61,sideヴィス
僕は湖の前に崩れ落ち、涙を流しながらエルが居たはずの宙を眺めていた。
彼女は体も残らず消えてしまった。
エルも、リンデンも、僕を置いていってしまった。
僕が守りたかった者達は、僕を守って逝ってしまった。
「あぁっ……ああぁっ」
僕は顔を覆って、打ちひしがれるように現実を嘆いた。
僕には、僕を大切にしてくれる家族が居る。
それにアインシュテルや、僕を支持してくれる人達が居る。
王妃は罪に問われ、イスティランノやレスノワエ公爵率いる、第一王子派であり貴族派の者達の立場は悪くなり、王城はかってないほど過ごしやすくなるだろう。
貴族派との間で膠着していた国政も進めていかなければならないし、リーヴィアが嫁ぐことでレイスリーク皇国との関係もより良くしていかなければならない。
やらなければいけないことが沢山あり、どれもこれも自分が望んだ争わずに済む世界を叶えた結果で、間違いなく充実した日々が待っているはずだ。
――でも、それでも。
「君が、足りないよ。
エル……エル…………ッ」
この世界にエルが居ない。
それだけで、こんなにも胸が苦しい。
これまでは失ったものを後悔しても何も変わらないからと、必死に前を向き続けてきた。
けれど今は、胸をナイフで貫かれ、心臓から血が溢れ出しているようだった。
痛くて、悲しくて、仕方がない。
僕はエルの遺した杖に縋り付いて、嗚咽を漏らすしか出来なかった。
『きゅきゅっ』
ふと耳元で聞こえた声に、僕はハッと顔を上げた。
あまりの悲しみで幻聴でも聞こえたのだろうかと思っていると、僕の肩に小さな光の粒がふわりと乗った。
「……リンデン、なの?」
もう声は聞こえず、光はぴかぴかと明滅を繰り返していたが、僕はそれが間違いなくリンデンだと感じた。
聞こえた鳴き声の意味が何故か分かり、もしかしたらエルの魔力が満ちた杖を握っているかもしれないと気付いた。
『願って』――たったそれだけだったけれど、僕はぐっと唇を噛み締め、涙を拭った。
そして立ち上がって杖を構え、湖面に向かって叫んだ。
「精霊王よ!
どうか、どうかエルをお返しください!
この国の行く末を願って命を散らせた少女だけに、全ての責任を背負わせるだなんて間違っている!
僕が差し出せるものなら差し出そう!
だからどうか、僕の唯一をこの世界に返してっ!!」
すると僕の声に反応したのか、エルの杖が強い光を放ち始めた。
僕は目を開けていられず、ぎゅっと目を瞑った。
暫くして目を開くと、僕は真っ白で何もない空間にぽつんと立っていた。
きょろきょろと左右を見渡すと、背後から鈴の音と衣擦れの音がして振り返った。
そこには長く美しい水縹色の髪を緩く結っている、男とも女とも言えない見目の存在がこちらに向かってきていた。
それは明らかに人ではない神々しさがあり、エルの言っていた精霊王だろうと予想出来た。
僕は無意識に膝をつき、頭を下げていた。
精霊王は僕を素通りしてから立ち止まると、澄んだ声で「付いてこい」と言った。
僕はその言葉に従って、精霊王の後を追った。
歩いているうちに、景色が変わり始めた。
そこは映像で見た、しかしもっと間近で見たことがあるような、瓦礫に埋もれた王都だった。
何処も彼処も崩れ落ちて、見知ったはずの店も住宅もなく、煙を上げて変わり果ててしまっている。
真っ直ぐ進み続けていると、群衆が罵声を上げているところに出会した。
「お前のせいだ!」
「まだこの国を呪っているの!?」
人々は何かを責め立て、石を投げ、罵っていた。
そこにあったのは、処刑の後、そのまま晒され続けた首のないエルの体だった。
民達は第一王子派の言葉を真に受け、エルを悪と思うことで、この凄惨な現実へのやるせない気持ちを昇華し、生きる気力に変えているのだろう。
――分からなくはない。
真相を知らなければ、そういう言動が起こるのは当然のことだ。
それでも僕はその光景に胸を抉られ、拳を握り締め立ち尽くしていた。
佇む僕に精霊王は「おい」とだけ声をかけてきた。
耳にこびり付く声を振り切って、僕はその背を追った。
そうして僕は、いつの間にか見知った場所に着いていた。
そこには高笑いしている一人の男が居た。
その男の足元には、知っている顔がいくつも倒れ伏して、大きな血溜まりが出来ている。
狂気を孕んだ紅い眼光が、天を見上げながら泣くように笑っていた。
次の瞬間、その体を切り捨てたのは――僕だった。
怒りと憎しみを抱きながら、それでも悔いているような顔で、僕は剣を振り抜いた。
男は――イスティランノは、かつてないほど穏やかな顔で笑みながら、人の山と一体化するように崩れ落ちた。
人の屍の上に立ち、僕はそれらを虚ろな目で見下ろしている。
僕は、そんなかつての僕を眺めていた。
「貴方が、あの方を大切にしなかったから……」
虚ろな表情の僕が、ぼそぼそと話し始めた。
「あの方だけが貴方を、兄上を見てくれていたというのに……!
それを貴方はっ!!」
過去の僕が何を言いたいのか、すぐに分かった。
エルのことだ。
「国のため民のためと妙薬を生み出し、幼く小さな体で魔獣を狩り、貴方を真っ当に支えようとしてくれていたあの方を……どうして、あんな形で裏切ったのです!
父上が貴方を認めてくれなくとも、国や民の多くは、貴方やあの方を心から支援していたというのにっ!!
僕もあの方なら、兄上の心が変えられるのかもしれないと、兄上が民から慕われる王になってくれるかもしれないと、そう喜んで……いたのにっ」
イスティランノの側で頽れた僕は、顔を覆って嘆いていた。
過去も今も、僕は何ら変わらない。
エルを守れず見殺しにしてしまった、過去の僕。
エルに守られ体ごと失わせてしまった、今の僕。
悲しい現実を見ないように、過去の僕もまた、顔を覆って泣いていた。




