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6,


「寝て起きて、部屋の中でぼんやり過ごすだけでは、そろそろ詰まらんだろう。

今日からは少し動いたり、何かをする時間を設けてもいいかもしれぬな」


ベッドで枕を背にして座っていたヴィスを見て、吾輩は顎に手を当て、ふむと思考する。


あれから三日が経過した。

傷口から入り込んだ毒は完全に抜け、軽い切り傷や擦り傷などはほとんど治っている。

しかし、捻った足は中等度の捻挫のため、まだ安静にしていなければならない。

吾輩の薬や湿布の効きがどれほど良くとも、しっかり完治に至るまでは休ませるつもりだった。

というよりも、あまりこやつに深入りせぬようにと、寝室に押し込めていたというのが本音である。

そうは言っても寝てばかりでは体に良くないだろうし、ヴィスの体調を見る限り、体調面ではもう問題ないだろう。

そろそろリハビリがてら、座ってでも出来ることや、上半身だけでも体を動かせるよう考えても良さそうだ。


「何かしてもいいのかい?」


ヴィスは目を輝かせながら、いそいそとベッドから出てきた。

昨日は遂に寝飽きてしまったらしく、暇だの寝れぬだの唸る声が部屋から時折漏れ聞こえていた。

何処かの隙間から侵入したのか、途中からリンデンも交ざって一緒になって唸り始め、いつしか合唱のように歌っていた。

楽しそうにしていたから放っておいたのだが、暫くして部屋から出てきたヴィスの表情は虚無そのものだった。

自問自答の末、自分は何をやっているのかという境地にでも至ったのだろうか。

あの顔には、吾輩も久しく恐怖を感じた。

吾輩は昔に比べると、何もない時間を楽しむことが出来るようになったし、只管(ひたすら)寝続けられる幸せも知ったのだが……こやつはきっと、忙しない日々に身を投じてきたのだろうな。


「吾輩が許すことだけだぞ。

取り敢えず、不必要に歩かぬこと。

足に負担をかけぬこと。

約束出来るな?」

「イエッサー」


ビシッと敬礼する姿はあまりにも様になっていて、吾輩は少しばかりくしゃりと顔を歪めた。

ヴィスがそんな吾輩を見て目を瞬かせた。


「エルミルシェ殿?」

「……なんでもない。

その両足をピッと揃えて立つのも痛むだろう。

敬礼も禁止だぞ。付いてきたまえ」


吾輩は家の奥へと向かっていく。

壁面にびっしりと書物が並ぶそこは、吾輩自慢の書斎だ。

この本の数は圧巻だろう。

一平民が持つにはおかしいほどの数だからな。


「ほ、本がこんなに……?」

「薬師だけあって薬学や解剖学、生物学といった医療全般に繋がる書物が多いが、他にも沢山あるぞ」

「……これだけ揃えるには、相当なお金が必要だと思うのだけれど」

「薬は絶えず需要があるものだし、それなりに稼がせてもらっているのだよ。

それに、ここに居たらほとんど自給自足で生活出来るのだから、街に下りても金を使うのは、最低限の服や布、生活必需品くらいなものだ。

そうして気になった本を買い続けていたら、こうなった」

「ええぇ?」


ヴィスは呆然と部屋で立ち尽くしていた。

驚くのも無理はない。

本はそれなりの値段がするもので、平民がおいそれと買える代物ではないのだ。

平民の中で裕福な商人や専門職の家系であれば、子供や後継者の学習や教育のため、本を数冊所有しているだろうが、ここまで膨大な量の本を所有しているのはお貴族様くらいだ。

まぁ上位貴族にもなれば、個人趣味と見栄で買い集めることもあるだろうし、これの比ではないだろう。

羨ましいことこの上ない。

一度でいいから、貴族や特別な許可を得た者しか入れぬ王立図書館に行ってみたいものだ。

今、何の身分も持ち合わせておらぬ吾が身が恨めしい。


ヴィスは棚をゆっくりと眺めて回っている。

分厚い辞典や図鑑のような、かなり高価な書物も沢山あるし、興味本位で買ってみた恋愛小説や冒険譚もある。

そういったものは、途中で読むのを辞めてしまったのも多いがね。


「ねぇ、やけに心理学の本が多いのはどうしてだい?」

「あぁ〜〜…」


それは人間の心について理解を深めたいと思い、買い集めた本達だ。

行動心理学や生物心理学、地域共同体心理学、臨床心理学、環境心理学、健康心理学、人格心理学……とまぁ、心理学とタイトルに書かれていれば、必ずと言っていいほど買ってきた。

