56,sideヴィス
「ん?なにか?」
「ラブシュカ妃のことは理解しましたわ。
魔女方の如何様にしていただいても結構です。
ただその……第一王子はどうなるのでしょうか?」
母上はちらりと、ソファに横たわるイスティランノへと視線を向けた。
彼も同様に魔女の裁きの対象になるのか、心配しているのだろう。
そこで僕は、ふと思っていた疑問をエルミルシェ殿に投げかけた。
「そういえば、どうして第一王子の体は治っているのに、手だけ真っ黒なままなのかな?
エルミルシェ殿の魔法の後、王妃が代わりにあの状態になったように見えたんだけど……あれはどういうものなの?」
「あぁ、あれはな、精霊達に罪の審判をさせたのだよ」
「罪の審判?」
僕は勿論、皆首を傾げていた。
「言ったように、あの者は魔女の薬によって強制的に魔力暴走させられていた。
まずそれを吾輩の魔法で、術者に返そうとしたのだ。
その時に、これまでの行いも含めてあの二人を秤にかけ、どちらに罪を背負わせるべきかと、精霊達に問うた、その結果がこれだな」
これと言って指し示されたのは、地べたで這いつくばっている王妃だった。
服が焼けたような痕跡はないのに、その体は至るところが焼け爛れ、見目の手入れを欠かすことのなかった王妃の姿は見る影もなくなっていた。
「見ての通り、ほとんどの術がこの女に返り、あの者が暴走させた過剰な魔力をその身に受けている状態だ。
精霊達は王妃こそ悪だと判断したということだ。
ただ、精霊達は吾輩の過去も全て知っておるし、魔力を扱うあの者の心もお見通しだ。
故に、今後安易に力を扱えぬようにするため、あの者の両手の魔力回路だけは焼いたのだろう」
「じゃあ、あの手は……」
「見た目が真っ黒なだけで、手としての機能はそのままだと思うぞ。
剣も握れるし、文字も書けるはずだ。
だが先程のように、魔力を纏わせて剣を振るったり、魔術を扱うことは二度と出来ないだろう。
お主に勝ちたいと望んで生きてきたあの者にとっては、重い罰かもしれんな」
エルミルシェ殿は少し寂しげな目でイスティランノへと目線を送った後、父上へと顔を戻した。
「魔女の裁きの対象は、魔女の力を悪用し、魔女達から捌くべきと判断されれば……という曖昧なものだ。
あの者は魔女の薬に手を出してはおらんし、対象からは除外される。
公爵は際どいところもあるが、王妃の策に加担しただけとも言えるから、こちらも対象外だろう。
ヒメロス子爵は薬を多用していたらしいが、魔女が思う利用範囲内だろうから、まぁ許されるのではないか?」
「利用範囲内って……」
なんとも場に合わない言葉の響きに、僕は苦笑しながら復唱してしまった。
エルミルシェ殿も同じように笑っている。
「くくっ、さっきの惚れ薬の話と同じだ。
自己責任の範囲から出ぬのであれば、魔女は深入りせぬ。
吾らが寛容なのではなく、その先に待つのが幸か不幸かなどこちらの知ったことではないし、責任を持つつもりがないのだ。
結果として子爵の行いも、こうして詳らかにされているわけだしな。
あの者やレスノワエ公爵、ヒメロス子爵に対して、魔女達が手を出すことはないだろう。
だが、それはあくまで魔女側の判断だ。
彼らに罰を与えるべきとお前達が判断するのなら、そちらは好きにするといい」
父上やモレイス侯爵は静かに頷いた。
二人が納得した様子を見たエルミルシェ殿は窓に近付いて、カーテンを少し捲った。
赤らんだ日が差し込んで「もう夕方になるのか」と呟くと、振り返った彼女は部屋全体を見渡し、
「吾輩の話は終わりだ。
吾輩に何か聞きたいことや、話したいことはあるか?」
と皆に問いかけた。
しんと静まり返る中、手を上げたのはリーヴィアだった。
エルミルシェ殿が首を傾げたのを見て立ち上がると、その場で膝を曲げ深々とカーテシーをした。
「エルミルシェ様、我が兄を……いえ、兄達をお救い下さり、ありがとうございました」
「お、王女がそのように頭を下げるものでは」
「いいえ。
貴女様はわたくしの家族と、この国の未来を救ったのです。
もしエルミルシェ様がクレイお兄様を救って下さらなければ、この国はきっと先程見たような悲劇を再び繰り返したことでしょう。
あのような非情で残酷な行いをしたこの国に手を差し伸べて下さり、感謝の念に堪えません」
リーヴィアは顔を上げると、胸を抑えながら悲しげに瞳を揺らしていた。
それを見てリーヴィアの横に並び、僕もエルミルシェ殿に頭を下げた。
「僕からも……エルミルシェ殿には救われてばかりだ。
本当に、本当にありがとう」
「おい!やめないか、吾輩は別に」
「君は君自身のために動いただけと言いたいんでしょう?
けれど君の行動のおかげで、僕たちだけでは知り得なかった真実に辿り着けた。
僕は勿論、父上や母上、兄上……皆救われた。
見てよ、エルミルシェ殿」
エルミルシェ殿が部屋が見渡せるよう、少し立ち位置を変える。
今彼女からは、この部屋に居る全ての人が見えているはずだ。
僕は歩きながら、それぞれを紹介するように語りかけながら部屋を歩く。
「父上が長年解き明かしたかった、原因不明の事件を解明してくれた。
父上や母上、モレイス侯爵を、積年の恨みから解放してくれたんだ。
王妃もこうして捕らえることが出来た。
しかも魔女達が直々に裁くという、これ以上ないくらい恐ろしい罰を生きたまま与えてくれる約束付きでね。
レスノワエ公爵やヒメロス子爵にはこちらで対処させてもらえる。
これからの国のために、彼ら貴族派をどうしていくか、ゆっくり練る時間が出来た。
そして、兄上も……。
君にとっては許せない相手なはずなのに、傷を癒し生かしてくれた。
窮屈な暮らしをさせていたリーベも、これからは羽を伸ばせるような時間が出来るはずだ」
僕を追うように、琥珀の瞳が付いてくる。
エルミルシェ殿は僕の言葉を時間をかけて飲み込んでいるように、こくりと喉を鳴らしていた。
僕はどうか知ってほしかった。
彼女が何を成し遂げたのかを。
「誰一人欠けることなく、皆生きている。
罪を背負うべき人が捕らえられ、長年掛け違えていた家族には話が出来る時間と機会が与えられた。
戦争だって起きない、僕が起こさせない。
民が苦しく悲しい思いをしなくて済む、明るい未来に出来るよう考えていける。
ねぇ、エルミルシェ殿。
君が僕の願いを叶えてくれたんだよ」
僕がそう言うと、エルミルシェ殿は少し目を丸くした後、くしゃりと笑った。
とても晴れ晴れとした笑顔だった。
「そうか。
吾輩だけでなく、お主やお主の家族、そして民のためになれたのなら……吾輩の過去も無駄ではなかったのだな」
エルミルシェ殿があまりにも満足そうに笑うから、僕は感極まって彼女を抱き上げた。
幼い子供を高い高いするように、その場で持ち上げながらくるくると踊るように回る。
「お、お主またっ!下ろすのだ!!」
「あははははっ!!」
持ち上げていた腕を下ろしても、エルミルシェ殿を地面に下ろすことなく、だっこのまま抱き締めた。
「君に出会えて良かった」
心のままにそう呟くと、エルミルシェ殿も吾輩の肩に頭を預けながら「吾輩もだよ」と、そう言ってくれた。




