65,side???
男の言葉が信じられず、俺は頭を振る。
「……そ、そんなはず!
あの城で暮らしていれば、何処かで見聞きすることだってあっただろう!?」
「教養の座学も、業務としての調薬も、お前の手助けで行っていた政務も、彼の娘は全てあの一室から出ずに行っていた。
令嬢らしく庭で茶をするような一時もなく、外に出て話すのは、お前に付き従って婚約者として参加する小規模の会食くらいだ。
第二王子との接触を避けるため、学ばせるだけ学ばせておいて、彼の娘は大きなパーティーには一切呼ばれなかったのだ。
もしくは魔獣討伐に駆り出された時くらいか?
それだけ徹底された環境下で、第二王子の話題を出す阿呆など居るはずがないだろう?
不要な知識や情を与えないよう、貴族派も第二王子やそちら側の存在については隠していたからな」
男と話している間に、俺は女にとんでもないことをしていた。
体の自由を奪い、功績を奪い、尊厳を奪った。
金を持っている爵位の高い令嬢を代わりの婚約者に選び、女を裏切り捨てていた。
敗戦した事実を魔女の力で操られたと言って、あの女に全ての罪を擦り付け、裁いた。
一人で歩くこともままならず、民に石を投げられ罵声を浴びせられながら、騎士に引き摺られていく。
断頭台にその首が乗せられ、あの女が守りたがっていた民の前で殺した。
――俺が、そう指示したから。
過去の俺は痛快だと言わんばかりの顔で笑っていた。
俺を裏切ったからだと思い込んでいる様子で、これが現実だと、清く崇高な女を踏み躙って満足しているようだった。
何も知らなかったのは、どっちだ?
それから流れゆく国は、正に地獄絵図だった。
女が蓄えていた薬はすぐになくなり、女が残した調薬の技術をもってしても、あの女が国に齎してくれていた恩恵の足元にも及ばなかった。
俺の政務を手助けしながら、率先して魔獣を狩って民を守り、時に田畑や国に恵みのまじないをかけ、薬の調薬だけでなく自ら診察と治療を行っていたあの女の足元になど、何人も及ぶはずもない。
ソルナテラ王国の横暴さと非道さを聞いた近隣諸国には、復興支援どころか通常の交易さえも打ち切られた。
物価はどんどんと高騰していき、貴族は我が身大事で私腹を肥やし、民に分け与えもせず至るところで暴動が起きた。
王城にも民が押し寄せ、兵や騎士に斬り捨てられながらも向かってくる人の波に、王城の上から見下ろしていた俺はこの国の終わりを悟った。
そして――貴族派も王族派も関係なしに、俺は城内の臣下を皆殺しにしていった。
新しく選んだ婚約者も、最後まで愛してくれなかった母上も、俺を認めてくれなかった父上も。
そうして屍の頂点に立っても胸には虚しさしか残らず、狂ったように笑っていた。
最後にあいつに斬られた俺は、何故か安心したような顔で倒れていった。
あいつが去った後、隣に居た男が死にかけの俺の近くに佇んでいた。
横を見ると男は変わらずそこに居て、どういうことだ?と視線を行き来させていると、屍の上で転がる俺に向かって、その側に立つ男が声をかけていた。
「お前のせいで、彼の娘が死んだ。
お前が、彼の娘を殺した。
唯一、お前に手を伸ばし続けた彼の娘を、お前が、振り払ったのだ」
男は苦しそうに言葉を切りながら、俺に語りかけている。
すると俺の口が微かに動き、譫言のような声で男に返事を返していた。
「……あ、の、女の、隣は…………温か、かった……」
「……っ!それを、お前が!捨てたのだ!!
彼の娘は必死に!
お前を繋ぎ止めようとしていたのに!
彼の娘は、死んでしまった……。
美しく清らかな、澄んだ魂の娘だったのに……っ!!」
「…………どう……にか、助けて……やれない、か……」
俺は、目の前の俺の言葉に目を見開いた。
あの俺は、女が俺の出自や生い立ちを知っているものとばかり思っていて、今もなお、あの女の方が俺を裏切ったと思っているはずだ。
それなのに俺は、助けてやれないかと望んでいた。
「……我の力で彼の娘を甦らせることは出来る。
だが、彼の娘はお前のことさえ気にかけるはずだ。
彼の娘が望めば、我にその縁を断ち切ることは出来ん。
――だから誓え。
再び時が巡る時、お前とは深い縁が繋がらなくても構わないと。
お前からその繋がりを拒むと誓え」
「…………ふっ」
俺は口からこぽりと血を吐きながら笑っていた。
自分でも聞いたことがないくらい、穏やかで柔らかい声だった。
「……俺と、縁など…………繋がら、ない……方が…………いい。
俺より、きっと……あいつの方が…………幸せ、に」
その言葉を最後に、俺は動かなくなった。
瞬きをした間に、俺は真っ白で何もない空間に戻されていた。
今度は向かい合うように、正面に男が立っていた。
「お前は最後に彼の娘との縁を自ら断ち、彼の娘の幸せを願った。
だから渋々、心ばかりの薄く細い縁を残しておいた。
そうしたら、彼の娘は我との約束を破り、自らの魂をも差し出して、この国の行く末とお前達兄弟を救うことを選んでしまった」
また男の力なのか、何もない空間に映像が映し出された。
あいつに抱きかかえられながら、二人は山を歩いている。
その会話から、かつて俺の隣に居た女は、あの過去でさえあいつに心を救われたと言った。
そして俺を救い、国や民を守り、あいつに恩返しをしたかったと言い、それを本当に叶えられたと喜んでいた。
かつての俺が与えられなかったのだろう愛を抱いて、その体は宙に消えていった。
「あの女は……死んだのか?」
「元々死んでいたところを我が約束で縛り、この地に留めていたに過ぎない。
本来は魂だけの存在だったというのに、それすらも差し出せば何も残らなくて当然だ。
――それをあの男は、代わりに己の命を差し出した」
映像がここに居た時のようなものに切り替わる。
あいつがあの女のために、魔力と命を引き換えに繋ぎ止めようとしていた。
俺はふいと顔を背けた。
「……もう見せなくていい。
どうせあいつがあの女を蘇らせたんだろう?
かつて見殺しにした女に助けられ、競っていたつもりの男が俺より遥かに大きかったなど、見たくもないし知りたくもない」
「それなら、お前は何故笑っている?」
男にそう言われ、俺は自分の頬を撫でた。
俺には俺の顔は見えないが、笑うことのない俺が笑っていると言われるのなら、そうなのだろう。
「いっそ清々しいのかもしれないな。
何をやってきたのだろうと、馬鹿らしささえ感じる。
――全てが無駄だった。
だが、そうやってしか生きてこれなかった。
それもやっと、やっと終わる」
「…………そうか」
男は静かに頷いた。
ふと俺は手だけが真っ黒なことに気が付いた。
「これは?」
「精霊達がお前に与えた罰だ。
お前のその手では、もう魔力を扱うことは難しいだろう」
「そうか。
罰はこの手だけで済んでしまったのか。
俺など居ない方が、この世界にとってはいいだろうに」
俺が寄り添う二人をぼんやりと眺めながらそう言うと、一本の紐を差し出された。
それは映像で二人を繋いでいた、金と青紫で出来た紐だった。
「これはあの二人の残りの命だ。
この紐を均等に分け、二人の寿命として与えるつもりだ。
その前に、もしお前が望むのなら、お前の残りの命もここに紡いで二人に与えることも出来る」
「……俺にここで死ねと?」
「いいや。
我が受け取れるのは、あの男と同じくお前の命の半分だ。
二人は少しだけ長生き出来て、お前は二人よりも早く逝ける。
罪も償わず、地獄を味わわせず楽にしてやるほど、我は優しくないのでな。
かつて手を伸ばした座に弟が座り、唯一手を伸ばしてくれた女が弟に尽くす生き地獄を、身に染みて痛感してもらおうか」
そう言いながら、男はいやらしく笑っていた。
馬鹿馬鹿しいと溜息を吐きながら、男の手からひったくるように紐を掴んだ。
魔力ではなく命が流れ出ているからか、黒い手でも力が吸い取られていくようだった。
膝から崩れ落ち、ハァハァと息を切らす。
座り込んだまま出来上がった紐を見て、寒気がすると言わんばかりに顔を歪めた。
「はっ!
俺があいつらを繋ぐ、運命の赤い糸だとでも言いたいのか?
……本当に、皮肉なものだな」
吐き捨てるように言い、男に向かってそれを投げ付けた。
それは二色の紐を上から包むように、細く赤い紐が絡まって、リボンのように結ばっていた。




