58,
ヴィスもアインシュテルも、何か言いたそうな、けれど言葉にならないといった様子で佇んでいた。
何かを察しているのだろうが、吾輩はそんな二人の背を押して家の中に入れ、有無を言わさずソファに座らせた。
「エルミル……ッ」
「ほれほれ、慌てるでないわ。
茶を用意してくるから、少し待っておれ」
立ち上がろうとするヴィスの額を指で押さえ、もう一度ソファへ沈めると、キッチンへと足を向けた。
吾輩は迷わず二つの瓶を手に取り、それに合わせていくつかの瓶を取り出した。
選んだのはラベンダーとリンデン。
そして、相性の良いカモミールとレモンバーム、オレンジリーフをブレンドする。
湯を沸かしている間に書斎へと向かい、数冊のノートと小箱を取ってくる。
昨日から置きっぱなしになっていたサイドテーブルには茶を乗せるので、一旦ノートと小箱をリビングのテーブルに置き、椅子を運ぼうとする。
するとヴィスがすかさず駆け寄ってきた。
「この椅子をどうするの?」と聞かれたので、吾輩が座る椅子の横に並べてほしいと伝えた。
ヴィスは頷くと、その椅子をソファの前に置いた上で、作業机の椅子も昨日のようにソファに向き合う形で運んでくれた。
沸いた湯をティーポットに注ぐ。
ほわりと良い香りが漂う中、茶を蒸らす時間を使って、今度は作業机の下の棚に隠しておいた箱を取り出し、運んでもらった椅子の上に乗せた。
ついでに先程持ってきたノートと小箱も箱の上に乗せ、キッチンへと戻る。
これまでであればキッチンとリビングに居ても気にせず話していたが、焦らすように無言を貫き時間を稼ぐ。
しっかりと茶を蒸らした後、茶を入れて二人の元へと向かう。
サイドテーブルに茶を乗せて、明らかにそわそわしている二人に、落ち着けと言って茶を勧めた。
素直に茶を啜り出した二人を見てから、吾輩はまず一冊のノートを手に取る。
パラパラと捲って中身を確認し、そしてそれをアインシュテルへ差し出した。
「え?私にですか?」
「あぁ。これは魔術師であるお前に託すのが良かろう。
このノートは吾輩が過去、王室薬剤師として過ごしていた頃の記録でな。
思い返して記しておいたものだ。
吾輩が伝えた薬草と調薬を研究し、王室薬剤師でも作れるようになった薬の資料を残しておいた。
吾輩の作る魔法薬ほどではなくとも、魔術師と協力して新たな薬を作れるようになっておったから、これを参考にするといい」
吾輩はそう言いながら、アインシュテルへとノートを手渡した。
アインシュテルは受け取るやいなや、ノートを開き真剣な表情で読み始めた。
ヴィスも横からノートを眺めている。
速読のように早いスピードでノートを捲っていたアインシュテルだが、ぼそりと「こんな貴重なデータが……」と漏らしていたので、有用に使ってくれることだろうと安心した。
積んでいた他のノートもくれてやると言えば、感涙を流しそうなほど喜んでいた。
「ねぇ、エルミルシェ殿。
まさかとは思うけれど」
「ほれ、お主にはこれだな」
ヴィスの言葉を遮り、小箱を押し付けるように渡す。
そのままの流れで茶を手に取り飲むことで、黙りを決め込んだ。
問い質そうとするヴィスには申し訳ないが、どうせ嫌でも直に分かることだからと、今は贈り物で躱すことにする。
納得がいかなさそうな焦る表情を見せながらも、ヴィスは渋々その小箱を見下ろし、箱を開けた。
「これ……は……」
ヴィスは目を見開き、息を飲んでいた。
小箱の中には、金糸で編んだ飾り紐を入れていた。
紐の両端には、ノスアツで買ったクズ石を加工したものが付いている。
それが元々クズ石だったなど誰も気付かないほど美しい、透明度の高いブルークォーツとスモーキークォーツの宝石に様変わりしていた。
あの日、ヴィスが吾輩達の色を選んでくれたように、吾輩もこやつに、いつだってヴィスの側に居るという意味を込めて、こやつの髪色の紐に、吾輩とリンデンを表すような色の石を結んだ。
ヴィスは恐る恐るといった様子で紐を手に取り、その石を大切そうに指でなぞっていた。
「美しいだろう。
あの日、お主と行った店で買ったクズ石だ。
時間があれば、加工や細工もあの店の婆さんに頼んだのだがな。
時間もなかったし、穴を開け丸く整えるだけになってしまった。
それでも見事な石だろう?」
「本当に、あの時の石なの?
本物の宝石のように輝いていて、信じられないのだけれど」
「それはそうだろう。
それは宝石とは違って、魔石になっているのだからな」
吾輩が得意気にそう言うと、ヴィスやアインシュテルは首を傾げていた。
「魔石?」
「そう、魔石だ。
吾輩達魔女は、石に魔力を込めてそれを素材にする。
ローブの装飾に使ったり、道具に埋め込んだりな」
吾輩がヴィスの手にある魔石に手を翳すと、仄かに光り出した。
二人は驚いて、まじまじと魔石を眺めている。
ヴィスは光の中に文字を見付けたようで「これは?」と聞いてきた。
「これはまじないに使う文字でな。
薄茶の石にはᚷを、青の石にはᛞを刻んでおいた。
お主が意味を知らなくともよい。
吾輩がただ、お主に願う祈りのようなものだからな」
「ちょっと!
どうしてそうやって隠そうとするのさ」
「くくくっ。
もしかしたら、吾輩の書斎にそれらが載っている本があったかもしれぬな。
まぁ仮にあったとしても、お主が魔女の書物を解読出来るかは知らぬがね」
吾輩の言葉に、ヴィスはぐぬぬと顔を顰め、アインシュテルは魔女の本が眠っているのかと目を煌めかせていた。
吾輩は立ち上がり、ヴィスの頭に手を添えた。
目を丸くしたヴィスと視線が重なる。
「お主にもらったリボンと同じだ。
ここでの日々はたったひと月であったが、夢現などではなく、とても温かく楽しい時間だった」
「僕も……僕もだよ」
ヴィスの瞳はみるみる潤み出し、涙を滲ませている。
そんなヴィスの頭をポンポンと撫でて微笑みかけ、吾輩はもう一つの大きな箱を持ち上げた。
「これもお主に」
と、ヴィスへと体を向けた時、手からするりと箱が抜け落ちていった。
「おっと!」とヴィスが受け止めてくれたおかげで、箱は落ちずに済んだ。
「危なかった……!
間に合って良…………え?」
ヴィスの愕然とした声を聞きながら、吾輩は自分の手を見下ろしていた。
手を通して、薄らと床と足元が見えている。
指先から徐々に実体を失い始めているのか、体が透けてきていた。
ふいと窓の外を眺めると、月が煌々と深い夜を照らしている。
そして出迎えのつもりなのか、外にはいくつもの光の粒が漂っていた。
「あぁ……もう四半刻で日が変わるのだな」
「何でそんなに落ち着いているの!?
やっぱり、君は……っ」
ヴィスの伸ばした手は吾輩の手を掴むことはなく、空を切った。
呆然とその光景を見詰めるアインシュテルと、ヒュッと息を飲み唇を震わせ始めたヴィスに、吾輩は眉を下げ歪んだ笑みを向けた。
「あぁ、そうだよ。
吾輩はお主らと、今日でお別れだ」
強い夜風が吹いたのか、カタカタと窓を揺らす音が虚しく響いていた。