これほどまでに人との接点を絶っているというのにな。


「吾輩も人間を理解しようと考えたこともあったのだよ」

「どうして悟りの境地に達したようなことを言っているの?」


ヴィスはおかしそうにクスクスと笑う。

幼子が達観した物言いをしたから、面白かったのだろうか。


「読めば読むほど、サッパリ分からぬということだけがよく分かったな!」

「ふっ……あはは!

そうだね、人の心を理解するのは難しいよね」


ふんすとふんぞり返ってみると、ヴィスは声を上げて笑った。

妹にしていたくせなのか、また吾輩の頭を撫でている。

ふむ、こんな風に笑える男だったのか。

いつも上品に澄ましているのだろうと思っていたが、中々いい顔で笑う奴だ。

もしかすると、何も気を使う必要性のないこの環境と、幼い(なり)をした吾輩相手だからこそかもしれん。


「お主がどういったものに興味があるのか知らぬが、ここの書物は自由に読んでよいぞ」

「いいの?貴重な物でしょう?」

「こんな山奥では道楽などないからな。

多少の暇潰しにはなるだろう。

ただし、丁寧に扱っておくれよ」

「勿論だよ、ありがとう」


さて次だ、と今度は家から外へ出る。

裏口からではなく表の玄関から出て、このために用意した物へと案内をする。


「さぁて、まずはここに座りたまえ」

「えっ?あ、うん」

「では次に、これを握ってみよ」

「うん?……えっ?これって」


ヴィスは目を見開いて吾輩を見上げる。

この数日、ヴィスを寝室に押し込めている間に、吾輩は外にロッキングチェアを作り、そしてヴィスの持っていた剣と近しい柄の太さの木剣を用意したのだ。


「お主は剣術を(たしな)んでいるのであろう?

技術を身に付けておる者は、数日鍛錬しないだけで腕が鈍るだろう。

足に無理はさせられぬが、これに座りながら木剣を振るくらいは問題なかろう。

ロッキングチェアは上手く使えば、体幹も鍛えられるだろうな」

「これを、僕のために?

もしかして、この椅子も!?」

「吾輩は剣など扱わん。

それに、どう見てもそのロッキングチェアは、吾輩には大きすぎる」


ヴィスの体格に合うように作られたそれは、足に負荷をかけぬよう、ヴィスでも意識しなければ足が付かない高さになっている。

本来剣を振る時には、足を踏ん張り踏み込む必要がある。

しかしそれをされては捻挫が悪化してしまう。

これはあくまで足を使わず、上半身や体幹を鍛えるためのものだ。

そういった理由で高めに、かつ大きめに作られたロッキングチェアは、座るにも降りるにも吾輩には厳しい代物になってしまった。


「えっ、ちょっと待って。

これ、作ったってことだよね?」

「左様。

この山の中で店などありはしないからな」

「……エルミルシェ殿は多才過ぎないかい?」

「ふん、当然だとも。

だが、もう褒めてくれるなよ。

今日はこれ以上、他に何も用意しておらんからな。

出してやれるものがないのだよ」

「ふふっ、なにそれ」


吾輩が茶目っ気混じりにそう言うと、ヴィスは笑いながらキィと音を立てて椅子を揺らした。

木剣は振るわれることなく、その腕に抱かれている。


「ありがとう。

大切に使わせてもらうね」

「書物は丁重に扱ってほしいが、それはお主の物だ。

短い間だろうが、好きに使うといい」


ヴィスは椅子を揺らし手すりを撫で、木剣をくるくると回して眺めていた。

暫く陽の光にも当たらない日々を過ごしていたのだ。

今は少しばかり肌寒いが、あれだけ高揚していれば体はポカポカしてくるだろう。

吾輩はヴィスを軒先(のきさき)に一人残し、朝餉(あさげ)の支度に向かうのだった。



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― 新着の感想 ―
さすが薬師のエルミルシェ、医療に本は欠かせないですね。
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