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59,


アインシュテルを家に残し、吾輩とヴィスは二人で裏口から出た。

もう吾輩に物を掴むことは出来ず、ヴィスに杖を持たせ、更には扉まで開けてもらう有様だった。

不甲斐ないことこの上ない。

足先も消え始めれば歩けなくなるかもしれないからと、まだ実態のある体を抱き上げてもらい、だっこで運んでもらうことにした。

ヴィスは顔色を悪くしたまま、無言で吾輩の言葉に従ってくれた。

緩やかな坂を上りながら黙々と歩くヴィスに、吾輩はぽつりぽつりと話し始めた。


「吾輩が見せ、聞かせた過去の話には、まだ伝えておらぬことがあるのだよ」

「……そうなの?」


きっと心の中はそれどころではないだろうに、律儀に聞き返してくれるヴィスに、吾輩は身を預けるように寄りかかった。


「以前、お主には言ったことがあっただろう。

吾輩は切り捨てられた過去があると。

それはあの映像で見せた通り、一度死ぬ前の話だ。

その時に吾輩を救ってくれた者が居たとも、そう言ったはずだ」

「そういえば、そんなことを言っていたね」

「それはお主のことだ」


くるっとヴィスの首がこちらを向いた。

目を見開いて見下ろす紫の瞳が、少しずつ透け始めている吾輩を映していた。


「そ……れは、どういう……?」

「さてな。

吾輩は第二王子の存在も知らされていなかったのだ。

お主が以前どのように過ごしていたのか、何故あんな血とカビの匂いが充満する牢屋に居たのか、吾輩は何も知らぬ」


さぁっと夜風が吹いて、辺りを漂っていた精霊が飛ばされ、光の粒がキラキラと舞う。

美しく煌めく星空を見上げる。

まさか己の終わりがこんなにも満たされたものになろうとは思いもしなかった。


「これはただの推測だが、魔獣討伐から退けられたお主が、権力を失って王城内で(くすぶ)っていてもおかしくはない。

お主を支援した者や、あやつに楯突いた者を裁く様をお主に見せるため、お主自身が看守をさせられていたのかもしれない。

はたまた、全く違う職であったにも関わらず、裁かれる吾輩に会いに来てくれたのかもしれない」


そう言いながら、もう触れることさえ出来ないヴィスの頬に手を添えた。

ヴィスの瞳はゆらゆらと揺れて、瞼は痙攣しているかのように震えていた。


「お主が、吾輩を救ってくれた恩人なのだ。

その時の記憶と想いを、お主にも見せよう」


吾輩は瞳を閉じ、額をヴィスの頬に添える。

そして吾輩と繋ぐように、ヴィスに魔法をかけた。




「すまない……すまない……っ。

あの人は貴女にこんな仕打ちを……!

貴女は民や国のため、沢山尽くしてくれたというのにっ」


牢屋で転がされている私は、きっと酷く汚れていて汚いだろう。

それなのにこの人は、こんな私の体を支え起こして、手を握って泣いてくれるの?

国のために尽くしてくれたと、そう言ってくれるの?


私が力を振るえば、間違いなく戦争には勝てただろう。

そう言われてしまえば、あの人や周りの人達から、裏切り者と言われてもおかしくはなかった。

私は才能や力だけはずば抜けていたけれど、偽善的で中途半端な心のまま、人の世に深入りしてしまった。

私なら戦争に勝つことも出来ただろうし、逆にあの人の心を操って止めることだって出来た。

それをどっちつかずの気持ちで引っ掻き回して、国をこんな風にしてしまった。

そんな私に、この人は涙を流してくれるの?


――温かな手。


指を失ったこの手では、その手を握り返すことも出来ず、焼かれて潰れた喉では、感謝を伝えることも出来ない。

目を抉り取られてしまったせいで、今貴方がどんな顔をしているのかさえ、私には見る術もない。


「僕がもっと早く、向き合っていれば……っ!

あの人が戦争と言い出した時点で、強く止められていたらっ」


そうね。

貴方と同じよ。私もそう。

もっと早くあの人を止められていたら、きっとこんなことにはならなかったのに。


許せない。

私をこんな惨めな目に合わせた、あの人が憎い。

その気持ちに嘘はない。

――けれど、あの人はどうして最後、苦しそうな声をしていたの?

私は、彼ら人間の何を知ることが出来ていたのだろう。

そして、こうして泣いてくれるこの人は、今どんな気持ちで私を見ているのだろう。


何も、何も分からない。


私は浅はかだった。

そして未熟だったのね。


私は心の向くままに、この国を呪う本物の悪しき魔女になりかけていた。

けれど貴方のおかげで、私は私の愚かさに気付けた。

自分の甘さも、至らなさも、その結果が今の己の有様だということも。

それで全てを恨むのは、お門違いね。


「掛け合ったけれど、無駄だった。

誰かに責任を取らせなければならないからと……でもっ、貴女はきっと何も悪くないのに。

僕が無力なばかりに……本当に、本当にすまないっ」


どうか泣かないで。

貴方は決して無力なんかじゃないわ。

誰かの力になりたかったはずなのに、国ごと呪おうとしていた私の心を鎮めてくれたのは、紛れもない貴方よ。

おかげで誇り高き大魔女として、矜恃を忘れることなく逝くことが出来る。

ありがとう、私のために泣いてくれて。

私を善き魔女の心のままで居させてくれて。

ありがとう。

ありがとう――。




ぐすっと、鼻を啜りしゃくり上げるような声で意識を戻すと、ほろほろと大粒の涙を流しながら吾輩を見詰める目と視線が絡んだ。

どうにも堪え切れず、くすくすと笑ってしまう。


「きっとあの時、お主はこんな顔をしておったのだろうな」

「僕は君を……救えなかったんだね」

「いいや、吾輩は救われたのだよ。

吾輩の心の声を聞いただろう?

吾輩にとってお主はただ一人、吾輩の心を守ってくれた恩人だった」


立ち止まっていたヴィスに、ほれ歩けと急かす。

勝手に記憶を覗かせておいて随分横暴な振舞いだろうが、ヴィスは涙を流しながら微笑んで歩き出した。

「次の日、吾輩は街中で打首の刑に処された。

守りたかった民達に罵声を浴びせられ、心は酷く惨めで傷付いていったが、お主の声と言葉を思い出す度に強く居られた。

吾輩を見ていてくれた者は、確かに居るのだと」

「それでも君は死んでしまったんだろう?」

「そうだな。

だが、どういうわけか吾輩をいたく気に入ってくれていたのが、この地に住まう精霊王でな。

約束を守るなら、再びやり直させてやろうと言ってきたのだ」

「約束……」


ヴィスは吾輩の言葉を復唱した。

きっと過去を語れぬと話した日のことを思い返しているのだろう。


「吾輩は学びたかった。

人間とはどういう生き物なのかを。

そして、己の浅はかさと未熟さを。

どうすれば正解だったのか、どうすれば皆を救えたのか。

人の世から遠ざかり、学ぶ時間を望んだ。

だから精霊王の言葉に乗り、吾輩は魔女の集落から出た十歳の頃に戻ったのだ。

精霊王と交わした約束は

『ひとつ、決して復讐に力を使わぬこと』

『ひとつ、イスティランノや他人の心を変えるために力を使わぬこと』

『ひとつ、失った世界の存在を明かさぬこと』

この三つだった」



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