいた。