62,sideヴィス
「彼の娘は殺された。
人のために力を尽くし、懸命に生きた娘を、お前達人間は殺したのだ」
過去を眺める僕の横に、精霊王は立っていた。
視線を動かし精霊王へと目を向けると、屍の上で涙する僕を睨むその表情は、苛立ちを隠そうとはしていなかった。
精霊王が放つ、ひりつくような激情を肌で感じる。
「彼の娘は、自分が浅はかで未熟だったからと言ったが、果たしてそうだろうか?
娘が悪かった?何が?何処が?
彼の娘が悔いる必要などあったか?」
精霊王の言葉に、僕は首を横に振った。
エルは自身の心の中で、こうすればあぁすればという後悔があったのだろう。
けれど、エル以上に人間の方が浅はかなのに貪汚で、未熟な上に横暴だった。
彼女は優しさと真面目さに付け込まれたに過ぎない。
あのまま人間を恨んだって理不尽でも何でもなく、正常な感情だったはずだ。
もしも民達が第三者目線でエルの生き様を見られたなら、彼女を悪だと言う者は明らかに目減りしただろう。
「彼の娘は生まれた時から精霊達に愛されるほど、強い力を持ちながらも慈愛に満ちた、清い魂を持っていた。
今の世に珍しいほど、とても澄んだ娘だった。
我らは彼の娘の成長をずっと見てきた。
人の国の思惑で連れ去られ心をすり減らしていく時も、その心が黒く染まり闇に堕ちそうな時でさえ、我らは娘の側に在り続けた。
お前達人間は、勝手な都合で娘を殺したのだ!
この愚かで不憫な魂を失わせてなるものかと、娘の魂を繋ぎ留めた。
色恋に溺れることのない見目のまま、永遠に変わらぬ張りぼての体を与えてこの地に縛り、約束と称して国や人間に関わらせまいとした。
我らの側で何の痛みもなく生きればいいと、みなそう望んで彼の娘をあの山に匿った」
ふっと過去の視界が掻き消えると、今度は真っ暗な中に立たされていた。
辺りを見回すと、ぼんやりとした光の灯る場所が見えた。
ふと自分の手を見下ろすと、金色の紐が手首に巻かれ淡く光っていて、その光る先に向かって伸びていた。
そこへ向かって足を進める。
その途中、エルと過ごした日々が走馬灯のように流れては消えていった。
温かな過去に縋り付かないよう、僕は振り返らず前の光だけを見詰めて足早で歩く。
そうして辿り着いた先には、沢山の花――リンデンとラベンダーに包まれた、一つの体が横たわっていた。
「ここに、居たんだね」
顔の上に布がかけられた、エルの亡骸を見下ろした。
僕の手首の紐は、どうやら彼女の手首に巻かれた紐と繋がっていたらしい。
手首を見た時、エルの手も視界に映った。
映像から聞こえた通り、過去の彼女の指は全て失われていて、それがとても痛々しく僕は顔を歪めた。
「彼の娘は、自分を殺した男を救いたかったと望んだ。
この国や民を守りたかったと願った。
そして、お前に恩を返したかったと祈った。
娘が繋いだ想いだけは、我らでも切れなかった。
それでも何年も、この山で穏やかに暮らしていたのだ。
――お前がこの山に入ってくるまでは」
その言葉尻から、僕に対する憎々しさが伝わってきた。
僕が山に入ってしまったせいで、エルとの繋がりが出来てしまった。
そして再びエルを人の世に巻き込んだのだと、そう訴えているようだった。
「返してとお前はそう言ったが、お前達人間は何度、彼の娘を傷付けた?
唯一共に暮らし大切にしていた動物さえ、目の前で殺されるような惨たらしい世界だ。
彼の娘に頼らずして維持出来ぬ国など、滅んでしまえばよいではないか!
切り捨てたのはお前達の方だと言うのに、今更彼の娘を求めるのか!
まだお前達は、彼の娘を傷付けるのかっ!!」
「僕はエルを傷付けるつもりなんてないよ」
最後の言葉だけは即座に否定し、僕は振り返った。
怒りでオーラを膨れ上がらせる精霊王を前に、僕は挑むように立ち上がる。
「精霊王よ。
貴方の言う通り、人間の国はとても穢れているのだろうね。
エルが守らなければ成り立たない国なら、滅んでしまえばいいと僕も思う。
愚かで浅ましい心の持ち主が多く、誰も彼もが我が身大事に生きている。
同族同士で蹴落とし合い、裏切ることも多い。
僕も身に染みて生きてきた。
望む望まないに関わらず、僕はその象徴とも言えるところで生まれ育った自覚があるから」
「ならば!
彼の娘をもう眠らせてやろうとは思わないのか!
満足したと魂まで散らした娘を、何故留めようとする。
あんなところで生きて、これ以上苦しめることになるとは思わないのか!!」
精霊王は吠えるように叫ぶ。
膨れ上がったオーラは、巨大な波が目前に押し寄せてくるような、圧倒的な迫力だった。
それでも僕とエルを繋ぐ金の紐が、僕に力をくれている気がした。
「では仮に、貴方との約束がなかったとしたら、エルはあのまま終わることをどう思っただろう。
自分が救った僕と兄上がどうなるのか、守った国や民の行く末がどのような道を歩むのか。
彼女はそれを知らず逝くような、そんな子じゃない」
「そ、それは……っ」
「それにエルならきっと、苦しむと分かっている未来でも、きっと全力で立ち向かっていくだろう。
僕や周りが必死で止めたとしてもね。
好奇心と責任感、そして何より人の世を、誰かの人生をより良くしたいと渇望し、その結果、自ら血を流し、心を引き裂かれたとしても!
彼女は何かを、誰かを想って、最後まで生きようとしたはずだ!!」
僕は負けじと言い返した。
たじろぐ精霊王を前に、畳み掛けるように僕は言い募る。
「僕はたったひと月しか、エルと居られなかった。
それでも分かる。
貴方なら、もっと分かるんじゃないか?
エルが言ったように選択肢が二つしかなかった時、彼女がどちらを選ぶのか、きっと貴方は知っていた。
それなら、選択肢が二つではなく、もしも彼女が生きられる未来があったなら、彼女が何を選んだのか」
「だったら何だと言うのだ!
もう彼の娘は魂すらすり減らし、消えてしまった!
そんな娘をどう戻せと言う?
お前に何が出来る!?」
もう手遅れだと言うように、精霊王は僕を鼻で嘲笑う。
僕は後ろで静かに眠る、エルの亡骸に視線を落とした。
そして少しだけ金色の紐を引く。
「ねぇ、エル。
帰ってきてよ」
 




